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- 2012年03月08日 10:22
もう一度「一般理論」に挑戦する(3・完) 山形浩生×飯田泰之
2/2ケインズ以外の古典にも挑戦する
飯田 あとひとつ。ケインズの著作は古典としてヒントになるところがあったり、もしかしたら、そのまま適用できるところもあるかもしれません。その一方で、ケインズ以外に面白い古典は何があるでしょうか?山形 ぼくはケインズに手を着ける前にアダム・スミスとマルクスをちょこっとやっていて、どっちもそれなりに面白いけれども、今なら式で一発で書けるものを、何で一章かけてやっているんだという感じなんですよね。ケインズの『一般理論』もそうですが、やっぱり最初から最後まで細かく読んですべてを理解するというよりは、流し読み、拾い読みしつつヒントを拾っていくほうがよろしい。
その意味ではアダム・スミスは面白いし、マルクスも好き嫌いはともかくとして面白いものではあるとは思います。ただ経済学に関しては、古典を読むよりは有志がネット上で翻訳したものだったり、クルーグマンのエッセイなんかを読んでいたほうが多分楽しいし、現代との関わりにおいても勉強になるでしょう。
飯田 毎日英語はきついなと思ったら、「道草」(http://econdays.net/)というサイトで主要な経済エッセイが有志によって毎日和訳されているので、ぜひ見てみてください。
ぼくから1冊あげるとすると、アダム・スミスの『道徳感情論』です。このあいだ東浩紀の『一般意志2.0』を読んだときに、『道徳感情論』にすごく近い話をしていると思いました。ぼく自身『道徳感情論』をまじめに読んだことがなくて、解説書に書いてある『道徳感情論』に近いなと思ったということなので、ちゃんと読みたいなと思っています。
エッセイでは岩波文庫になっている『石橋湛山評論集』がすごくいいです。全集だと長過ぎて嫌になっちゃうんですけど、この本はいい感じのエッセイが入っていて、みんな単語だけ知ってる「小日本主義」の意味もすごくよくわかる。「植民地はいけない」という話ではなく、「全部損得だけで考えよう」という話を延々としていたり、ある意味経済学的でもある。坊さんなのにどうしてそういう感覚を身につけていったのか不思議です。
会場からの質問
質問 いろんな経済学者がいますが、結局そのときの議論で優勢に立ったほうが政策を決めているように見えます。実際のところはどうなんでしょうか?山形 そうはなりません。ケインズは『一般理論』の最後で「思想が最終的に世界を動かすのだ」という話をしていて、長期的にはそういう面もあると思いますが、短期的には逆に、政策のほうが都合のいい理屈を探してくる。わたしもいろんな省庁の委員会のお膳立てや事務局をやったりしていて、たとえば、ある政策を通したいから、そのための委員会をつくらなきゃいけないというお仕事がままあるわけです。世の中の評議会や審議会は、本当はフェアな立場でいろんな人が話をしなければいけないんですが、実際は何かの政策を裏づけるためにできるので、たとえば飯田さんが政策に反対しそうであれば呼ばないということがある。議論よりも先に政策があるんです。
飯田 これもクルーグマンの受け売りですが、その一番の典型は、ぼくはハイエクの再発見だと思っています。最近は「ケインズの世紀からハイエクの世紀へ。そしてまたケインズの世紀へ」といった表現がされている。実際ハイエクは同時代の経済学においても一流学者のひとりではあったと思いますが、アカデミックな経済学にリアルタイムでの影響はほとんどないといっていいです。後になって政策の側が都合のいい人としてハイエクを「発見」した。
ただ、経済学者の理論によって世論が徐々に動いて、世論が動いたことによって政治が動くという間接的な影響は十分あり得ると思います。その点で、政策論争というのは意味があります。
質問 山形さんはクルーグマンとケインズの両方を訳されていますよね。クルーグマンはケインズの影響を受けているところがあると思いますが、訳者の立場からはどういった影響を見て取りましたか?
山形 クルーグマンが今の立場になっていく途中、98年くらいに「IS-LMって結構いいよ」という論文をいくつか書いていているんです。その中で、実務家が使うIS-LMと、理論家の「IS-LMはもうダサいから俺たちやらないね」という意見の断絶を彼は結構本気で心配しているんです。彼は政治的な動きがいまいち下手な人なんですよね。それが彼の良さでもあり、また彼を実際の政策の現場に親分として取り立てるのが難しい理由でもあるんですけれども。
クルーグマンの、いつも実務的なものに目を向けて「じゃあ、実際に世の中を動かしていくにはどうしたらいいのか」という部分をちゃんと考えて理屈をつくるという姿勢は、ケインズ的な考え方の影響だと思います。
飯田 『一般理論』も、最初に「専門家を説得するために書きました」と宣言してるわりに、後ろはエッセイみたいな感じになっているので面白いですよね。おそらくケインズ自身も、ギャップを埋めるという意図を持っていたんだろうなと。クルーグマンも、上手かどうかはともかく、間を埋めなきゃいう意識があるのでしょう。たとえば、1998年の「It's Back」のようにIS-LM版と動学的一般均衡版をやって、「ほら、同じでしょ?」というのを示してくれたりするのは、わかる人にとってはすごくいい先生です。
山形 ちなみにクルーグマンは、とくに「ニューヨークタイムズ」に書くようになって顕著ですが、それ以前からもウェブに論文を出したりして、メディアには敏感です。ケインズにも同じようなところがあって、彼が連続出演していたラジオ番組があるんですね。彼は当時、半分官僚で半分経済学者みたいな状況で、平和条約や金本位制とはこんなもので、よくないのはどうしてだ、という説明をしている番組なんですが、そこそこ面白い。今はテープ起こしをしたものしか読めないので冗長で読みにくいんですが、多分、ラジオで流れてきていたのはかなり面白かっただろう思います。そういう一般に対して説明する役割をケインズはちゃんと持っていて、そういうところも似ているのかなと。
最後にひとつだけ宣伝。今回ポット出版から出した『一般理論』は「要約」なんですが、これでは信用できないという人は、全訳がすでにウェブ上にあります(http://genpaku.org/generaltheory/)。そして、この全訳にクルーグマンの序文と、ケインズを語るにあたっては欠かせないヒックスのIS-LM論文とをまとめて、講談社学術文庫から3月13日に出ます。中身はウェブにあるものと同じですので、ウェブを見て買いたいかどうか決めてください。
リンク先を見る
雇用、利子、お金の一般理論 (講談社学術文庫)
著者:ジョン.メイナード・ケインズ
販売元:講談社
(2012年1月28日(土)ジュンク堂新宿店にて)
山形浩生(やまがた・ひろお)
1964年東京生まれ。東京大学工学系研究科都市工学科修士課程、およびマサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務するかたわら、科学、文化、経済からコンピュータまで、広範な分野での翻訳と執筆活動を行う。著書に、『新教養主義宣言』『要するに』(ともに河出文庫)、『新教養としてのパソコン入門』(アスキー新書)、訳書に『クルーグマン教授の経済入門』(日経ビジネス人文庫)、『アニマルスピリット』(東洋経済新報社)、『服従の心理』(河出書房新社)、『その数学が戦略を決める』『環境危機をあおってはいけない』(ともに文藝春秋)、『戦争の経済学』(バジリコ)、『雇用と利子とお金の一般理論』(ポット出版)ほか多数。



