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安倍・プーチン北方領土交渉「2島」どころか「0島」に終わる危険性も

Getty Images

[ロンドン発]安倍晋三首相がロシアのウラジーミル・プーチン大統領との首脳会談で、1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速することで合意した。

56年宣言は北方領土について「平和条約を締結した後に、歯舞群島と色丹島を引き渡す」と記しているため、安倍首相が4島一括返還の政府方針を転換したと大騒ぎになっている。

日本には、アジア太平洋の軍事的脅威として台頭する中国に対し、中露分断を図る地政学上の狙いがある。しかし米露関係が悪化する中、安倍首相の新アプローチは米国の対露強硬派を刺激するかもしれない。

「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正に突き進む安倍首相はドナルド・トランプ米大統領との親密な関係を背景に「北方領土の解決」を自らの政治的レガシー(遺産)に付け加えたいだけなのか。

まず、これまでに俎上にのぼった解決策を見ておこう。

BLOGOS編集部

【4島即時一括返還論】かつての日本政府方針
【4島一括返還論】日本への帰属が確認されれば返還時期については柔軟に対応するという現在の政府方針
【面積等分(3.5島返還)論】歯舞、色丹、国後の3島と択捉の一部を返還。2006年に麻生太郎外相(当時)が言及
【3島返還論】択捉を除く3島返還。13年に森喜朗元首相が言及
【2島プラスα返還論】歯舞、色丹を返還。国後の一部返還や国後、択捉での日露共同経済活動も想定
【2島先行・段階論】歯舞、色丹を返還。国後、択捉は継続協議
【2島返還論】プーチン大統領らロシア側要人が言及するも、ロシア国内には根強い反対論も
参考:「日露間の領土交渉」(国会図書館、河内明子)

4島一括返還に一番近づいたのは約20年前

北方領土問題が日本の悲願である「4島一括返還」に一番近づいたのは97年11月にクラスノヤルスク郊外で橋本龍太郎首相とボリス・エリツィン大統領(いずれも故人)が会談した時だろう。

橋本龍太郎元首相=Getty Images

筆者は産経新聞のロンドン特派員時代、97年から4年近くクレムリン(大統領府)番記者を務め、その後、英国に亡命したロシア人女性ジャーナリスト、エレーナ・トレグボワさんにインタビューしたことがある。

トレグボワさんがエリツィン大統領に同行していた側近から取材した話によると、大統領は橋本首相との非公式会談で4島返還を約束。これに驚いた大統領報道官が「大統領、やめてください」と翻意を迫った。

エリツィン大統領は不服そうに「私はリュウ(橋本首相の愛称)に約束した。お前はそれを許さないのか。大いに不満だが、よし、分かった。向こうへ行け」と報道官に対応を任せたという。

この会談では「(4島の帰属問題を解決して平和条約を締結するという交渉指針を示した)東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」との合意文書が作成され、「メガトン級の歴史的合意」と日本側の交渉団を驚かせた。

解決を阻んだのはプーチン大統領と日本の保守派

ロシアの国力(経済力)は原油価格と強い相関関係がある。原油価格が下がればロシアは低姿勢になり、上昇すれば高圧的になる傾向がある。

原油価格は1986年3月に1バレル=10.25ドルの最安値まで下がり、旧ソ連は91年に崩壊。クラスノヤルスク会談が行われた97年当時も「国家崩壊ライン」と言われる20ドルを割り続けていた。

木村正人

原油価格が低迷している時期が日本にとって北方領土問題を解決する最大のチャンスだった。解決できなかったのはプーチン大統領が登場したことが大きいが、「日本固有の領土」論を錦の御旗にする保守派も「4島一括返還」に固執した。

原理・原則を重視する丹波實元駐露大使(故人)は「『歴史の正義』に妥協はあり得ぬ」として「50年でも100年でも頑張っていたほうが、おかしな妥協をして決着をつけるよりも、国益上は上である」と4島返還にこだわる方針を唱えた。

原油価格は2008年7月に145.31ドルに最高値をつけたが、16年2月には26.19ドルまで暴落。国際通貨基金(IMF)の推定では今年中にロシアの名目GDPは韓国に追い抜かれる見通しだ。

