ここまで見てきて、ひとつのことが思い浮かんできた。同時に、自分のなかでの報告書の書籍化への違和感の正体もわかってきた気がした。何を連想したかというと、「24時間テレビ」。あのチャリティーを謳って、芸能人のマラソンを長時間に渡って実況中継する人気番組だ。
子どもや老人が、ペットボトルいっぱいに貯めた小銭を持って駆け付ける、おなじみの光景。が、番組を放送しているテレビ局自体は広告料収入をきっちりと頂き、その大部分を寄付するようなことはない。番組を作っているのは、超高給のテレビ局社員と高額ギャラの芸能人。偽善と言われようがバラエティだろうが、何もやらないで批判するよりチャリティーはやった方が良いに決まっている。が、その構図にどうもすっきりしない感情は残ってしまう。
今回の報告書書籍化もなにか同じものを感じてしまった。報告書作成の実務にあたった方々は先述のブログをみる限り、実直に取り組み、報酬も受け取っていないのだろう。錚々たるメンバーと超一等地である赤坂のアークヒルズにオフィスを構えていることをみても、財団が印税目当てでもないのだろうし、事故の真相を掘り起こす作業は、貴重だろう。
が、違和感を抱いてしまうのは、本の販売につなげる全体像ともに、妙に公共性を打ち出す姿勢だ。儲け主義ではないにしても、取るものは取る。取るものは出版社にとってはカネだったのかもしれないし、財団にとっては「ベストセラーを生んだ、あの注目の財団」という名誉もあったのかもしれない。その一方で、過度に公共性を打ち出す。印税分の使い道も、財団サイトによると「国際シンポジウムの開催や外国語での報告書出版ほか、福島原発事故の調査・検証結果を日本と世界の未来のために生かす活動」なのだという。無理やり公共性を出したかのようで回りくどい書き方だが、要は財団の活動資金に充てるということ。本当に印税分を財団として当てにしていないなら「必要経費を除いて、赤十字に寄付します」とでも書けばいいハナシだ。
今回の報告書は「本を売る」商売として見た場合、公共性の美味しいとこ取りをしているようにも見えてしまう。もしここまで公共性を謳わずに、フリージャーナリスト集団として真相に迫りたいと取材した場合。はたして、取材対象は報告書ほどに協力しただろうか。内容を発表する記者会見を開いても、多くの記者が集まっただろうか。そして、多くの媒体で内容を紹介してもらえたのだろうか。
公共性を打ち出す裏側で、しっかり自分自身は取るものを取るというのは、実はマスコミ産業の伝統芸だ。チャリティを打ち出しながら、きっちり商売はする「24時間テレビ」。ホリエモンによる買収に抵抗した際のフジテレビの理由付けも「放送の公共性を守る」だった(経営主体が変わることが即、公共性を損なうことにつながるわけではない。損なう放送が実際に会ったときに、法的な措置があればいいだけのハナシ)。「報道を守るため」という新聞の再販制度特例扱い(再販制のないアメリカには報道はないのかと言いたくなるが)。
最初から正々堂々と謳えばいいのに、と思う。「非営利」だの「独立」とかいう「財団」を掲げず、有志のジャーナリスト・専門家集団が事故の真相を掘り起こす。政府の情報公開はボロボロだからやります。公共性の高い仕事です。取材費を賄うためにも、次の仕事につなげるためにも、いい仕事をした人間が経済的にも報われるためにも、売上はしっかり必要ですと。そして、「実費」で販売などと言わず、売れそうな上限額、例えば1冊3,000円くらいで売ればいいのだ。
本の収益構造などに詳しくないだけに、わたしの事実誤認もあるのかもしれない。報告書の内容や携わった人々の想いは真摯なのだろう。
けれど、今回の報告書の売り出し方には、何か、既存メディアの伝統芸である、情報コントロールをして売り出す手法と、嫌な公共性の打ち出し方を見せられた気がして、どうもすっきりしないのだ。
記事
- 2012年03月09日 08:00
「24時間テレビ」と化したアマゾン1位の「民間事故調報告書」
2/2- anti-monos
- 現在はネット関連企業勤務の元テレビ局ディレクター