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"指輪は給料3カ月分"を信じる新婦の哀れ

婚約指輪には「給料3カ月分」という“相場”があるといわれる。この相場ができた経緯はハッキリしている。約30年前、ある企業がプロモーションでこの相場を定着させたのだ。マーケティング戦略コンサルタントの永井孝尚氏は「最初に見せた情報と価格は、知らぬ間にお客さんに刷り込まれている。これが行動経済学の『アンカリング効果』だ」と解説する――。

※本稿は、『なんでその価格で売れちゃうの? 行動経済学でわかる「値づけの科学」』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■アンカリングはどう作ればいいのか

お客さんは商品の品質と価格を判断する時は「アンカリング」を基準にして考える。アンカリングをうまく生かせば高く売れるようになる。(アンカリングについては「1円の水を100円で売る方法」の記事を参照)。

ではこのアンカリングは、どのように作ればよいのだろうか? ここで「まずお客さんに聞いてみよう」と考えてはいけない。あなたが自分で考える必要があるのだ。その理由を実際の事例を見ながら、考えてみよう。

■黒真珠は「ガラクタ」だった

真珠の中でも、黒真珠は高く取引されている。しかし当初、黒真珠はガラクタ扱いだった。


イタリアのある宝石商が、ポリネシアでサンゴ島を買った。このサンゴ島にはクロチョウガイが生息していて、殻から黒真珠がゴロゴロ出てくる。宝石商は「これは売れるかも」と考えた。しかし当時は真珠といえば、日本産の美しい白真珠が当たり前の時代だった。

まったく新しい黒真珠は、販路も需要もまったくなかった。そんな中、彼はとりあえず世界中に売り込みをはじめてみたが、最初の頃は「色も形もまるで鉄砲玉みたいだ」と言われ、一つも注文を取れなかったという。

この時点で、黒真珠の商売を完全にやめるか、価格を下げてディスカウント店で売るか、あるいは白真珠とセット販売する方法もあったが、彼はそうしなかった。かわりに1年間かけてじっくりと品質が高い黒真珠を完成させた。その上で、ニューヨーク五番街にある旧友の宝石商に相談し、アドバイスをもらった。

■新商品が高いか安いかを客は判断できない

そして友人の店のショーウインドーで高い値札を付けて黒真珠を売り始める一方、豪華グラビア雑誌に全面広告で、黒真珠のネックレスがダイヤモンドとルビーのブローチと一緒に光り輝く写真を出した。

するとニューヨークのセレブたちが黒真珠を着けるようになり、これがきっかけで黒真珠は希少な超高級ジュエリーとして世界中に広まった。当初はガラクタ同然と思われていた黒真珠だったが、「ニューヨークのセレブが身にまとう超高級品」として、世界がアンカリングされたのである。

世の中にない新商品の場合は、そもそも需要が存在していないので、その価格が高いのか安いのかを、お客さんは判断できない。こんな時、お客さんにバカ正直に「いくらにしましょうか?」と聞くのは、愚の骨頂である。わざわざお金をドブに流して捨てているようなものだ。

新商品で価格を付ける際に必要なことは、需要を生み出した上で、「アンカーを作る」ことだ。価格の基準を作るのは、他の誰でもない。私たちなのである。

■「婚約指輪は給料3カ月分」はどこから?

「結婚のご祝儀は、友人なら3万円が相場」と一般に言われている。同じように、こんな話を聞いたことがある人も多いはずだ。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/nycshooter

「婚約指輪は給料の3カ月分が目安です」

しかし、実はこれは高級宝石を扱うデビアスのマーケティングプロモーションによって作られた、婚約指輪の相場である。

そもそも日本には婚約指輪を贈る習慣はなかった。1967年にダイヤモンドの婚約指輪をもらう花嫁は、20人に一人しかいなかったという。しかしデビアスが「ダイヤモンドは永遠の輝き」などの広告キャンペーンを行った結果、いまではほぼすべての花嫁が婚約指輪を受け取るようになった。

もともと、婚約指輪の客観的な価格は存在していなかった。そこでデビアスは基準を作ったのだ。結果、結婚するカップルは「婚約指輪は、給料の3カ月分」とアンカリングされるようになり、この価格が標準となった。

■アンカリングは社会に定着する

デビアスがこのプロモーションをしたのは1970年代から1980年代後半まで。30年前に終わったプロモーションだが、いまの若い人も知っている。一度アンカリングが広く認知されると、アンカリングは社会に定着するということだ。

ちなみに郷ひろみも1987年に二谷友里恵と結婚した際、芸能リポーターから婚約指輪の価格を聞かれ、「ボクの給料の3カ月分くらいです」と答えたそうである。

ガチョウのひなは、生まれて初めて見たものを親と思い込む習性がある。それがロボットであっても、動くロボットの後をヨチヨチと付いていく。これを「刷り込み」という。アンカリングは、この「刷り込み」と同じなのである。

お客さんは、最初に見せられた情報と価格により、知らぬ間に心の中にその情報と価格が刷り込まれてしまう。それらは、ひなが最初に見たものを親として刷り込まれるのと同じで、なかなか変わらない。


■安値は客の心に刷り込まれる

だから新商品発売の際に、最初から安い価格にするのは、必ずしも得策ではない。最初に見せた安い価格がお客さんの心の中に刷り込まれてしまうのである。

「1円の水を100円で売る方法」で紹介したように、ミネラルウオーターは100円でアンカリングされるし、今回紹介したように黒真珠は高価格で、そして婚約指輪は給料の3カ月分で、しっかりとアンカリングされる。

価格を決める場合は、お客さんの心理まで考える必要があるということだ。その際に、行動経済学の「アンカリング」の考え方を理解することは、とても大切なのである。このアンカリングの仕組みを理解しないと、たとえいい商品であってもなかなか売れなくなってしまうのだ。

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永井孝尚(ながい・たかひさ)

マーケティング戦略コンサルタント

1984年慶應義塾大学工学部卒業、日本IBM入社。マーケティング戦略のプロとして事業戦略策定と実施を担当。さらに人材育成責任者として人材育成戦略策定と実施を担当。2013年に日本IBMを退社。ウォンツアンドバリュー株式会社を設立して代表に就任。執筆の傍ら、幅広い企業や団体を対象に新規事業開発支援を行う一方、講演や研修を通じてマーケティング戦略の面白さを伝え続けている。主な著書にシリーズ60万部の『100円のコーラを1000円で売る方法』(KADOKAWA)、10万部の『これ、いったいどうやったら売れるんですか?』(SB新書)などがある。永井孝尚オフィシャルサイトhttps://takahisanagai.com

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(マーケティング戦略コンサルタント 永井 孝尚 写真=iStock.com)

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