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- 2019年01月03日 18:37
【原発避難者から住まいを奪うな】近づく〝切り捨て〟の春。怒り、泣き、頭を下げ、闘い続けた〝自主避難者〟の4年間。当事者の声は無視されたまま、住宅支援完全終了へ
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年が明けた。原発事故で避難指示が出されなかった区域からのいわゆる〝自主避難者〟には厳しい春が待っている。住宅無償提供打ち切りに伴い始まった家賃補助制度が3月末で終了。住宅支援策が完全終了するからだ。〝自主避難者〟たちは「1人も路頭に迷わせまい」と国や福島県と交渉を続けた。怒りをぶつけ、涙を流し、時には下げたくない頭を下げてきた。冷たい視線を浴びながら街頭にも立った。デモ行進もした。しかし、それらは全て無視され、切り捨ては強行される。闘い続けた〝自主避難者〟の4年間。ひとたび原発が事故を起こせば被害者は切り捨てられる事が浮き彫りになった4年間だった。時間は無い。しかし、避難者たちはまだあきらめてはいない。
2015年5月17日。日曜日の朝日新聞一面に掲載されたスクープ記事に、全国の避難者が色めき立った。それまで1年ずつ延長されてきた「災害救助法」に基づく住宅提供。これを2016年度末で打ち切るという内容だった。政府の避難指示が出されなかった区域から福島県外に避難した〝自主避難者〟にとって、ほぼ唯一と言える公的支援が家賃の免除だった。
記事を受け、福島市から京都府に避難している女性は「馬鹿にするにも程があります。以前、復興庁の担当者は『福島県からの要請があれば、住宅の無償提供は延長できる。あくまで福島県次第だ』と話していたのに…。結局は、国も福島県も避難者を帰還させたい。余計なお金なんてビタ一文払いたくないのでしょうね」と怒った。やはり福島市から都内に避難している女性も。「国も福島県も福島に戻そうとしているのだろうけれど、子どもたちも環境に慣れたから『友達とは離れたくない』と言っています。未曽有の出来事で逃げてギリギリながらも生活をしてきて、ようやく居場所を見つけた途端に打ち切りで路頭に迷わされるのは、子どもには酷だと思います」と困惑気味に話していた。
避難者と支援者の闘いが本格的に始まった。2015年5月末には、参議院会館で福島県や国の担当者との交渉が行われている。「いろんな場面で『自立しろ』と言われます。確かにお世話にはなっていますが、この状況をつくったのは誰ですか?」。いわき市から避難中の女性は「まだ協議中と言うなら、私たち避難者を協議の場に呼んでください。どこへでも行きます」と涙ながらに訴えた。「避難者の声も聴かずに決めないで欲しい。ここにいる私たちの後ろには、何万人もの避難者がいるんです」、「毎日、住まいはどうなるんだろうと心配しながら暮らしています。早く安心させてください」という声も出た。
山本太郎参院議員がさっそく、2015年6月1日の「東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会」で取り上げ「全国に散らばった方々、どこかのタイミングで是非この方々の生の声を大臣に聞いていただきたいんです。大臣、よろしくお願いします。いかがでしょうか」と迫ったが、当時の山谷えり子大臣は応じなかった。
山形県子育て支援課とNPO法人「やまがた育児サークルランド」が協力して発行していた情報紙「たぷたぷ」。2015年3月31日に発行された第二号には、 「住宅の補助は本当にありがたい。避難する、帰らないと決めるポイントとなっている」、「1年、1年という期限でなく、もう少し長いスパンにはならないかなと思う。子どもの進学を決める時に悩んでしまう」という母親たちの言葉が掲載されていた。
結局、福島県は2015年6月15日、〝自主避難者〟への住宅無償提供を2017年3月末で打ち切る事を正式に発表した。業を煮やした京都への避難者が、内堀雅雄知事との直接対話を求めて〝直訴状〟を手に知事室を訪ねた事もあった。しかし、当事者の声は全て無視された。
福島県避難者支援課の担当者は当時、取材にこう答えている。「お気持ちは分かりますけれども、福島県内においても普通に生活しているというのがある」。これが本音だった。交渉の場で、郡山市から神奈川県内に避難している女性が「自宅に帰れるのなら、10代の娘を連れて帰りたいですよ。でも、敷地内に汚染物がある。娘は戻せません。好きで避難先にとどまるのではないですよ」と訴えた。避難者支援課の幹部はうなずきながら聞いていたが、住宅支援延長に関してきっぱりと拒否した。「区域外については2017年3月末で終了です」。




