岡口判事のツイート自体の内容に問題があるとは到底、考えられないような内容に対し、最高裁決定は、「当事者の感情を傷つけた」と決めつけています。
「岡口基一判事への懲戒申立 確定判決についてツイートするだけで当事者の感情を傷つけると批判する現職裁判官の方が信用失墜だ」
しかし、その決めつけが裁判官だからなのか、一般人でも傷つけたものなのかという評価がすっぽろりと抜け落ちています。何故、このツイートが当事者の感情を傷つけるのかという点の理由が全く付されていません。決めつけなのです。これで当事者の感情を傷つけたというのであれば、およそ新聞や雑誌、ニュースの論評などできるものではありません。
それが裁判官だから「当事者の感情を傷つけた」というのはあまりに飛躍があります。要は当事者の感情を当然に傷つけたというところの理由がなく、何故、それで当事者が傷つくのか、それが仮に傷ついたとしても受忍限度内のものではないのか、などの議論が一切、なされていません。
この論調であれば裁判官でなくても誰であってもその当事者の感情を傷つけることになってしまいます。今回の最高裁の決定は、「当事者の感情を傷つけた」としながら、その程度問題を一切、検討していないのです。
最高裁は、この程度で慰謝料請求を認めるというのでしょうか。従来の裁判所の考え方からすれば、到底、不法行為が成立する事案とも思えませんが、今回の最高裁決定の論調からいえば、不法行為の成立も認めかねません。ツイートしたのが裁判官でなかったとしてもです。そうした根拠のない大前提をもとに組み立てられたのが今回の不当な決定なのです。
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恐らくこれが1万円以下の過料ということになれば、裁判官全員の一致はなかっただろうと思います。だから多数決で仮に過料が多数だったとしても全員一致というところで落とし込めたのではないかと思われます。
寺西判事補に対する分限裁判では裁判官の政治的意見表明の自由を守る立場から反対意見が付されました。今回の岡口判事に対する分限裁判はそうした最高裁内部の異論を出せないための戒告でもあったということです。最高裁は自らを統制してしまているのです。
東京高裁側が懲戒を申し立てるにあたっては事前に最高裁に打診がなかったとは考えにくい案件ですが、最初から「戒告」という出来レースでもありました。今回の最高裁の決定が守ろうとしたものは、裁判官の品位でも信頼でもありません。司法官僚制度そのものです。司法官僚統制に服することなく、ツイッターによって発信を続けていた岡口判事のような存在を許さない、こうした政治的な動機に基づくものです。
こうした見解こそ真っ当ではないでしょうか。
「最高裁 “ツイート裁判官”に戒告 専門家は「処分は行き過ぎ」」(NHK2018年10月17日)
「専門家「処分は行き過ぎ」
17日の処分について、インターネットをめぐるトラブルや法律に詳しい成城大学法学部の町村泰貴教授は「裁判官であっても表現の自由は守られるべきで、ツイートを理由に処分をするのは行き過ぎなのではないか」と指摘しています。
そのうえで「ツイートという言論の内容が問題であるならば、裁判所も言論で返すべきだ。今回の処分によって事実上、裁判官はインターネットを使った意見発信が難しくなり、萎縮せざるをえなくなるのではないか」と述べました。」
他の裁判官に対して萎縮させることこそ、その目的です。
この程度のことで裁判官が処分を受けるというのは日本の民主制なのです。単なる当事者のクレームから端を発したに過ぎないものが、裁判官の独立を脅かす事態に陥ったことは、それだけ裁判官の独立が脆弱だということの裏返しでもあります。驚いた。日本の裁判所は、外部からのクレームを恐れず、言論の自由を守る司法判断ができるのかという「疑念を国民に与え」る決定だわね →岡口裁判官に「戒告処分」…ツイッター投稿めぐり、最高裁「国民の信頼損ねた」|弁護士ドットコムニュース https://t.co/rHQpqIDVkG
— Shoko Egawa (@amneris84) 2018年10月17日
岡口判事はこれを機に裁判官を辞するかのようなことも発言されています。
「岡口裁判官「やめちゃおっかな」 戒告処分決定、高裁が辞職に追い込むとの認識示す」(弁護士ドットコム)
「岡口氏は自身の進退についても言及。林道晴・東京高裁長官が「裁判官をやめることになってもツイートをやめないのか」と岡口氏に聞いた事実が、分限裁判の証拠として提出されたことを踏まえて、「東京高裁は最終的に私がやめるところまでもっていくわけで、私がそれに耐えられるか。裁判官は辞めさせられないので、東京高裁長官が言っているのは『辞めさせるところまで持っていきたいんだ』(ということだと思う)。若干辞めたいと思っている。最高裁を信じていたが、トップがこれだと、この業界にいることについて考えてしまった」とした。」そうなってしまえば、まさに当局にとって願ったり叶ったりの結末になってしまいます。これで終わらせてはなりません。当局の意に反する裁判官は排除されるという先例は決して日本の司法制度の歴史に汚点を残すことになります。裁判官に対する官僚統制を許してはなりません。
それにしても最高裁の中で1つも反対意見が出なかったのは、今後の最高裁に暗雲が立ち込めているとしかいいようがありません。
「公務員(教員)だから「君が代」は当然なのか、改めて考えよう 最高裁は従来の最高裁判決の枠組みも壊す」