- 2019年01月03日 15:33
旅客機のパイロットの飲酒が問題になっていて、乗務の24時間前からの禁酒が義務づけられるようですが、実は医師の世界でも同じようなことが言えます。- 「賢人論。」第79回天野篤氏(中編)
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お酒は止めました。酔った状態で手術する可能性を完全に排除するために
みんなの介護 天野さんは2016年から、順天堂大学医学部附属順天堂医院の院長を務めていますね。病院の院長になった今、年間で何例くらい手術しているのでしょうか。
天野 2018年に私が執刀したのは、370〜380例だと思います。これまでの手術数は通算で、8,300例くらいでしょうか。手術数が最も多かったのは、順天堂大学の教授に着任してから7年目、2008年の438例です。1日の手術件数は平均すると2〜3件で、手術時間は4時間から10時間。長いときは18時間以上かかることもあります。
みんなの介護 介護を含め、現場は想像を絶する重労働のはずです。毎年それだけの数の手術をこなしていると、疲労の蓄積が気にならないのでしょうか。
天野 手術そのものはまったく疲れませんね。なぜなら、手術中はほとんど頭を使っていないから。どういう手順でどのように手術するか、手術前に綿密な設計図をつくってあるので、あとは設計図に沿って手を動かしていくだけです。ほとんどの手術は、腕から先の反射運動で成り立っていますね。
もちろん、すべての手術が設計図どおりに進むわけではないので、予期せぬ展開に陥ったときだけ、脳をフル回転させて対処法を見つけ出します。
みんなの介護 もともと手先が器用なのですか?
天野 器用でしたね。少年時代はプラモデルづくりに熱中していて、どれだけ本物に近づけられるか、完成度にこだわっていました。
今でも、指先のトレーニングは常に心がけています。リンゴの皮むきでも食器洗いでも、「手術のために指や手の動かし方の練習をするんだ」という意識さえあれば、いくらでもトレーニングできます。右手と左手のバランスをどう保つか、力の入れ加減をどうするか、などですね。
医学生時代から、両手の爪も事務用のハサミで切っています。私は右利きですが、右手の爪はもちろん、左手で切ります。
みんなの介護 常に手術のことを考えているんですね。聞くところによると、緊急の手術に対応するため、お酒も止められたとか。
天野 ええ、止めました。天皇陛下の手術を担当した1年後くらいからですね。高齢の患者さんの難しい手術は若い医師には任せられないケースも多いので、すっぱりと。
今、旅客機のパイロットの飲酒が問題になっていて、乗務の24時間前からの禁酒が義務づけられるようですが、実は医師の世界でも同じようなことが言えます。患者さんの立場からすれば、酔っぱらった医師に診察してほしくないですよね。ましてや、酔った医師に手術されるのなんて、もってのほか。
だとすれば、医師は自分なりに「0」か「1」かのルールをつくらなければ不誠実だと思いました。酒に酔って手術する可能性を完全に排除するには、「0」、すなわち「酒は飲まない」と自分で決めてしまったほうがわかりやすいですよね。
自分は、心臓外科の“最後の砦”だと思って生きています
みんなの介護 『あきらめない心』を拝読すると、心が折れそうになった手術や、落雷停電時に行った手術など、印象的な手術の場面がいくつも出てきます。最近の例で、特に印象に残っている心臓手術はありますか?
天野 先日初めて、10歳の少年の心臓を手術しました。心臓外科といっても、私は成人専門。小児は専門外だったのですが、他の病院での手術を断られたその子にとって、私が「最後の砦」だと思い、手術を引き受けることにしました。
みんなの介護 難しい手術だったのでしょうか。
天野 心臓の血管にこぶができる冠動脈瘤になっていました。そのまま放置すれば心筋梗塞になる恐れのある川崎病です。学校の検診で病気が見つかり、その後、普通学級から特殊学級に移ったことですっかり落ち込んでいましたね。
しかし、外来で会って話してみると、元来はとても明るい子だったようです。何とかもう一度、明るさを取り戻してほしいと思いました。
手術は動脈瘤を取ってバイパスをつなげるというもの。動脈瘤は心臓の奥深くにあって切除するのが難しいし、小児の血管は細いので、バイパスを付けるには細心の注意が必要になります。おそらく、この2つの施術を完璧に行える外科医チームは、日本にもそう多くはいないはず。だとすれば、自分たちがやらなくて誰がやる、という気概を持って手術に臨みました。
みんなの介護 手術は成功したのですね?
天野 設計図通り、完璧に仕上げました。できる処置はすべてやったので、私が死んだ後も、彼はずっと元気に生き続けるはずです。
みんなの介護 「私が死んだ後も」とはどういう意味なのでしょうか。
天野 私は63歳、彼は10歳。当然、私のほうが先に死んでいきますよね。彼の手術後の人生を、私がずっと見守り続けることはできません。でも、それが本来の、外科医と患者さんとの関係なのだと考えています。
心臓外科医である私の理想は「居合抜き」。スパッと刀を抜いて敵を斬り、刀を鞘に収める頃には、もう勝負はついている。あとは何事もなかったかのように、その場を離れるだけです。
実際の手術においても、実はそうありたいと願っています。私と患者さんとの接点は、手術する一瞬だけ。手術で私が敵(病巣)に負ければ、患者さんが命を落とす。だから私は負けるわけにはいかない。
一瞬で敵を倒し、「手術で敵はもうやっつけたのだから、あとは何でも好きなことをして良いですよ」と患者さんに言いたい。「あなたはタバコを止めないと長生きできないよ」とか「コレステロール値に気をつけなさい」とか、そういう内科的なことを言うのは、外科医の本分ではないと思う。
しかし、現実はそれほど単純ではありませんね。多くの患者さんは、糖尿病や腎臓病など他の病気も抱えていて、手術だけで元気になるわけではない。そこで、合併症対策など術後のケアにもあれこれ気を配りながら、患者さんの命を守るために、何とか勝ちに結びつけていくしかないんです。
私が手術した10歳の少年の場合は、スパッと元気になりました。いや、本当の意味で元気になるのはこれからですかね。私たち手術チームが未来への扉を開いたのですから、あとは彼が自分の足で歩いていってくれることを願うばかりです。



