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「日産・ゴーン氏事件」で問われる“日本人の品格”

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日産の代表取締役会長だったカルロス・ゴーン氏が、東京地検特捜部に突然逮捕され、3日後に開かれた臨時取締役会で解職された「日産・ゴーン事件」、起訴事実が、「退任後に別の契約で報酬を受領する合意」を有価証券報告書に記載しなかったという、犯罪に当たるかすら疑問な「罪状」にとどまることがほぼ確実となり、ゴーン氏を解職する「クーデター」を仕掛けた西川廣人社長ら日産経営陣の方が窮地に追い込まれつつある。

一方で、大阪地検特捜部の証拠改ざん問題など、一連の不祥事で、検察改革を迫られ、「引き返す勇気を持つこと」を強調した検察だったが、今回の事件での「大暴走」で「引き返す気」など微塵もないことを露呈した。検察独自の判断でゴーン氏を逮捕・起訴した以上、今後も、なりふり構わず、いかなる手段を使ってでも、有罪判決を得ようと「驀進(ばくしん)」を続けるであろう。

この事件については、逮捕直後に出した【役員報酬の隠蔽は、ゴーン氏主導か、会社主導か】以降、その時々の情報の制約の中で、私なりの分析・検討をしてきた。起訴事実が概ね明らかになったことを受け、12月14日には、【ゴーン氏事件、日産の「大誤算」と検察の「大暴走」の“根本的原因”】と題して、西川社長ら日産経営陣の「大誤算」の原因についても分析したことで、今回の「日産・ゴーン氏事件」の内容についての論評は、概ね書き尽くした感がある。

そうした中で、避けて通ることができないのは、今回の事件を、「日本社会」として、そして、「日本人」として問い直してみることである。

90年代末、日産は、それまでの「ぬるま湯」的な企業体質の結果、経営危機に陥り、倒産寸前の状況まで追い込まれた。メインバンクも救済を拒否、経産省からも見放され、世界の主要な自動車メーカーとの提携・統合を模索するも、手を挙げる企業はなく、万策尽きた状況の中、日産に救いの手を差し伸べたのがルノーであった。

ルノーが、大株主のフランス政府からの資金も含めて8000憶円を出資し、日産は倒産を免れた。そして、ルノーから日産の経営者として送り込まれたゴーン氏が、大胆な経営改革でV字回復を遂げ、それ以降、概ね順調に、日産の業績は拡大し、直近の年度では、最終利益7500億円を計上するに至っている。

こうした中で、今回の「クーデター」が起き、ゴーン氏を代表取締役会長の座から引きずり下ろした西川社長は、ゴーン氏について、逮捕直後の会見で、「初期、非常に大きな改革を行った実績は紛れもない事実だと思う。その後については功罪両方ある」などと述べたのである。

あたかも日産という会社が、ルノーから融資を受け、それと同時に、ゴーン氏を経営者として雇って経営を委ねたというのであれば、まだわかる。しかし、そうではない。ルノーは、自らリスクを負って、倒産寸前の日産に巨額の「出資」をし、43%超の株式を取得し、親会社としてゴーン氏を経営者に送り込んだのである。日産社内には「ルノーからの8000億円は、もう返した」という声があるようだが、それは「融資」の場合の話であろう。出資者に対して言うことではない。

こういう日産側の行いは、日本社会では「恩知らず」と言って軽蔑されてきたのではなかろうか。

もう一つ、今回の事件をめぐっては、ゴーン氏の「高額報酬」批判に結び付けようとする論調が目立った。高額報酬を得ていた「強欲・ゴーン」から日産の経営者の地位を奪うことは無条件に正しいことであり、そのためには、検察の権力を使うことも是認されるという考え方だ。

私は、ゴーン氏を擁護しているわけではないし、「高額報酬」を評価する立場にもない。私が論じてきたのは、ゴーン氏について犯罪が成立するのか、それが、ゴーン氏のような立場の人を突然逮捕することを正当化できる悪質・重大なものと言えるのか、ということと、それをめぐる日産現経営陣の行動の正当性の問題であり、ゴーン氏が日産から得ていた高額報酬の是非とは全く別の問題だ。

ところが、ゴーン氏を逮捕した検察やそれを画策した日産経営陣を批判している私を、「ゴーン氏の高額報酬を擁護している」かのように批判する人がいる。ゴーン氏の報酬が、一般的な日本の大企業の経営者の報酬と比較して高額であったことが今回の事件に関連づけられ、それが問題の根本であるかのように考えられている。

今回の事件を、そのようにとらえて良いのか。それは、我々「日本人の品格」にも関わる問題だ。

「経営者の報酬」をどう考えるか

【役員報酬の隠蔽は、ゴーン氏主導か、会社主導か】でも述べたように、経営トップの報酬の問題は、「会社は誰のものか」についての考え方に大きく左右される。

「会社は株主のもの」であるとすれば、その利益に貢献した経営者には、それに見合う報酬が支払われるのが当然だということになる。一方、「会社は社員のもの」ととらえるとすれば、会社の利益は社員が働いて生み出したものなのだから、社員を代表する経営者の報酬も、社員と比較して相応の金額に抑えられるべきということになる。

そのような考え方の違いは、会社における経営者の役割の違いとも関係している。前者であれば、株主の負託を受けた経営者は、強大な権限を持ち、経営上の意思決定は、基本的にトップダウンで行われる。そして、それによる成果としての企業の利益も、経営者の判断によるところが大きいということになる。

一方、後者の考え方の企業では、会社の意思決定は、基本的にボトムアップで行われ、経営者は、担当部門の意見の最終調整の役割を果たすに過ぎず、経営者の決断によって新たな意思決定が生じる部分は少ない。そのような役割であれば、経営者の報酬も、社員より相対的に多い程度に留めるのが自然だ。

つまり、経営者の報酬は、「株主中心の考え方」では、株主の利益への貢献に応じて与えられるものであるが、「社員中心の考え方」では、社員全体の働きと努力の総体によって生み出された会社の利益を、社員とともに配分するということになる。

戦後の日本では、「社員中心の考え方」が中心で、「日本的経営」「日本的雇用慣行」の背景ともなってきた。しかし、バブル経済崩壊後、欧米的な「株主中心的な考え方」が強まっており、企業経営の在り方や雇用慣行も大きく変わりつつある。

私自身は、「会社は株主のもの」という考え方を徹底する、いわゆるグローバリズムの信奉者ではない。「会社は社員やその家族のためのもの」という考え方は、日本企業の経営の中で、一概に否定されるべきものではないと考えている。

しかし、現実の問題として、経営者の報酬の問題の背景には、上記のような「会社は誰のものか」についての考え方の違いが根本的な問題として存在する。当該企業の中で、実際に、経営者の役割がどのように位置づけられ、どのようにして収益が生み出されているのか、ということを踏まえた上でなければ、その企業の経営者の報酬が相当かどうかを評価することはできないのである。

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