
ネットでは、仕事がありパートナーがいる人は“リア充”と呼ばれ、長い期間パートナーがいない人のことは“喪男”や“喪女”と呼ばれる。どちらと判定するかにおいて、仕事はもちろん、交際相手や結婚相手がいることは重要で、その相手とはお見合いではなく恋愛によって結びついているのが当然とされている。評論家の呉智英氏が、結婚と恋愛、人口減少との関係について考えた。
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秋篠宮家の眞子内親王と小室圭氏との行く末に暗雲がたれこめて一年にもなる。これが庶民であればよくある話ですんだろうが、上つ方ともなるとそうもいかない。
改めて言うまでもなく、御二人は交際中であった。もし暗雲が出現しなければ、そのまま納采の儀(結納)、御成婚、と進んだろう。当然その結婚は恋愛結婚ということになる。このことについては、誰も異論をさしはさまない。どの皇族方についても、この半世紀余り、そうだからである。
しかし、一九五九年の皇太子(今上天皇)の御成婚に際しては、そうではなかった。マスコミは「テニスコートの恋」と、もちろん悪意ではなく書き立てたが、宮内庁はこれが恋愛結婚であると認めなかった。皇太子ともあろう方が恋愛結婚などというはしたない振るまいをすることはない、という含意があった。戦後十年以上経た一九五〇年代末まで、名家では恋愛結婚は奔放ではしたないとされていたのである。
それなら明治より前の天皇はどうだったのか。古くは万葉集の第一首、雄略天皇御製(ぎょせい)の長歌(ちょうか)では、初菜摘(はつなつ)みの乙女にこう呼びかける。
「家聞かな 名告(なの)らさね(君の家はどこなの、聞きたいな、名前を教えてよ)」「我こそは告(の)らめ 家をも名をも(僕こそ言おうか、家も名前も)」
これは恋愛、というよりナンパに近い。そのまま交際から結婚へと進んだのだろうか。時代は移り江戸期には見合い結婚が一般的になり、明治から戦後まで続いた。
結婚は恋愛結婚であるべきだ、見合い結婚は、家柄・財産目当ての打算結婚だ、と強く主張したのは、明治大正期の英文学者厨川白村(くりやがわはくそん)である。その『近代の恋愛観』は大ベストセラーになり、戦後も十年ほどは読み継がれた。この主張を「恋愛至上主義」と言う。
昨今、女性誌などで、奔放に恋愛を楽しむ芸能人を指して「恋愛至上主義」と呼ぶことがあるが、完全な誤用である。厨川の恋愛観は、恋愛によって結婚し、その相手と生涯添い遂げる、というものだ。彼は言う。自分は「恋愛の自由」を称えたのであり「自由恋愛」を称えたのではない、と。
ところで「新潮45」休刊(実質廃刊)のきっかけを作った小川榮太郎は、「正論」本年五月号には「恋愛至上主義―日本人が死に至る病」を執筆している。これについて、私は本誌九月七日号で、その日本語表記のいいかげんさを批判しておいたが、小川の主旨に一理がないわけではない。
小川はここで、日本の人口減少の要因に恋愛至上主義を挙げ「社会や大人が〔結婚〕させる」見合い結婚が復活すれば人口回復も望めるとする。確かに、結婚したくても相手を見つけにくい人は多く、見合い写真を携えた世話焼きおばさんの活躍に期待もしたい。だが、先進国こそが人口減少に悩む現実を考えると、教育投資の高額化が少子化の大きな要因にもなっている。親族のつながりが強い韓国でも人口減少は深刻なのである。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。
※週刊ポスト2019年1月1・4日号