プーチン大統領は自らの求心力を保つため、ジョージア紛争、クリミア併合、ウクライナ東部や中東シリアへの軍事介入と拡張主義をむき出しにしてきた。

同年の米大統領選で民主党のクリントン陣営にサイバー攻撃を仕掛け、今年3月には英南西部ソールズベリーでロシア軍参謀本部情報総局(GRU)元大佐と娘を兵器級の神経剤ノビチョクで襲撃、警官や市民2人も巻き添えとなり、1人が死亡。

欧米との関係は冷戦終結後、最悪の状態に陥っている。

プーチン氏「いわば引き分けのようなもの」

一方、日本に対しても10年11月、ドミートリー・メドベージェフ大統領(当時)が国家元首として初めて国後島を訪問。翌11年には、国防相に「クリル」諸島(北方四島と千島列島)の装備の近代化を指示した。

大統領に復帰したプーチン氏は12年3月、朝日新聞との会見で北方領土問題について「必要なのは受け入れ可能な妥協」「いわば『引き分け』のようなもの」と発言。

13年2月、森喜朗元首相に「引き分け」の真意を問われ、「勝ち負けなしの解決、双方が受け入れ可能な解決策を意味する」と答え、安倍首相とプーチン大統領の交渉が再開された。

しかし交渉は全く進展せず、地対艦ミサイル「バスチオン(要塞)」「バル」が択捉と国後に配備された。これが「日本固有の領土」論がもたらした厳しい現実だ。

プーチン大統領の本心は「0島」の理由

プーチン大統領は今年9月、安倍首相に「年内に平和条約を結んだ後、友人としてすべての問題を解決していく」と北方領土問題を先送りする考えを示した。

このままでは交渉は決裂すると見た安倍首相が23回目の首脳会談で「56年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速する」というボールを投げ返したのである。

しかし、米露関係は悪化しており、ロシアに譲歩するには最悪のタイミングと言って良いだろう。

北方領土問題に詳しい九州大学・北海道大学の岩下明裕教授は非常に厳しい見方を示している。岩下教授に尋ねてみた。

――プーチン大統領の本心は「0島」だと考えられる理由は何なのでしょう

「56年宣言以降の闘いの基線は、ロシアは2を限りなく0に近づける、日本はこれを4に近づけるという綱引きだったのではないでしょうか」

「交渉の入り口で4をやめて2で始めれば、ロシアのペースに乗ったということで、良くて2島が満額となるのは自然です。プーチン大統領は以前、2島を日本がとったら『日本の一本勝ち』と発言したことがあります」

「むしろ交渉で満額取れるはずもないので、2島マイナスαが落としどころになります。αがどこまで下がるか場合によっては限りなく0に近づくこともあり得るわけです」

「このような単純なことを理解しない論者が多いのにはびっくりしています。日本の外交は『希望の外交』と言いますが、本当にその通りであきれています」

「カギは2005年の小泉純一郎首相とプーチン大統領の首脳会談にあります。あの時もプーチン大統領は国後・択捉は論外、2島も無条件ではない、交渉次第と言ったのです」

「小泉首相は席を蹴って立ちました。共同声明も出さなかった。だからそのあと、安倍首相が出てくるまで全く交渉がなかったのです。それからプーチン大統領は同じことを繰り返しているだけです」

――安倍首相は北方領土の解決を自らの政治的レガシーに付け加えたいだけなのでしょうか

「安倍首相はとにかく自分の『政権維持ファースト』でモノを考えていると思います。外交について言えば、北朝鮮とロシアは戦後外交の総決算のテーマです。中曽根康弘首相も小泉首相もやろうとして失敗した。だから自分が、ということもあると思います」

――米露関係が悪化する中、安倍首相の新アプローチは米国の対露強硬派を刺激するかもしれません

「最近は、中露分断は難しい、中露連携を前提として対応を考えるべきという政策担当者も増えているようです。ロシアが中国一辺倒になるのを避けてバランスをとりたいと思っているのは確かです」

「しかし、ロシア側は日本と組んでそれができるとは思っていないし、またやろうとも思っていないように思います」

「実は米国にはロシアと日本を結び付けて考える発想は強くありません。ロシアは欧州の延長のなかで位置付けられ、アジアではあまり考慮されていないからです」

「トランプ大統領の発想から言えば、ロシアと関係改善はしてもいいけど、『その分はシンゾー、経済はわかっているな』となるのではないでしょうか」

「むしろ、ロシアより中国に接近しようとしている方が安倍首相にとってはトランプ・リスクを警戒する必要があるでしょう」

参考:「北方領土「面積等分」「3・5島返還」の妄想」(2013年5月13日、筆者エントリー)

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