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- 2019年01月06日 14:52
古市憲寿×落合陽一対談に関する雑談
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他できちんとした論考にまとめる依頼があり、まだ請けるかどうか決めてない本件ですけど、『文學界』と文春オンライン掲載版は著者校正のタイムラグから表現が一部異なっています。すでに荻上チキさんが指摘済みですが、校正後のほうが触れるには正しかろうということで、文春オンラインのリンクだけ先に貼っておきます。
落合陽一×古市憲寿「平成の次」を語る #1「『平成』が終わり『魔法元年』が始まる」 #落合陽一 #古市憲寿 #文学界 http://bunshun.jp/articles/-/10178
論点が幾つかあるんですが、個人的には「そこまで燃えるほどの内容なのかな」という感じはしました。落合さんもフォローアップ的に釈明のnoteを掲載していましたが、古市さんも落合さんも福祉・介護を当人の価値と治療のコストにおいて国家財政や社会的負担の観点から述べるのみで、たいした知識がないことは明確です。
ただ、高齢化が進展する中で、高齢者を扶助するコストを国庫で賄えなくなる、天引きとなる社会保険料が実質的な重税となって次の世代の負担になっている、財政が硬直化し社会保障費が増えれば未来への投資(出生率向上や教育投資、科研費などの研究開発費)が細っていくので先が暗くなる、ということへの処方箋として、高齢者のQOLを引き上げ、それを実現するテクノロジーを実現していくことで乗り越える、というのが落合さんの主張であるという風に読みます。
また、問題の端緒となり、批判の矛先になった古市さんの「財務省の友人」との勉強会で出た「お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の1カ月」というガセネタについては、財務省の社会保障関連チームはそれこそ1990年から継続的に国民一人当たりの年代別・疾病別医療費の現状についての研究をやっているわけで、おそらくは大した勉強会をしていなかったか、自分の意見を補強するために財務省の友人を持ち出してきて演出しただけじゃないかと思います。
高齢者・長期闘病者をお金で仕分ける問題の是非については、厚生労働省も調査や研究を重ねているもので、問題提起という観点以外で、古市×落合対談で新しい知見があるとは思えないので、ごく単純に古市さんや落合さんの問題意識を改めて提示したモノってことじゃないかと思うわけです。
患者をお金で仕分ける“人の命の線引き”。後期高齢者の負担を引き上げ、高額医療に保険をきかせず…で、国民“皆”保険制度と言えるのだろうか https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson26/
しかしながら、落合さんも釈明されていますが高齢者の終末医療を高コストであると論じたうえで、それが国家財政を圧迫している(だから削減するべき)という流れで話が進んでいったのは、単純にガセネタベースの与太話というよりは、長谷川豊さんの「人工透析患者は死ね」という暴言にも直結するような内容にも見られますし、Twitterでも多数指摘されたように「優生学にも近しい」という批判も出ることはまあしょうがないのかなと思います。
社会保障の制度や研究をしてきた中では、一般的に高齢者の医療費だけの問題というよりは、そういう闘病中の高齢者を支える家族・勤労世代の家庭的負担、独居老人に対する地域包括ケアに対する社会的負担のほうが大きく、介護離職や高齢者の集住化などの幅広い政策にリンクしていきます。
さらに、それを支える医療体制として、対談でも出ているような日本医師会ほか団体の意見と厚生労働省(と元厚労大臣の塩崎恭久さんなど)の議論だけでなく、ブラック体質が常態化している医師や歯科医師、看護師などなどの医療関係者の働き方問題、さらには医学部定員問題、地方の医療を誰が支えるのかという医師偏在の問題といった、政策上のトリレンマを持つ部分です。これらはテクノロジーとはほぼ無縁の世界で、例えば遠隔医療が実現しましたといってもベッド数のやりくりやかかりつけ医制度への転換といった構造的な問題のほうが大きすぎて、技術革新によって改善するQOLよりもかかるコストのほうが圧倒的に高いので話が進まないという点は当然に指摘されるべきじゃないかと思います。
