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退屈な子育てが「汚れたおとな」をつくる~おとなの根源 -田中俊英

■「最低、信じられない」

児童虐待の対応件数が13万件を超えて過去最高になったと、少し前のニュースで報じられていた(平成29年度の児童虐待、過去最多の13万件超 27年連続増加)。

虐待加害者の親自身、虐待被害者であり虐待の連鎖に巻き込まれている。その結果「第4の発達障害」(杉山登志郎医師)となり知的にハンデを抱えている。また、連鎖の中で飛び交う言葉は「心理的虐待」ではなく「しつけ」であると思い込んでいる。その心理的虐待に含まれる夫婦喧嘩を「面前DV」などと思ったことがない。等、児童相談所等の支援側がもっているものとはまったく別の価値の中で加害者の親は生きる。

だからこうした事態を簡単に虐待の連鎖でくくり、単純に「最低の出来事」であるとまとめてしまうことは、支援者にはできにくい。

けれども、一般の方々は単純に虐待を憎む。それは、僕が半年前に出演したアベマテレビのニュース番組でも感じたことだった(ことばの苦しさ~児童虐待死が迫ってくる)。芸能人と思われる若い出演者の方々は、「最低、信じられない」と本当に怒っていた。

そこで僕が上の虐待連鎖の話をしても、イマイチピンときていないようだった。それはそうだろう、子どもを虐待するとはそれだけインパクトがあり、通常の規範からは外れ、「人の道」的な倫理とは対極にある事象だからだ。

■子育てには、規範やルールの伝達・伝承が含まれる

だからほとんどの親たちは、ストレスに襲われどんなにイライラしたとしても虐待しないよう注意している。あるいは虐待的行為(どなる、たたく)に衝動的に及んだ時も、後で激しく反省する。

そんなことを、僕は保護者への面談支援をしながら、時々聞いている。

経済的下流層だけではなく、乳幼児を育てるほとんどの親にとって、虐待は他人事ではない。その「悪魔の瞬間、誘惑」はいつでも口を開けている。

乳児への虐待はより親のストレスと直結しているだろうが、3才を超えた幼児に対する親の振る舞いは、粘り強さと古典的規範性が求められる。

大人であれば誰でもできること、たとえば箸の使い方やコップの使い方といった単純な食事マナー、トイレでの一連の行為、路上での「飛び出し禁止」等の基礎的交通マナー、あげだしたらキリがないが、これらに対して1つひとつ粘り強く伝える必要がある。

ここで粘り強さを忘れ怒鳴ってしまったらそれは心理的虐待となるから、時には怒鳴ったりはするものの、基本は優しく丁寧に伝えようと若い親たちは努力する。

箸は、この補助具を使ってゆっくり使いなさい、食べ終えた後は食べ物で遊んではいけない、歯ブラシを口に突っ込んだまま歩くと危険なのでじっと立って歯磨きしなさい、等々、「当たり前」のことを粘り強く伝え続けることが「子育て」である。

歯ブラシを口に突っ込んだままコケることは大人であればないので、大人が歯ブラシを口に突っ込んで家をウロウロしていても、普通は何も言わない。

が、子どもは、歯ブラシを口に突っ込んだままコケ、喉の奥にそれが突き刺さるという事故はないということはない。あるいは、箸の使い方は美しければ美しいほど、大人になってからの仕草が評価されることになる。それを親はよく知っているから、いちいち箸の使い方を注意したりする。すでにオリジナル箸づかいになってしまっている大人に対しては、それがいかに美しくなくとも通常は注意しない。

保育園や幼稚園に行くという行為も、ほとんどが働く昨今の親たちにとっては重要問題だ。ちょっとした気分の変動で家にいることを選ぶ(保育園を休みたがる)子どもに対して、仕事の都合上、親は休んでもらっては困る。

だから最初は優しく「行こうね」などと誘うのだが、いつまでもゴネる子に対して、やがては叱ることになる。あるいは「~はないからね」と柔らかく脅したりもする。

そうした虐待をしないほとんどの親たちは、好きこのんで子に「~しなさい」とは言っていないようだ。

ケガ防止といった健康への配慮や親の仕事の都合に加えて、そうしたほうが大人になってから困らないというマナー/ルールの伝達、世の中はそうなっているから普通は従うという「規範」の伝達の面も多く含まれるようだ。

つまり子育てには、、規範やルールの伝達・伝承がどうしても含まれる。むしろ、それら規範とルールを幼児時代に身体レベルに深く刻み込むのが「子育て」だともいえる。

■子育ては退屈

虐待加害者の言う「あれはしつけだった」はだから、加害親にとっては本当のことで、加害親の持っている価値と言葉のなかでは、そのような表現になるのかもしれない。

それ(荒っぽいしつけ)が虐待の始まりであり、やがてはそれがアディクション的に継続されていく、というのが児童虐待のメカニズムなのかもしれない。その意味で児童虐待は、リストカット依存にも似ている(はじめは寂しさを知ってほしいという自己表現、それがすぐに「切ることの快楽」というアディクションに変化する)。

いずれにしろ幼児の子育ての多くには「規範の伝承」が含まれており、それはいたって

退屈、

だと僕は思う。児童虐待は行なわないが、規範やルールの伝承もイヤ、という親もいるかもしれないが、人間が社会化していくためには、とりあえずこれら規範やルールの学習は必要だと子を持った親はすぐに理解するだろう。

ロックにしろアートにしろ、すぐれた芸術的表現も、その表現が破壊する「大きなもの」がとりあえずなければ、破壊しなければその人が生きていけないほど苦痛を与える硬くて高い「壁」がそこになければ、ロックもアートも映画もパンクもアニメもマンガも文学作品も、何ひとつとして生まれてこない。

その大きく高く硬い壁こそが、ここでいう規範でありルールだ。

人はまずは、こうした規範とルールを通過する必要があるようだ。そしてそれを行なうことが、「子育て」ということになる。

つまり、「退屈な子育て」を人は受けて与える必要がある。その延長に、「学校」という仕組みも存在する。M.フーコーが言うように、学校は確かに刑務所や病院とともに規律(ディシプリン)社会と監視社会が具現化したものである。集団生活に入れ込み規律を伝えることは、戦争や高度経済成長を支える国民たちを戦力としてトレーニングできる。

それと同時に学校(的人生の初期の訓練システム)は、人間をある程度社会化していくために、求められている仕組みでもある。いわば必要悪としてそれは存在する。その意味で、現在の学校制度はかたちを変えていったとしても、人生の初期に規範とルールを家庭以外で伝える形式を持つシステムとして存続するだろう。

■汚れた大人たち

そのようにして、ほとんどの親たちは「退屈な子育て」を行なう。

そして、それを反復するうちに、親たち自身がそれら規範とルールを体現化していくように僕には思われる。堅っ苦しくて規範を押し付ける存在にそれら親たちはいつのまにかなっている。つまりは思春期の人々が言う、

汚れた大人たち、

に親たちはいつのまにかなっていく。子どもを社会化させるために親は退屈な子育てを我慢して行ない、その反復が親自身をいつのまにかザッツ大人としてつくりあげていく。

いわば、思春期の人々がその幼児時代に、無理矢理に汚れさせた人々が、「大人の根源」だということだ。

※Yahoo!ニュースからの転載

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