私は、この間、ローラさんの発言についてそのバッシングを批判し、またスポンサーの論理を振りかざす人たちを批判してきました。
「著名人の政治的発言へのバッシングは反体制狩り 現状に疑問を持つことを許さない危機的な世相」
「ローラさんの発言が大迷惑?? 大王製紙前会長・井川意高氏の論理 スポンサーの論理って本当?」
これだけ書けば普通はわかると思うのですが、何故か、ローラの発言が左翼的だからだろとか、右翼発言でも擁護するのか、とかいうように食って掛かってくる人たちがいるのは、とても残念です。
重要なのは、タレントだからというだけで政治的発言を封じ込めようとすることへの批判。
それがカネの力にものを言わせて黙らせようとすることへの批判です。
要は、発言の機会を奪うことに対するものであって、発言の擁護とも次元は異なります。
そうであれば、結論ははっきりしていて、右翼発言だからといってその発言の機会を奪うのはダメね、ということです。何も難しいことではありません。
「香山リカさん もうちょっと表現の自由の意義を考えた方がいいのでは? 講演の中止はブーメラン」
もっとも、現実のマスコミでは、タレントによる右翼的発言は黙認傾向があります。カネを出す側の論理も働いているのかもしれませんが、長いものには巻かれろ的な発想の中でそういった発言の機会を奪ってしまえというような雰囲気は全くないわけです。
中には不買だとかいうような呼び掛けもありますが、何度も申しますが、企業、商品とは関連性がないわけで、CMのタレントが右翼発言をしたからといってその商品を買うなは飛躍があるわけで、そうしたこととは私は一線を画することになります。
繰り返しになりますが、そのタレントの右翼発言は批判の対象です。
しかし、現実には右翼発言の機会を奪えというようなバッシングなど起きてはいないし、それが現実のものともなっていないのです。体制よりなのですから当然といえば当然の現象なのですが、バランスから言ってもよりローラさんの発言を行ったこと自体を擁護しなければ、政治的意見表明の自由(表現の自由)が危なくなるというのも容易に認識できるもので、だからこそローラさんの立場に立ったバランス感覚も求められるのです。
日本社会は子どもたちの手本になれるか

そういうと、「ほら見ろ、ローラ発言を擁護しているではないか」と右翼層はいきり立つかもしれません。
でも、これが的外れであることは、もうわかりますね。少数者の側の意見自体を封殺しようとしているのです。そのような場合はむしろ多数派の人たちこそ、こうした発言をしたこと自体を擁護すべきなのであり、これこそが言論の自由の価値です。
少数者であろうとも発言自体は行えるようにする、そうした機会の奪うようなバッシングが問題なのであり、降板させよとかそういったことが社会の閉塞性を強めることになってしまうのです。それは企業も同じです。
昨今、経団連会長が原発推進には国民の理解がないと今頃、わかったのかという発言をしていましたが、企業においても気に入らないものに対してカネ出さないということではなく(企業にとって迷惑だ!なんて言えてしまうのは常識を疑います。)、社会の中で共存するという姿勢も大切なのです。それが我が国の民主主義の成熟度の問題なのです。
右翼層のこうした欺し(というより本気で理解できていないんだろうか?)の発言に欺されないように十分に注意してください。