- 2019年01月03日 08:26
平成の終りに改めて報じられる宮崎勤元死刑囚から私に届いた300通以上の手紙
2/2宮崎は実は鑑定の中でその動機に言及しているのだが、その年の昭和天皇の逝去報道をテレビで見て、幼女にも葬式をしてあげるべきだと考えたというのだ。彼はテレビで見た昭和天皇と、前年に突然亡くなったおじいさんを重ね合わせていた。だから宮崎事件と、1989年の天皇の代替わりとは大きく関わっていたのだった。当時、それについて報道が全くなかったのは、天皇がタブーだった当時の風潮をマスコミが忖度したためだろう。
宮崎事件とは何だったのかについては、私は『増補版ドキュメント死刑囚』を始め、これまでいろいろな場で意見を述べてきた。今回も改めて、『創』に書き、著書『生涯編集者』に1章をさいた記述をヤフーニュース雑誌に公開した。少し長い記事だが、事件についてのまとまった記述なので興味ある方はぜひ読んでいただきたいと思う。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181229-00010000-tsukuru-soci
12年間つきあった連続幼女殺害・宮崎勤が処刑された日
ただ、それらの記事や宮崎の2冊の著書で明らかにしてきたことは、まだ全体の一部に過ぎない。
例えば彼の2冊目の著書『夢のなか、いまも』を作ったのは、ちょうど2006年、彼の死刑判決が確定した時期だった。当時、彼が死刑判決よりも気にしていたのは、その本のことだった。自分の幼少期の写真を掲載してほしいと要望したり、本に自分の描いたイラストをカラーで載せてほしいなどと、彼はこだわっていた。
そのカラーのイラストとは、ここに掲げた写真だが、実はこういうイラストはもっとたくさんあって、彼はその一つ一つに解説をつけていた。もちろん解説は意味不明の内容だ。

さらに宮崎は、幾何学的な模様を描いたものを大量に送ってきたりしたのだが、その1枚1枚に説明がついていた。幾何学的模様というのは、精神科医の見立てによれば統合失調症と関係があるらしいのだが、そうした大量のイラストや、300通を超える宮崎からの手紙を、私は事件の解明に少しでも寄与するために何らかの形で公開したいと思っている。
昨年のフジテレビの特番もそうだったし、今回もそう思われるのだが、一定世代以上の人にとっては、宮崎事件は忘れられない衝撃的な事件だった。平成の幕開けに日本中を震撼させたこの事件について、平成の終わりに改めて考える気運が起こるとすれば、それも貴重な機会だと思う。今後、少しずつでも時間を見つけて、この事件についての貴重な記録をネットにあげていきたいと考えている。

※Yahoo!ニュースからの転載



