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インフレ目標政策を考える 片岡剛士

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FRBは1月のFOMC(米連邦公開市場委員会)、日本銀行は2月の金融政策決定会合にて、それぞれ「長期的ゴールと金融政策の戦略」(longer-run goals and monetary policy strategy)(http://www.federalreserve.gov/newsevents/press/monetary/20120125c.htm)と「中長期的な物価安定の目処」を打ち出した。これらについて「実質的なインフレ目標政策」であるとの報道がなされている。だが両者は似ているものの、内実は大きく異なると筆者は考える。以下、インフレ目標政策について考えつつ、なぜそうなのかを示すことにしよう。

※文中図表はクリックすると拡大されます。

■インフレ目標政策の特徴

まずFRB、日本銀行の政策を判断する前に、インフレ目標政策とは何かという点について示しておこう。インフレ目標政策は、次の5つの特徴を持つ政策である(図表1)。

図表1 インフレ政策の特徴

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1つ目の特徴は数値目標の設定である。これは明確な数値を設定して、目標達成の有無を明確化するということである。数値目標の設定には、2%といったかたちで目標数値を設定する方法(ポイントで指定する方法)と、1%~3%といった範囲で指定する方法の2つがある。ポイントで指定する方法のメリットは、ターゲットが明確であるために、数値目標の周知が容易であることだ。一方でターゲットがポイント指定であるために、この目標を達成できない場合には中央銀行への信認が失われるというリスクもある。これを回避するのが、範囲で指定する方法である。範囲で指定すれば、ポイントで指定するよりも目標はあいまいとなるリスクがあるが、目標を達成する可能性が高まるために信認を維持する可能性も高まるだろう。

2つ目の特徴は、達成期間の明確化である。中央銀行は短期的にはインフレ率と失業率(景気)のトレード・オフがあることを前提にして金融政策を行っている。ただ、原油価格上昇といった要因が企業のコストを引き上げ、それが価格転嫁というかたちで物価上昇に結びつくケース(コストプッシュ要因にもとづく物価上昇)が、インフレ目標値以上の物価上昇をもたらした際には、インフレ目標値を上回るといって中央銀行が即座に金融引き締め策を行うと、それが失業率(景気)の悪化に結びつくリスクを高めてしまう。インフレ目標政策ではこういった場合に目標インフレ率を逸脱する可能性を認めている。ただし、原油価格上昇といった要因がつづくのは短期的な現象であるため、中長期的には目標を達成するというかたちで達成期間を明確化することが必要となる。

3つ目の特徴は、数値目標の決定と達成手段の決定の区別である。これは、数値目標の設定は政府が基本的に行い、数値目標の達成手段(インフレ目標を達成するための金融政策)は中央銀行が選択するということである。中央銀行はこのことで、インフレ目標という制約条件のなかで自律的に金融政策を行うことになる。

4つ目の特徴は説明責任である。目標となるインフレ率を設定しても、それを達成するためにどのような金融政策を行い、金融政策はどのような効果を持つのかということが明らかでなければ、設定した目標を国民が信認することはできないだろう。後でみるように、各国中央銀行はさまざまなかたちで説明責任を果たすべく努力を行っている。

5つ目の特徴は動学的整合性である。これは金融政策によってインフレ率が安定的になり、かつインフレ目標値を達成する前に、政策変更をしないということを意味する。

以上のように、数値目標の決定と達成手段の決定の区別といった「政策の枠組み」としての側面がひとつ。そして、数値目標の設定や達成期間の明確化、説明責任、動学的整合性といった要素を通じて、国民に広くインフレ目標と金融政策の理解を促すという「コミュニケーション戦略」としての側面。こと2つの側面を兼ね備えた政策が、インフレ目標政策であるといえよう。

■各国の動向

次に各国の動向についてまとめてみよう(図表2)。まずインフレ目標政策を採用している諸国についてである。1990年に採用したニュージーランドから、2007年採用のガーナまでを含めると、インフレ目標政策採用国は26カ国(ただしユーロ加盟によりインフレ目標政策を廃止したフィンランド、スペイン、スロバキアは除く)にのぼる。

図表をみると、数値目標として採用している物価指数は総合CPIが多く、インフレ目標値は先進国の場合は大体2%程度、途上国になると4%や5%といった値を採用している国が多い。図中ではインフレ目標値をポイントで指定している国はその数値を、領域で指定している国はその領域を明示しているが、ポイントで指定している国でも目標インフレ率の上限や下限を明示している国がほとんどである。インフレ目標政策は機械的なルールであるという批判があるが、そのようなものではなく、各国は弾力的なインフレ目標政策を採用している。

そして、インフレ目標採用国で、中央銀行が単独で目標設定を行っている例が少ないことがわかる。これは、専門家集団である中央銀行の意見を考慮しながら、民意を反映した政府が目標を決めるというのが実態であるということだろう。

図表2では、中央銀行の説明責任と政策の透明性についても合わせてまとめている。対象としたのは、金融政策決定に際しての議事要旨の公表、議会への報告、金融政策レポートの公表、目標逸脱の場合の報告、例外条項である。なお例外条項とは、原材料価格の高騰や間接税の変更、価格に影響があるような政府の政策変更、自然災害といった現象によって、インフレ目標が達成できない場合、もしくは達成できそうもないことが予想される場合に、中央銀行はその旨を説明、公表することを意味している。「例外条項あり」とはこの義務が課されているということだ。

