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「シミ抜きは闘いだ!」~さようなら。奇跡のクリーニング店「バンクリーニング」~ -星 いも子

 2018年10月5日。東京でまた、ひとつの名店がその歴史に幕を閉じた。

【写真】シミ抜きの秘密

 新宿区市谷台町。かつてフジテレビの城下町として栄えた都道302号線沿いに「バンクリーニング」はあった。通り過ぎた人の方が多いかもしれない。一見するとなんの変哲もない町のクリーニング屋。でも実はここ、名だたるファッション業界のプロたちから愛されてきた、知られざる名店なのだ。

 何を隠そう私も「バンさん」ファンの一人。6年前、クリーニング難民だった時期に雑誌「GINZA」の記事が目に止まった。某有名スタイリストさんが「奇跡の一店」として同店を紹介していたのだ。慌てて駆け込んで以来、数々の汗と涙の跡をきれいに落としてくれたバンさん……。もう大切な洋服を預けることはできないけれど、せめてこの店の記憶を刻んでおきたいと思う。

バンクリーニングの外観

「シミ抜きは闘いだ!」

 お店に行けば、奥様の須藤哲子さん(67)がエプロンを身につけ、「いらっしゃい~」と、ちゃきちゃきした笑顔で出迎えてくれる。哲子さんの他に、看板娘が二人。実娘の美里さん・美咲さんの美人姉妹が交代で店番をする。店奥の工場で洗いやドライの作業を黙々とこなしているのは、ご主人の須藤求(もとむ)さん(70)。この人の腕がもう、ピカイチなのだ。

 常連客の間で、特に評判が高いのがシミ抜き。連日、専門店でもないこの店に、他店で落ちなかったシミつきの服がたくさん持ち込まれている。その秘訣に迫りたくて尋ねてみると、返ってきたのは意外な答えだった。

「シミ抜きはね、闘いなんですよ」

 え? 戸惑っていると、ニッと人懐こい笑みを浮かべて説明してくれた。

「俺は格闘技が好きなんだけど、それと同じで負けたくないわけ、仕事で。きれいになるものは、きれいにしてあげたい。だからうちにはシミ抜き目当てのお客さんが多いんだよね」

まるでオーダーメイドクリーニング

 特別な技術があるわけじゃない、気合だ、そう言われているような気がした。バンさんでは、汚れの状態や客の要望を細かく把握し、ひとつひとつ異なる理想の仕上がりを実現している。そのこだわりは、もはやオーダーメイドといっても過言ではない。

 例えば、常連のお鮨屋さん。他の衣類とは別工程で前日から丹念に漂白作業を行なう。そのお陰か、何十年ものの割烹着は今でも清々しいまでに真っ白だ。

 そして驚いたのがネクタイ。汚れのひどいものは一度全部ほどいて真っ平らにして水洗いに通し、綺麗にしてから縫い直すのだ。だから、ヨレヨレのネクタイだって新品以上にシャキッと見違える。

 さらに、裾のほつれや、ボタンが取れているものは哲子さんがこっそり繕ってくれる。しかも驚くことに、価格はどれも通常のクリーニング料金で収めることがほとんど。「分かる人だけ、分かってくれればいい」(哲子さん)、そんなあたたかい気遣いを、夫婦は人知れず何十年もの間続けてきた。

「本当は倍くらいの値段はもらいたいんだけどね。でも、みんな次また来てくれるじゃない? それでいい」(求さん)

仕上げの最終関門

 仕上げの最終関門は受付である。ビニールカバーをかけ、店頭に衣類を並べる前に、シミがないか、匂いは残っていないか、隈なくチェックし、受付に立つ哲子さんや美里さん・美咲さんの納得が行かなければ何度でもやり直しが入る。二人娘が内情を教えてくれた。

「父、格好いいこと言ってるけど、実際はやり直しをめっちゃ嫌がりますよ(笑)。こっちもしつこいから。ちょっと気になるところあったら『もっかいやって!』って何度でも戻すんです。『もう見えないよ俺には~』ってよくぼやいてます(笑)」(妹・美咲さん)

 最近では、二人の娘たちが母を超える関門として父に立ちはだかっていると聞くが……。

「超えない、超えない(笑)。もうすごいから。うちには『哲子の壁』っていうのがあるんです(笑)」(姉・美里さん)

バブルも終わりを迎える頃、こだわりのクリーニングへ舵を切った

 今から約50年前。中学の卒業式を終えた翌日、少年は息つく間もなく新潟・南魚沼の実家を飛び出した。自立心だけは旺盛だった。

「農家のね、次男坊だったの。だからもう家にいらんないな、と思って。とにかく田舎を出たかったんだ。あの頃だから、蒸気機関車で『雪国』で有名な清水トンネルを抜けて……、見送りにきた親父とお袋に『(煙が入るから)戸、閉めろよ!』なんて言われたっけ」(求さん)