街頭に立ち、内堀知事に〝直訴状〟を手渡し、時には涙を流し。それでも国にも福島県にも原発避難者の願いは届かなかった。
福島県相馬市から都内に避難していた50代の男性が説明会で怒った。「早く福島に帰って欲しいと言っているようにしか聞こえない。なぜ避難しているかと言えば、原発が爆発したからですよ。なぜそれが分からないのですか?」。
避難者はその後も、国や福島県と何度も交渉を重ねた。しかし、国の若手官僚は「災害救助法の実施主体は地方自治体の首長なんです。だから、国がどうこう言える仕組みになっていないんです」と繰り返すばかり。そもそも国は、原発事故避難の定義も避難者数の正確な把握も出来ていなかった。2016年3月に参議院会館で行われた交渉に同席した「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」(SAFLAN)副代表の福田健治弁護士は「(住宅支援打ち切りは)本当に福島県が決めたことなのか。国が誘導したのではないか」と迫った。だが、復興庁の男性官僚は「国が打ち切りを指示したという事実はございません」、「国から誘導したことはございません」と否定した。国は「災害救助法の実施主体は都道府県知事です。何度も申し上げておりますが、福島県知事の判断を我々も尊重します」と言い、福島県は「国と協議を重ねた」と言う。時間だけが過ぎて行った。
打ち切り発表後も、福島県の内堀知事は逃げ続けた。
2016年5月の集会で、福島市から山形県に避難中の武田徹さん(福島原発被災者フォーラム山形・福島代表)は、当事者不在のまま一方的に打ち切りが決められたことに激しく反発した。「順序が全く逆でしょう。今からでも遅くない。知事には全国を巡っていただきたい。故郷を追われた被災者がどういう生活をしているのか。内堀知事に見てもらいたい」。
「被害者抜きに決めてもらっては困るんです。責めるとかそういうことではなく、内堀知事ときちんと話し合いの場を持ちたいのです。今日は皆、抑えて話していますが、想いは強いことを分かってください」。武藤類子さん(原発事故被害者団体連絡会共同代表)も当時、福島県職員に求めたが無視された。それどころか、避難者にこう言い放った。
「福島市も避難指示区域外ですが、除染によって生活環境が整いつつある。もはや直ちに避難するような状況にありません。元々、避難をしていない方もいらっしゃいます」
【避難者「私たちの声を聴いて」】
「自主避難 住宅提供終了へ」2015年5月17日。日曜日の朝日新聞一面に掲載されたスクープ記事に、全国の避難者が色めき立った。それまで1年ずつ延長されてきた「災害救助法」に基づく住宅提供。これを2016年度末で打ち切るという内容だった。政府の避難指示が出されなかった区域から福島県外に避難した〝自主避難者〟にとって、ほぼ唯一と言える公的支援が家賃の免除だった。
記事を受け、福島市から京都府に避難している女性は「馬鹿にするにも程があります。以前、復興庁の担当者は『福島県からの要請があれば、住宅の無償提供は延長できる。あくまで福島県次第だ』と話していたのに…。結局は、国も福島県も避難者を帰還させたい。余計なお金なんてビタ一文払いたくないのでしょうね」と怒った。やはり福島市から都内に避難している女性も。「国も福島県も福島に戻そうとしているのだろうけれど、子どもたちも環境に慣れたから『友達とは離れたくない』と言っています。未曽有の出来事で逃げてギリギリながらも生活をしてきて、ようやく居場所を見つけた途端に打ち切りで路頭に迷わされるのは、子どもには酷だと思います」と困惑気味に話していた。
避難者と支援者の闘いが本格的に始まった。2015年5月末には、参議院会館で福島県や国の担当者との交渉が行われている。「いろんな場面で『自立しろ』と言われます。確かにお世話にはなっていますが、この状況をつくったのは誰ですか?」。いわき市から避難中の女性は「まだ協議中と言うなら、私たち避難者を協議の場に呼んでください。どこへでも行きます」と涙ながらに訴えた。「避難者の声も聴かずに決めないで欲しい。ここにいる私たちの後ろには、何万人もの避難者がいるんです」、「毎日、住まいはどうなるんだろうと心配しながら暮らしています。早く安心させてください」という声も出た。
