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エコノミーなきエコロジー

日本企業の革新を阻むのは、日本の「モノづくり」文化(サーチナ)

中国網日本語版(チャイナネット)は2日、日本の「モノづくり」信仰が災いになったと論じる記事を掲載した。以下は同記事より。

日本企業の革新を長期的に阻んでいるものは、日本に根付いた「モノづくり」文化である。多くの日本人が、日本はソフトウェアや金融の才能はないが、「モノづくり」には適していると信じてきた。しかし、製造業がひとたび困難に陥ると、戦後日本の成長の大部分を担った産業が不可逆的な衰退に陥りかねず、日本が20年間にわたる経済停滞から抜け出す機会や大量の労働者、日本の尊厳までもが道連れになって失われる恐れがある。

「日本全体のアイデンティティーが製造業と結びついている」。ソーシャルゲーム大手グリーの創業者、田中良和氏はこう言う。「実際に形のあるモノを生産していなければ、何か怪しいことをやっているかのように扱われる」。

これは日本社会のソフトウェア文化に対する冷淡さの表れである。ソフトウェア文化とハードウェア文化はまったく異なるものだ。ハードウェア文化は他社と最後まで勝ちを争うが、ソフトウェア文化は他社と手を組むなどして自社製品の市場シェアを獲得する。相手との競合をさけつつ、利益を出すのがソフトのやり方だが、これは明らかに日本の得意とすることではない。

政策を制定することで有名な日本政府でさえ、この肝心な問題に関しては方向性を見失っている。政府はこの支離滅裂な電子産業の再編を通じて「チャンピオン企業」を生み出そうとした。政府はここ最近、ソニーや東芝、日立などの子会社を統合させ、韓国や中国、台湾などの企業と競争させようと狙った。

これは日本のハイテク産業が直面する難題である。日本のハイテク企業はライバルと張り合おうという意識がない。現在、日本企業は中国の華為や中興を仮想のライバルとしており、ノキアやシーメンズ、ルーセントなど世界の大手企業との競争を諦めている。しかし、中国の企業も日本企業を最も重要なライバルだとは考えていない。

まぁ、概ね妥当な記事であって私が今さら付け加えることもないでしょうか。問題は、こうした状況から抜け出せない日本経済の方ですね。グローバル経済から取り残された日本では「経済成長の時代は終わった(キリッ」みたいな論調が幅を利かせていますけれど、それこそまさに日本特有の現象なのですから。確かに北朝鮮や内戦が収束しないアフリカの一部国家など日本と同様に成長する気配を見せない国もありますが、だいたいの国は浮き沈みを繰り返しながらも成長を続けている、日本を追い上げたり、追い越したり、日本を突き放したりしているわけです。それでも日本はひたすら内向きになって「経済成長の時代は終わった(キリッ」と念仏を唱え続けるばかりのようですけれど……

おそらく、限界に達しているのはここで指摘されているような「モノづくり」であったり、資本を蓄積させる段階を終えてもなお一方的に輸出するばかりで他国の売り込みには門戸を閉ざすような重商主義路線の方でしょう。そうした古すぎる経済感覚と心中しようとしているのが日本経済と言えそうです。より「儲かる」道を模索するのではなく、「モノづくりこそが正しい」との信条に殉じようとする、経済合理性よりも道徳的な正しさを追い求めてきたのもまた日本経済なのかも知れません。その結果として犠牲になるのは国民でもあるわけですが、しばしば経済的な豊かさを道徳的に正しくないことであるかのごとく語られてきたのが現代日本だとすれば、まぁ因果なものです。