たいていここで霞が関批判になるはずなのですが、そういう話に一切触れられませんでした。何か理由があるんでしょうか。
落合陽一×古市憲寿「平成の次」を語る #1「『平成』が終わり『魔法元年』が始まる」 #落合陽一 #古市憲寿 #文学界 http://bunshun.jp/articles/-/10178
論点が幾つかあるんですが、個人的には「そこまで燃えるほどの内容なのかな」という感じはしました。落合さんもフォローアップ的に釈明のnoteを掲載していましたが、古市さんも落合さんも福祉・介護を当人の価値と治療のコストにおいて国家財政や社会的負担の観点から述べるのみで、たいした知識がないことは明確です。
ただ、高齢化が進展する中で、高齢者を扶助するコストを国庫で賄えなくなる、天引きとなる社会保険料が実質的な重税となって次の世代の負担になっている、財政が硬直化し社会保障費が増えれば未来への投資(出生率向上や教育投資、科研費などの研究開発費)が細っていくので先が暗くなる、ということへの処方箋として、高齢者のQOLを引き上げ、それを実現するテクノロジーを実現していくことで乗り越える、というのが落合さんの主張であるという風に読みます。
また、問題の端緒となり、批判の矛先になった古市さんの「財務省の友人」との勉強会で出た「お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の1カ月」というガセネタについては、財務省の社会保障関連チームはそれこそ1990年から継続的に国民一人当たりの年代別・疾病別医療費の現状についての研究をやっているわけで、おそらくは大した勉強会をしていなかったか、自分の意見を補強するために財務省の友人を持ち出してきて演出しただけじゃないかと思います。
高齢者・長期闘病者をお金で仕分ける問題の是非については、厚生労働省も調査や研究を重ねているもので、問題提起という観点以外で、古市×落合対談で新しい知見があるとは思えないので、ごく単純に古市さんや落合さんの問題意識を改めて提示したモノってことじゃないかと思うわけです。
患者をお金で仕分ける“人の命の線引き”。後期高齢者の負担を引き上げ、高額医療に保険をきかせず…で、国民“皆”保険制度と言えるのだろうか https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson26/
しかしながら、落合さんも釈明されていますが高齢者の終末医療を高コストであると論じたうえで、それが国家財政を圧迫している(だから削減するべき)という流れで話が進んでいったのは、単純にガセネタベースの与太話というよりは、長谷川豊さんの「人工透析患者は死ね」という暴言にも直結するような内容にも見られますし、Twitterでも多数指摘されたように「優生学にも近しい」という批判も出ることはまあしょうがないのかなと思います。
社会保障の制度や研究をしてきた中では、一般的に高齢者の医療費だけの問題というよりは、そういう闘病中の高齢者を支える家族・勤労世代の家庭的負担、独居老人に対する地域包括ケアに対する社会的負担のほうが大きく、介護離職や高齢者の集住化などの幅広い政策にリンクしていきます。
さらに、それを支える医療体制として、対談でも出ているような日本医師会ほか団体の意見と厚生労働省(と元厚労大臣の塩崎恭久さんなど)の議論だけでなく、ブラック体質が常態化している医師や歯科医師、看護師などなどの医療関係者の働き方問題、さらには医学部定員問題、地方の医療を誰が支えるのかという医師偏在の問題といった、政策上のトリレンマを持つ部分です。これらはテクノロジーとはほぼ無縁の世界で、例えば遠隔医療が実現しましたといってもベッド数のやりくりやかかりつけ医制度への転換といった構造的な問題のほうが大きすぎて、技術革新によって改善するQOLよりもかかるコストのほうが圧倒的に高いので話が進まないという点は当然に指摘されるべきじゃないかと思います。
たいていここで霞が関批判になるはずなのですが、そういう話に一切触れられませんでした。何か理由があるんでしょうか。
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