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「不登校は生き方のひとつ」音楽を通して伝える“希望”とは

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 今回お話をうかがったのは、メンバー全員が不登校経験者というバンド「JERRY BEANS」のボーカル・ギターの山崎史朗さん。自身の不登校体験や年間100本以上こなす「講演ライブ」への思いなど、うかがった。

――山崎さんの不登校経験からお聞かせください。

 学校へ行けなくなったのは、小学5年生のときでした。僕は双子で、上に姉が2人いる4人きょうだい。最初に不登校になったのは次女で、そのあと僕ら双子も不登校になりました。

 僕の場合、幼稚園から合わなかったんです。年長から1年間だけ通いましたが、幼稚園では決まり事も多かったり双子が引き離されるのが嫌で、まったくなじめませんでした。

 それまでは双子で野山を自由に駆けまわるような毎日だったので、泣きながら通っていました。

僕はダメな人間

 そのまま小学校へ入学、最初につまずいたのは「自分の名前を書く」という授業でした。じつは、それまで字を書く練習をしたことがなかったんです。

 みんなは書けました。「僕だけ書けない、みんなを待たせているダメな子だ」というコンプレックスが生まれました。

 学校に行きたくない。それでも「学校には行かなければいけない」と思っていたので、遅刻しながらも必死に通っていました。

 5年生になったとき、クラスでいじめが起きました。ある女の子のことをみんなでからかううちに、だんだんエスカレートしていきました。

 僕は助けてあげたいけど、いじめが自分に向くのが怖くてどうすることもできませんでした。そして学校が怖くなって、しだいに行けなくなりました。誰にも相談できず、家ですごしていても、気が休まったことはありません。

 登下校の時間帯になると、同級生のようすを窓からこっそりのぞき込んだりして「自分はダメな人間だ」って思っていました。それがとてもつらかったですね。

――なぜ、そんなことを?

 「学校を休んでいい」と、心から思えていないからです。「今日は行けなかったけど、明日は学校へ行こう」って、自分で自分に毎日言い聞かせていたんです。でも、行けない。

 じゃあ、何をしていたかと言うと、NHKの教育番組をずっと観ていました。

 「みんなが勉強しているあいだ、ただ遊んでいるわけじゃないんだ」って。自分のなかに湧いてくる罪悪感を少しでもやわらげようとしていたんです。

 それからしばらくして、不登校を通じて知り合ったメンバーで「JERRY BEANS」というバンドを組みました。今年で結成20周年になります。

 続けて来ることができたのも、いろんな人の支えがあったからこそと、感謝の気持ちでいっぱいです。

 僕らのライブは演奏だけではなく、メンバーそれぞれの不登校体験を話す「講演ライブ」というスタイルなんです。

 そういうイメージもあって、「不登校を乗り越えたバンド」って言われることもあります。だけど「不登校を乗り越えた」なんて、メンバーは誰も思ってないんです。僕はいまだに当時のことを話して、しょっちゅうつらくなっています。

 それでも「講演ライブ」を続けているのは、僕が活動に救われているからです。あのころの僕のような人に語りかけることは、過去の自分へ語りかけることなんだろうなと思います。

 「大丈夫かもしれない」。そう少し思えるだけで、人生の見え方は変わります。だから僕らは乗り越えた人ではなく、「それが自分だよ」って受けいれたんだと思っています。

 学校から依頼をいただいて「講演ライブ」をする機会も増えました。開始時間は午後になることが多いので、午前中から体育館に入って準備するわけですが、そんなときに遅刻をして教室に向かおうとしている子どもを見かけることがあります。

 一歩一歩ゆっくり歩きながら、歩いているのか止まっているのかわからないぐらいのスピードです。でも、その気持ちが痛いほどわかるんです。行くのも戻るのもつらい。

 かつての自分を見ているような気持ちになります。「この子たちに僕らの姿はどう見えているんだろう」と、悩むことがあります。

 「不登校を乗り越えてすごい」とかではなくて、自分と同じだった人が笑っている未来を「人生って、けっこうなんでもありなんやね」くらいに感じてくれたらうれしい。

 遅刻したり不登校になった経験も未来では個性と呼んでいるんだから。

――バンドメンバー全員が不登校経験者とのことですが、最初の出会いは?

 きっかけは、母が参加していた親の会でした。子どもがすごすスペースもあって、僕ら双子と同じように親に連れられてきた子どもがたくさんいました。そして自然といっしょに遊ぶようになったんです。

 こんなこと言うと、使い古された表現のように聞こえてしまうかもしれませんが、そこが僕にとって「ひとりじゃないんだ」って初めて実感できた居場所でした。

 みんなでトランプしたり、おしゃべりできる、ふつうにすごす時間がとにかくうれしくて。「みんなと同じ」になりたかった僕にとってはとても特別な時間でした。

 それが「これがやりたい」という思いが湧いてくるようになったきっかけだったと思います。


 バンドを始めたのもみんなとの遊びの延長です。メンバーの八田くんがギターを弾いたことがあると聞いて、みんなで教えてもらいました。

 見よう見まねで楽器をさわっていると、それを見た親がすごく喜んでくれたんです。

 すぐに親どうしで集まって、部屋の壁に防音用の発泡スチロールを貼ってスタジオをつくってくれたりして、今思えば、僕らより夢中だったかもしれないですね(笑)。

 ただ、それが僕のなかの大きな転機になったんです。

 それまで、僕は親の悲しむ顔しか見たことがありませんでした。居場所でも子どもは楽しそうにしているけど、ふと横を見ると、親たちはみな涙ぐんでいる。

 僕が学校に行かないせいで親を泣かせているというのは、やっぱりとてもつらかったです。だから、親の喜んでいる笑顔を見たとたんに思ったんです。僕は音楽で生きていこうって。

――親の影響が大きかったんですね。

 そうですね。それに、僕は不登校になってから、夢見ることをやめたんです。ほかの子が自分の夢を叶えるために学校に行っているんだから、僕には夢見る資格なんてないんだろうって。

 そういう思いだった僕にとって、親が僕のことで喜んでくれたことはとても大きな出来事でした。

 もし、絵を描いて親が喜んでくれたとしたら、もしかしたら僕は絵描きを目指したかもしれません。

 だからこそ、親御さんには子どもがすることをなるべく否定してほしくないって思うんです。子どもの可能性をつぶすことになってしまうかもしれないから。

 「いいね」って言ってあげることが、その子の人生を変えるかもしれません。


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