図表2 各国の動向
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(注1)ネットインフレ率:政府統制価格、間接税、補助金を除いた物価上昇率。IPCA:11大都市圏における最低賃金の1~40倍の所得を持つ層の消費バスケットを反映したCPI.
(注2)フィンランド、スペイン、スロバキアはユーロ圏加盟(欧州中央銀行による金融政策に従う)に伴いインフレ目標を廃止したため対象からは除外している。
(出所)Roger, Scott(2009),“Inflation Targeting at 20: Achievements and Challenge,”IMF Working Paper WP/09/236、林伴子(2003)『マクロ経済政策の「技術」』日本評論社、武内良樹(2004)「インフレ・ターゲティング」ファイナンス、2004.7及び各国中央銀行ウェブサイトから筆者作成。

次にインフレ目標政策であると宣言していないものの、物価安定の数量的定義を示している国・地域についてみよう。これはFRBや日本銀行に加えて、ユーロ圏やスイスが該当する。これらの国・地域では数値目標の設定は中央銀行が行い、議事要旨の公表や、議会への報告、物価見通しの公表といったかたちで、説明責任と政策の透明性を担保している。日本銀行は「目処」というかたちで物価目標をより明確にしたが、物価上昇率は1%であり、各国と比較しても最低水準であることに留意すべきである。

■インフレ目標政策は物価のみならず、雇用や景気にも注意を払う

インフレ目標政策に関しては、目標とする物価のみに重点を置いて政策を行うものだという指摘がなされることがあるが、このような指摘は誤りであることに注意すべきだ。

図表3は消費者物価指数(食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合)と完全失業率から、わが国のフィリップス曲線を作図している。先ほどもふれたように、短期的には物価と失業率(景気)のトレード・オフが成り立つため、低い失業率を達成しようとすると過度に高いインフレ率に落ち込んでしまうリスクが高まる。一方で、マイルドなデフレに陥っているわが国のように、物価上昇率がゼロ近傍もしくはデフレの下だと、高失業率に陥るリスクが高まってしまう。インフレ目標政策は、マイルドなインフレ率とほどほどの失業率を維持することで、短期的な景気動向を安定化させることを目指す政策である。

図表3 フィリップスカーブとインフレ目標政策
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(出所)総務省『消費者物価指数』、『労働力調査』より筆者作成。

■日本と米国の物価動向の現状

以上がインフレ目標政策の概要だが、FRBと日本銀行の政策変更を評価する際には、米国と日本の現状を踏まえることが必要である。報道を見聞きすると、日本および米国とも「実質的なインフレ目標政策を採用した」という点に力点がおかれているようにも感じる。しかし、政策を判断する際に重要なのは、日本と米国の現状に即した適切な金融政策が、日米の中央銀行の目標を考慮に入れた場合に行われているかという点である。

図表4と図表5は日銀法が施行され、物価安定について日銀の責任が明確となった1998年4月以降から現在(2012年1月)までの物価動向を示している。今回の政策変更の意味を明確にするため、同時期の米国の物価動向も合わせて示した。

図表4は日本の物価動向を示しているが、消費者物価指数につき消費財すべてを対象とした「総合」、生鮮食品を除いた「生鮮食品を除く総合」、食料及びエネルギーを除いた「食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合」の3つの指数についての前年比伸び率をみている。食料やエネルギーといった財を除くのは、これらの財が天候などの非経済的要因で大きく変動するため、経済を反映した物価動向を把握する際には、これらの財を除く方が適当であるためだ。そして、原材料価格高騰による一時的な物価上昇はあっても、1998年以降物価上昇率はマイナスであることがわかる。

図表4 日本の物価動向
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(注)日銀法が施行された1998年4月~2012年1月まで(直近時)の推移
(出所)総務省「消費者物価指数」

図表5は米国の物価動向を示している。FRBが長期的なゴールとしているPCE(個人消費支出)デフレーターと、食料及びエネルギーを除くPCEデフレーターを合わせて示しているが、日本とは異なり物価上昇率がマイナスになったのはリーマン・ショック前後のみであり、他は1%から3%の伸びとなっていることがわかる。

図表5 米国の物価動向
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(注)日銀法が施行された1998年4月~2012年1月まで(直近時)の推移
(出所)BEAウェブサイトから筆者作成

このように、日本と米国の物価動向をみると違いがある。図表6は違いを明確化するため、1998年4月から2012年1月までの166ヶ月のうち、物価上昇率が0%を超える確率、物価上昇率が1%を超える確率、物価上昇率が2%を超える確率と、物価上昇率の平均値、さらに目処およびゴールとしている物価上昇率を記載している。

図表6 物価上昇率で見た日米パフォーマンス比較
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(注)日銀法が施行された1998年4月~2012年1月までの物価上昇率(対前年比)を計算し、物価上昇率が0%、1%、2%を上回っていた確率を計算したもの
(出所)総務省「消費者物価指数」、BEAウェブサイトから筆者作成

日本の場合は、物価上昇率が0%を超えた確率は消費者物価指数(総合)で見て24.1%、消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)でみて18.1%、消費者物価指数(食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合)でみて6%しかない。つまりほとんどの期間で、物価上昇率がマイナスであるということである。一方米国の場合は、物価上昇率が0%を超えた確率はPCEデフレーターで見て96.4%、食料及びエネルギーを除いた場合のPCEデフレーターで見て100%となっている。

今回、日本銀行は消費者物価指数(総合)で1.0%を「目途」としたが、1%という物価上昇率は過去ほとんど達成できていない水準であることがわかる。一方、米国の場合は、もともと暗黙裡に1.5%~2.0%の物価上昇率をターゲットとしているのではといわれてきたが、当該期間のPCEデフレーターの前年比平均値は2.1%であり、長期的ゴールである2%とほぼ同じである。つまり、すでに達成できている物価上昇率を改めて明示したのが米国であるということだ。

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