引用元でもう一つ重要な指摘は、日本が張り合おうとしているのが先進国ではなく中国など新興国の企業であるという点ですね。この辺はムキになって否定する人もいそうな気がしますが、少なくとも日本の政策的な判断はそういうものでした。つまり、低賃金からなる低コストを武器に低価格でシェアを広げる新興国の製造業と張り合うべく、負けずと日本企業もコストを下げられるよう規制を緩和して従業員を使い捨てにできる社会へと突き進んできた、日本よりもずっと給与水準が高い国の企業と張り合うべく高付加価値産業への移行を進める代わりに、新興国と張り合えるよう労働者を安く買い叩けるよう「改革」が続けられてきたわけです。そうして非正規などの低賃金労働に依存することでかろうじて経営が成り立つような生産性の低い企業を延命させてきた、イノベーションから逃げ続けてきたのが日本の「改革」であったと言えます。それでも、製造業中心でありさえすれば「正しい」方向に向かっていると感じてしまう人が多いのではないでしょうか。日本は新興国への階段を、後ろ向きに駆け下りているように見えます。

そう言えば、かつてはエコポイント制度をさんざん批判していた人がいました。購買力のある人にしか恩恵のない制度だとか、そもそもまだ使えるモノを捨てて買い換えを促す、モノを大切にしない制度だとか云々。そうした指摘自体は全くの筋違いというわけではないのかも知れませんが、もっとも日本人がモノを大切にするばかりで買い換えないからこそ、いくら国内でモノを作っても売れなくなるわけです。こういうモノを大切に長く使い続ける文化が強い国はモノづくりに向かないと思うのですけれど、それはさておきエコポイント制度を批判していた人が震災後は省エネのためにLED電球に買い換えようなんて声に賛意を表明していたりして、まぁ苦笑せざるを得ません。

震災、というより原発事故後は、輪をかけて文明論が幅を利かせるようにもなりました。「昔は良かった」的な退行志向の言説も左右双方で盛り上がりを見せています。「昔」には「昔」で色々と不便なものや困難なものがあったはずですが、「原発のなかった時代のように暮らせばいいんだ」みたいな主張はある種の人々のトレンドのようです。「昔」のような生活を送れば原発がなくてもエネルギーは足りると、そういう論理もまた垣間見られます。ただ、賞賛される「昔」には今よりもずっと、切り捨てられる弱者は多かったのではないでしょうか。文明が進んで潤沢にエネルギーを消費することが可能になってようやく生きられるようになった人も少なくないのに、とかく強者目線で語る人が増えたのには辟易させられるばかりです。震災後は長らく駅の照明が落とされ、「全く不便ではない、今までが明るすぎたのだ」などと言われることも多かったですけれど、視力に障害のある人にとっては非常に深刻な事態だったと聞きます。

端的に言えば、環境保護は金持ちの道楽です(スローフードだのロハスだのの類も同様ですが、それは別の機会に)。環境保護に理解があるのは、概ね経済的に豊かな国であって、これから豊かになろうとしている国ではむしろ反発の方が強いでしょう?その社会が飢餓レベルに貧しいのでもない限り、むしろ貧乏人の方が太っていたりするものです。ヘルシーな食事とフィットネスは金持ちのもので、貧乏人は安価で高カロリーなジャンクフードを食べては仕事に拘束される日々ですから。エネルギー消費にしたところで、LED照明や省エネ家電への買い換えやソーラーパネルなど自家発電システムの導入に踏み切れるのは中産階級以上ですよね?地球に優しくしていられる余裕があるのは、むしろ経済的に豊かな人の方なのかも知れません。

経済の発展と環境保護は対立するものであるかのごとく語られがちですけれど、それは根本から間違っている、環境保護は経済的な豊かさがあって初めて成り立つのだ、エコノミーなきエコロジーなどあり得ないと、そう思います。ウクライナを初めとした東欧諸国がチェルノブイリ後も原発の稼働を続けたのはなぜか、その理由は考えられてしかるべきでしょう(まぁ、おんぼろ火力発電所をフル稼働させるよりは環境に優しい気もしますが)。しかるに日本では経済成長に背を向けることを以て「成熟」などと称する輩が闊歩しているわけです。既にもう始まっているとも言えますが、これが破綻しないはずはありません。地球環境のことを考えるなら、経済的な豊かさを追い続けることもまた必要なのですが、日本ではひたすら退行志向の人が左右双方から盛り上がっている、そして政治家もそれに媚びるのです。

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