 世田谷の“叔父貴”が経営する「大番(おおばん)クリーニング店」に身を寄せたのが、バンクリーニングの始まりだ。転々と修行を積むうち、新宿7丁目で閉店する店を引き継がないかと誘いがあった。当時20歳だった求さん。開店資金などあるはずもなかった。不安な気持ちで実家を訪ねると、農家だった父は何も聞かずに180万円という大金を用意してくれた。その優しさが求さんを本気にさせた。

 時は昭和40年代。かつて「西洋洗濯店」と呼ばれたクリーニング店は、機械化が進み、大手業者が次々参入する開店ラッシュ。新宿の店には、歌舞伎町やフジテレビから衣装が引っ切りなしに持ち込まれた。そんなある日、お酒を飲むことだけが楽しみだったという求さんの目に止まった一人の女性がいた。

「無垢な人が来たもんだ」

 この人こそ、青森を出て服飾の専門学校を卒業し、アパレルメーカーで働きながらアルバイトで来ていた哲子さんだった。

 25歳と22歳で結婚。二人の子宝に恵まれた頃、時代はバブルの全盛期を迎える。夕飯はいつも22時過ぎ。二人娘はいつだって首を長くして両親の帰りを待つ毎日だった。とにかく数をこなすのに精一杯で、シミなど気にも留めず「落ちないものは落ちない」と強気で突っ返していた。激動の時代を文字通り「生き抜いた」のだ。

 ところが、そんなめまぐるしい時代の中で、夫婦はふと立ち止まった。「お客様に本当に喜んでもらいたい」、いつからかそれが二人の合言葉になっていた。ちょうどバブルも終わりを迎える頃、数が勝負の世界から、こだわりのクリーニングへ舵を切った。

「まあ、性分だろうね。あれ(哲子さん)も、うるさいからね(笑)。変な駆け引きゼロだから。着る時にお客さんに辛い思いさせたくないとかさ、完璧主義だもん。いつからか私もそっちの方へ引き摺り込まれちゃって、アハハ」(求さん)

クリーニング「2020年問題」

 そんな名店も、俗に言う「後継者問題」からは逃れることができなかった。

「本当は婿さんに継いでもらえたらなんて思ったけど、はっきり断られたからね(笑)。それなら、元気なうちに、いい時にやめようって」

 そう言って哲子さんは明るく笑った。

 日本は、町の個人店から大型チェーン店まで、約10万軒がひしめく世界一のクリーニング大国といわれる。ところが、昭和40年代のラッシュ時に開店した店が、店主の高齢化により2020年前後を境に、次々と閉店の危機に直面しているそうだ。しかも、大型チェーン店の席巻により価格競争が激化した業界では、「安かろう悪かろう」のサービスが常態化しているという。NPO法人クリーニング・カスタマーズサポート代表の鈴木和幸氏に聞いた。

「昭和40年代以降、大型店が次々参入し、大型機械を使ってアルバイトやパートを動員して、大量生産を可能にして来ました。その結果、価格競争が激化。据え置き価格で生産性を上げるため、過酷な労働環境が強いられ、サービスの質を落とす店が増えました。落ちるかわからないシミ抜きのための代金の事前請求が一般化し、乾燥が不十分で衣類が石油臭くなって戻ってくるようなこともあります。バンクリーニングさんのように、ネクタイを全部解いて洗ってくれるようなお店は、本当の名人。東京でも今では数えるほどしかないと思います」

一番の秘訣は、お客さんの声が聞こえること

 バンさんで30年というクリーニング職人の佐藤さんは「今まで働いた店の中で一番すごい」とその技術を評する。

「大手で働いていたこともありますが、雑な店は多いんです。会社からは『とにかく数あげて下さい』『シミなんかはもういいから』ってそのまま流れ作業で。ここは、すごいきれいなのに早いしね。他では真似できない仕事だと思うよ」

 二人娘が店を手伝うのも、両親の仕事ぶりに誇りを持っているからに違いない。

「でもうちではそれが当たり前で。他のクリーニング屋さんからうちに移ってくるお客さんも多いんですけど、シミ抜きで傷んだ服なんか見て『なんでこんな仕事してるんだろう?』って、そっちの方が信じられなかった」(美里さん)

 求さんの言葉を思い出す。

「一番の秘訣は、お客さんの声が聞こえること。怒ってる声も、喜んでる声も、全部俺に聞かせてくれって、受付にそう頼んでるの。声が聞こえる、顔が分かるから頑張れる。喜ぶ声が聞きたいから、俺は一生懸命やるんだよ」(求さん)

 仕事の原点を教わった気がした。さようなら、バンクリーニング。

写真=末永裕樹/文藝春秋

(星 いも子)

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