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「仙谷由人は信頼できる男だった」ライバル・小沢一郎との秘話〜田原総一朗インタビュー

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民主党政権で官房長官や法務大臣を務めた仙谷由人氏が10月11日、肺がんのため、死去した。どのような政治家だったのか。ジャーナリストとして親交の深かった田原総一朗さんにその人物像や秘められたエピソードを聞いた。【田野幸伸・亀松太郎】

亡くなる1週間前に会食した

仙谷氏と最後に会ったのは、10月4日。亡くなる1週間前のことだ。彼とは長年にわたって、3カ月に1回くらいのペースで会っていた。会う場所はいつも、銀座のざくろという和食屋。彼の行きつけの店だった。

仙谷氏は僕より12歳年下だったが、非常に信頼していた政治家だ。民主党政権のときも、彼を一番信頼していた。高校時代にスポーツをやりながら、現役で東大に入り、法学部在籍中に司法試験に受かった。相当、頭が良かったんだろうね。

彼は弁護士になってから、いわゆる新左翼の事件を次々と手がけた。僕から見ると「こんなの無罪になるのか」と思うような事件でも、無罪を勝ち取ったのがいくつかあった。何よりも、信頼できる男だった。

小沢一郎代表から幹事長を打診されたが・・・

BLOGOS編集部

面白い話といえば、小沢一郎氏とのエピソードがある。2003年に、小沢氏が代表を務めていた自由党と、仙谷氏がいた民主党が合併した。小沢氏を誘ったのは鳩山由紀夫氏だが、民主党側で仙谷氏とその弟分である枝野幸男氏が大反対したという経緯がある。

結局、小沢氏は民主党に加わり、3年後の2006年には代表にまでなった。このとき、彼は驚くべき行動に出た。

これは新聞にも出ていない話だが、代表に選ばれた小沢氏から、僕のところに電話がかかってきて「会いたい」と。そして、小沢氏は僕に「実は仙谷氏を幹事長にしたい」と告げたのだ。

僕は「嘘だろう。彼は、民主党に入るときに一番反対しただろう」と言ったが、最も敵対していた仙谷氏を幹事長に置きたいという。これは面白いと思った。小沢氏は僕に「悪いけど仙谷氏に頼んでほしい」と言った。僕が彼と仲がいいのを知っていたから。僕は「わかった」と承諾した。

仙谷氏に「小沢さんがあんたを幹事長にしたいと言っている」と伝えると、「嘘、冗談だろう」という反応。「本当だよ」と言うと、30分近く考えたあげく、仙谷氏は「枝野に聞いてほしい」と、僕に告げた。「枝野がOKしたら、受けてもいい」と。

その晩、枝野氏のところに電話した。小沢氏が「仙谷さんを幹事長にしたい」と言っていると伝えると、やっぱり「嘘だろう、そんなバカな」と答えた。僕は「いや本当なんだ」と返したうえで、仙谷氏が「枝野の意見を聞きたい」と話していると伝えた。

BLOGOS編集部

すると、枝野氏は「そんな難しいことは、すぐにこの場で答えられない。田原さん、悪いけど、一晩考えさせてほしい」と言ったので、「わかった」と答えて、返事を待つことにした。

翌日、枝野氏から電話がかかってきた。「仙谷さんが受けるというというなら仕方がない。ただ、僕はどうかと聞かれると、僕は反対だ」。すぐに仙谷氏のところに連絡して「枝野は反対だ」と伝えた。

仙谷氏はしばらく考えて、「悪いけど、この話はなかったことにしてほしい」と小沢氏に伝えてほしいと、僕に頼んだ。結局、それで「仙谷幹事長」は幻に終わり、鳩山氏が幹事長に就任することになった。

新聞などでは「仙谷は反小沢の旗頭」と書いていたけれど、実は裏ではそういうことがあった。ここが小沢一郎の面白いところ。権力者にはそういう仕掛け、戦略が必要だということがわかっている。さらにいうと、小沢氏は自分にはない才能をもった仙谷氏を味方につけたいと考えていたのだろう。

「俺が泥をかぶる」と原発事故処理にあたった

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もう一つ、仙谷氏で印象的だったのは、福島の原発事故をめぐる出来事だ。

民主党政権の菅直人首相のとき、東日本大震災が発生して、福島で東電の原発事故が起きた。そのとき、仙谷氏が「俺が泥をかぶる」と、事故処理にあたることになった。

民主党には論客はたくさんいるけれど、泥をかぶる人はあまりいない。その中で、仙谷氏が悪役を買って出た。彼が原発の事故処理をやることになったので、細野豪志氏とかいろいろな連中が彼の周りに集まった。

彼は、経産省から東電の取締役執行役に就いた嶋田隆氏(現経産省事務次官)と、当時資源エネルギー庁のナンバー2だった今井尚哉氏(首相秘書官)と協力して、事故処理にあたろうとした。

僕は仙谷氏に「こんな重大なことは民主党だけでは無理だ。(当時野党だった)自民党の協力を得てやらないとダメだ」と言った。「じゃあ、田原さん、誰か頼んでくれと」と言うので、自民党副総裁の大島理森氏に話した。

「原発処理は大問題だ。下手すれば日本の将来の本当に深刻な問題になる。言ってみれば、第二の敗戦。だから、仙谷と協力してやってほしい」と言ったら、大島氏が「わかった」と。それで、仙谷氏と大島氏が組んで、原発の事故処理や東電のあり方を考えていくことになった。

ところが、その次の総選挙(2012年)で、民主党が負けて野党になった。そのとき、仙谷氏は原発事故の処理で泥を被ったことが災いして、原発推進派だと誤解されて落選した。

その後、原発問題は大島氏が引き継いでやっていくものだと、僕は思っていた。本人もその気だったが、安倍首相はどうやら理屈っぽい大島氏は面倒だと考えたようで、そうはならなかった。

親分肌で、多くの政治家に慕われていた

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最後に会った10月4日の会食のとき、仙谷氏はあまり元気そうではなかった。ちょっと寂しそうだった。

大きな原因の一つは、ミャンマーの問題。彼はミャンマーの支援に力を入れていて、一年に何回もミャンマーに行っていた。アウンサンスーチーに非常に協力していて、ミャンマーをちゃんとした国にしたいと考えていた。

ところが、スーチーが軍に妥協してしまって、仙谷氏はがっかりしていた。結局、ミャンマーから離れざるを得なくなったわけだが、寂しそうだった。「いまはベトナムをやってるんだ」と言っていたけれど。

彼は親分肌の人間で、枝野氏をはじめ、細野氏や福山哲郎氏も、彼を慕っていた。多くの政治家が「仙谷さんに育てられた」と言っている。そういう人物だった。

僕よりもひと回り若い世代で、まだまだいろいろなことができたはずだ。非常に惜しいと思う。

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