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池上彰『君たちはどう生きるか』愛読理由

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雑誌「プレジデント」(2018年10月15日号)では特集「ビジネス本総選挙」にて、仕事に役立つ100冊を選出した。このうちベスト10冊を順位ごとに紹介する。今回は第2位の『君たちはどう生きるか』。解説者はジャーナリストの池上 彰氏――。

■子どもに向けた哲学書・道徳書

盧溝橋事件が勃発し、泥沼の日中戦争が始まる1937(昭和12)年に、少年向け読み物として出版されたのが本書『君たちはどう生きるか』である。現在は岩波書店をはじめ複数の出版社からそれぞれの装丁で販売され、世代を超えて多くの読者に愛読されている。2017年に出版された羽賀翔一氏による漫画版が200万部超のベストセラーとなったことでも注目された。

著者は、戦前戦後を通じて活躍した進歩的文化人の吉野源三郎。旧制中学2年の「コペル君」(本名は本田潤一)を主人公に、コペル君が体験したり考えたりしたことを小説仕立てで描いていく。その間に、コペル君のメンター的な存在である帝国大学出身の若き知識人「叔父さん」による「ノート」を挟み込んだ構成だ。

『君たちはどう生きるか』は、もともと「日本少国民文庫」全16巻シリーズの一冊として書かれたもので、作者はこのシリーズの編集主任も務めていました。その後、岩波書店に入社して、岩波新書を創刊。戦後は雑誌『世界』初代編集長を務め、岩波少年文庫の創設にも尽力しました。『世界』に寄稿していた学者・知識人と共に市民団体「平和問題談話会」を結成し、反戦運動にも取り組んでいます。

本書はこうした活動の、いわば原点とも言える作品です。日本少国民文庫シリーズの配本が始まったのは、1935年。その4年前、日本は満州事変をきっかけとして、アジア大陸に侵攻をはじめます。日本国内には、戦争へと突き進む重苦しい空気が広がっていました。軍国主義に異を唱える人はもちろん、リベラルな考え方の人も弾圧され、作者自身も治安維持法違反で逮捕されるという経験をしています。

そんな時代だからこそ、次代を担う子どもたちには、ヒューマニズムの精神にもとづいて自分の頭で考えることの大切さを伝えたい。すでに言論の自由も、出版の自由も著しく制限されていましたが、偏狭な国粋主義から子どもたちを守らなければという強い思いから、この本は生まれたのでした。

戦前に書かれたにもかかわらず、この作品は戦後も売れ続けます。むしろ戦後のほうがよく売れたのではないでしょうか。戦時を知らない多くの子どもたちが、この本を手にとり、引き込まれていきました。かくいう私も、その1人です。

私がこの本と出合ったのは、小学生のとき。珍しく父が私に買ってきた本でした。当初は「親に読めと言われた本なんて」と反発していましたが、読んでみると面白く、気がつくと夢中になっていました。

ひと言で言うなら、これは子どもたちに向けた哲学書であり、道徳の書。人として本当に大切なこととは何か、自分はどう生きればいいのか。楽しく読み進めながら自然と自分で考えられるよう、いくつもの仕掛けが秀逸にちりばめられています。

■なぜコサック兵を賞賛したか

歴史をどう見るか、戦争をどう考えるか。これは、この作品の大きなテーマの1つです。作者はナポレオンを取り上げ、読者に問題提起しています。どんな話が書かれているのか、まずは読んでみましょう。


ジャーナリスト 池上 彰氏

これはコペル君が、同級生の北見君、浦川君と一緒に水谷君の家に遊びに行ったときのこと。水谷君のお姉さんのかつ子さんが4人を相手に、ナポレオンの英雄的精神について熱弁をふるいます。

敵に攻め込まれ、苦戦を強いられるなか、ナポレオンは敵のコサック兵の戦いぶりに感服し、見とれていたというエピソードを引きながら、かつ子さんは言います。

考えてごらんなさい、戦争よ。負けたら、命が危い場合よ。お互いに、相手を倒すか、自分が倒されるか、必死の場合よ。その中で、敵の戦いっぷりをほめるなんて、――敵の勇敢さに見とれるなんて、実際、立派だわ。(「五、ナポレオンと四人の少年」)

かつ子さんは、さらに勢いをつけて、ナポレオンが疲れきった兵隊をかき集めて最後の一戦に臨んだ話や、結局、その戦いに負けて捕らえられ、島流しにされたという話をしていきます。

一方で、この本を読んだ子どもたちが事前に書いてくれた感想文には、ナポレオンに対して否定的な意見が多かった(編集部注・池上氏は本書『君たちはどう生きるか』をテキストに東京の武蔵高等学校中学校で特別授業を行った)。彼の行いの、どんなところに共感できなかったのでしょうか?

子どもたちの多くがナポレオンに対して否定的だった理由の1つは、このエピソードに戦争を肯定するようなにおいを感じたから、ということです。

私は、違う読み方をしました。作者がナポレオンを取り上げた背景には、実にさまざまな意味があるように思います。

まず、ナポレオンのことを熱く語っていたのは、かつ子さんでしたね。ここで突然、女性が登場する。しかも、かなり威勢がいい。

かつ子さんは、ショートヘアにパンツルック。スポーツ万能で、跳躍のオリンピック選手を目指すほどです(1940年には東京オリンピックの開催が予定されていました)。いまは女性アスリートも、ショートヘアも、スカートをはかない女性も珍しくありませんが、この本のなかで、コペル君は「女の癖に、(中略)ズボンをはいている」ことに驚いています。

自分の意見をはっきり言う当時としては珍しいタイプの女性に、作者はナポレオンの英雄的精神や、少年たちの学校にいる横暴な上級生への批判を語らせているわけです。物語の展開として、これは読んでいて面白いですよね。少年たちが中心の物語の世界に、かつ子さんという女性をあえて登場させることで、小説としてのエンターテインメント性をもたせたのだと思います。

かつ子さんが、ナポレオンの英雄的精神を示すエピソードとして選んだのは、危機的状況のなかで敵のコサック兵を賞賛した、という話でした。これは、戦争の実際を知る、あるいは戦争について考えるうえで、1つの大きなポイントです。


吉野源三郎氏(毎日新聞社/AFLO=写真)

コサック兵は勇敢に戦った、と書かれていますが、では、ナポレオン軍はどうだったのか。重要な役割を果たしていたのは、外国人部隊でした。ナポレオンが征服した国々から集めた傭兵、いわゆる雇われ兵です。

60万もの人間がはるばるロシアまで出かけていって、氷や雪の中で、ほとんど全部みじめな死方をしてしまったということは、考えて見ると実に大きな出来事だった。この人々は、ヨーロッパの各地から集まった兵隊たちで、何も自分たちの国のためにロシアまで出かけていったわけではなかった。彼らは祖国の名誉のために戦ったのでもなければ、自分たちの信仰や主義のために戦ったのでもない。命にかけて守らなければならないものは何ひとつなく、ただナポレオンの権勢に引きずられてロシアまで出かけ、その野心の犠牲となって、空しく死んでいったのだった。(叔父さんのノート「偉大な人間とはどんな人か」)

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