山本太郎参院議員がさっそく、2015年6月1日の「東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会」で取り上げ「全国に散らばった方々、どこかのタイミングで是非この方々の生の声を大臣に聞いていただきたいんです。大臣、よろしくお願いします。いかがでしょうか」と迫ったが、当時の山谷えり子大臣は応じなかった。
山形県子育て支援課とNPO法人「やまがた育児サークルランド」が協力して発行していた情報紙「たぷたぷ」。2015年3月31日に発行された第二号には、 「住宅の補助は本当にありがたい。避難する、帰らないと決めるポイントとなっている」、「1年、1年という期限でなく、もう少し長いスパンにはならないかなと思う。子どもの進学を決める時に悩んでしまう」という母親たちの言葉が掲載されていた。
結局、福島県は2015年6月15日、〝自主避難者〟への住宅無償提供を2017年3月末で打ち切る事を正式に発表した。業を煮やした京都への避難者が、内堀雅雄知事との直接対話を求めて〝直訴状〟を手に知事室を訪ねた事もあった。しかし、当事者の声は全て無視された。
福島県避難者支援課の担当者は当時、取材にこう答えている。「お気持ちは分かりますけれども、福島県内においても普通に生活しているというのがある」。これが本音だった。交渉の場で、郡山市から神奈川県内に避難している女性が「自宅に帰れるのなら、10代の娘を連れて帰りたいですよ。でも、敷地内に汚染物がある。娘は戻せません。好きで避難先にとどまるのではないですよ」と訴えた。避難者支援課の幹部はうなずきながら聞いていたが、住宅支援延長に関してきっぱりと拒否した。「区域外については2017年3月末で終了です」。




【福島県「そもそも避難が必要?」】
住宅無償提供の代わりに〝激変緩和策〟として福島県が打ち出したのは、2年間限定の家賃補助制度だった。無償提供打ち切り後、民間賃貸住宅に入居する避難者に限り、初年度月額3万円、2年目月額2万円を支給するという制度。しかし、希望する全ての避難者が利用出来るわけでは無く、収入要件が設定された(月収15万8000円。後に21万4000円に緩和)。結局、制度を利用出来たのは2000世帯にとどまった。一方、避難先から福島に戻る避難者には転居費用として10万円が支給される事になった。福島県相馬市から都内に避難していた50代の男性が説明会で怒った。「早く福島に帰って欲しいと言っているようにしか聞こえない。なぜ避難しているかと言えば、原発が爆発したからですよ。なぜそれが分からないのですか?」。
避難者はその後も、国や福島県と何度も交渉を重ねた。しかし、国の若手官僚は「災害救助法の実施主体は地方自治体の首長なんです。だから、国がどうこう言える仕組みになっていないんです」と繰り返すばかり。そもそも国は、原発事故避難の定義も避難者数の正確な把握も出来ていなかった。2016年3月に参議院会館で行われた交渉に同席した「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」(SAFLAN)副代表の福田健治弁護士は「(住宅支援打ち切りは)本当に福島県が決めたことなのか。国が誘導したのではないか」と迫った。だが、復興庁の男性官僚は「国が打ち切りを指示したという事実はございません」、「国から誘導したことはございません」と否定した。国は「災害救助法の実施主体は都道府県知事です。何度も申し上げておりますが、福島県知事の判断を我々も尊重します」と言い、福島県は「国と協議を重ねた」と言う。時間だけが過ぎて行った。
打ち切り発表後も、福島県の内堀知事は逃げ続けた。
2016年5月の集会で、福島市から山形県に避難中の武田徹さん(福島原発被災者フォーラム山形・福島代表)は、当事者不在のまま一方的に打ち切りが決められたことに激しく反発した。「順序が全く逆でしょう。今からでも遅くない。知事には全国を巡っていただきたい。故郷を追われた被災者がどういう生活をしているのか。内堀知事に見てもらいたい」。
「被害者抜きに決めてもらっては困るんです。責めるとかそういうことではなく、内堀知事ときちんと話し合いの場を持ちたいのです。今日は皆、抑えて話していますが、想いは強いことを分かってください」。武藤類子さん(原発事故被害者団体連絡会共同代表)も当時、福島県職員に求めたが無視された。それどころか、避難者にこう言い放った。
「福島市も避難指示区域外ですが、除染によって生活環境が整いつつある。もはや直ちに避難するような状況にありません。元々、避難をしていない方もいらっしゃいます」
- 鈴木博喜 (「民の声新聞」発行人)
- フリーライター



