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要介護を受け入れられるかなんて、それはなってみないとわからない。介護が必要になる前の自分と、なってからの自分は違うんだから - 「賢人論。」第76回養老孟司氏(前編)

「地方消滅」や「空き家問題」などに対して、一定期間を田舎で過ごすことを習慣化する「平成の参勤交代」を提言している養老孟司先生。神奈川県の箱根にある「養老昆虫館」で採取してきたゾウムシの標本作りに没頭するその姿は、その体現者と言えそうだ。その養老先生に、自らの「人生設計」や「老い」の考え方について聞いていこう。

取材・文/ボブ内藤 撮影/公家勇人

「やってみなけりゃわからない」って言うと無責任だって言われます。でも、人生で大事なことの大半はそんなものです

みんなの介護 先生は57歳のとき、定年の3年前に東京大学医学部教授を退官されています。どんな人生設計からその判断をされたのですか?

養老 設計なんてしてませんよ。辞めたらどうするかということさえ考えてなかった。

そしたら、ある同僚が「そんなふうに大学を辞めて、よく不安になりませんね」と言うから、つい言い返しちゃった。

「先生はいつお亡くなりになりますか?わからない?よく不安になりませんね」って(笑)。

別の2歳上の同僚が言っていた通り、大学というところは「ガマン会」なんです。だから人生設計も何もなくて、ガマンの限度がきたので辞めたまでのことです。

そうすると、大学を辞めた日を境にして、世界が明るく見えるようになりました。これは比喩ではなくて、事実として明るく見えるようになったんです。

そのことで初めて僕は、それまで自分がどれだけ無理をしていたかを知ったのです。無意識は、自分で気づくことができないというわけですね。

みんなの介護 それは、不安とはほど遠い心境だったわけですね?

養老 ええ、その通り。何しろ、勤めているうちに制限されていた虫採りを好きなようにできるわけですから。

こんなふうに、人生のうちで大事なことは、「やってみなけりゃわからない」ということが実に多い。僕の得意分野ではないけど、ビジネスの世界だってそうでしょ?新しい事業になればなるほど、成功するかどうかはわからない。だから、そこに「こうすれば成功する」という根拠を求めようと思うと、何も前に進まなくなってしまう。

みんなの介護 確かに、おっしゃる通りです。

養老 「やってみなけりゃわからない」と言うと、今の人は「無責任だ」と言うんです。物事に何でも意味を求める都会人の悪癖です。

だから、僕はそういう人に「田舎に行って自然を体験しろ」と言っているんです。

“都会の意味”に囲まれ過ぎている人は、“意味のない自然”のなかで身体感覚を取り戻した方が良い

みんなの介護 「田舎で自然を体験する」というのは、先生が主張されている「平成の参勤交代」のことですね。詳しく説明していただけませんか?

養老 都会というのは、意味のあるものだけの世界です。オフィスビルの部屋は、風が吹かない、雨も降らない、エアコンで常に温度も一定です。

ところが自然は、これとは正反対。雨が降ったら地面はぬかるんで歩きにくくなるし、日が傾いたら辺りがまっ暗になって視界も狭くなる。そういう自然現象には意味がありません。人間にとっては無意味なもの。

つまり、「そこに意味があるはずだ」と思っても、わかるはずのない世界です。

みんなの介護 つまり、自然に触れることで、「わからないもの」に対処する判断力が養われるわけですね?

養老 そうです。一定期間を田舎で暮らして、意味のない世界を知る。怠けず、自分の身体を使って働いて、便利な都会で使わなくなった身体感覚を取り戻せというわけです。

みんなの介護 近年、「地方消滅」や「空き家問題」などが深刻化していますが、「平成の参勤交代」はその処方箋にもなりそうですね。

養老 虫採りに行くのはたいてい田舎だから、地方に人が少なくなっていること、それから空き家が増えていることは肌で感じますよ。

だから、田舎は貴重なものではなくて、あらゆるところにすでに用意されているんです。日本人は遊牧民じゃなくて農耕民だから、移動するのに抵抗感があるのかもしれないけど、住むところを1つじゃなくて2つ、あるいは3つと増やせば世界が広がるのにね。

東京に直下型の地震が起こってマンションに住めなくなっても、疎開先として機能してくれるわけだから。

自然現象である”老い”に責任を持つのは本当に難しいこと

みんなの介護 先生は、ご自身の「老い」を自覚することはありますか?

養老 僕が初めて「老い」に気づいたのは、60代になって会合に参加し、自分がいちばん年上だということに気づいたときです。

「老い」というものは、自分でそう感じるのではなくて、人と比較したり、人に言われて気づくものだと思います。

強いて言えば老眼だけど、これは老人と言われるより前の年から始まっているから、「老い」として認識したりすることはないし。

みんなの介護 自分の「老い」はことさら大袈裟に考えるものではないのでしょうか。

養老 そうだと思いますよ。「介護」についても同じこと。

自分が、家族が、車椅子なしでは生活していけなくなったらどうしよう、寝たきりになったらどうしようなんて考えても、キリがありません。

大事なのは、介護が必要になったとき、その状態を受け入れる気持ちが持てるかどうかということでしょ?だけどそれは、なってみないとわからない。

なぜなら、「その状態になる前の自分と、なってからの自分は違う」から。

人間が老いるというのは自然現象で、だからこそ、なってみて、その場で考えれば良いんです。そんなこと言うと、また「無責任だ」と言われるかもしれないけど、そうした自然現象に責任を持つのは、本当に難しいことだと思います。

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