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「道徳」が必要なのは小学生より中高年だ

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今年度から小学校で道徳が正式な教科となった。高学年の教材ではSNSの使い方も取り上げられ、「受け取る相手の立場に立って、楽しく正しく利用しましょう」と書かれている。だが、教育行政に詳しい寺脇研氏は、「ネット上で攻撃的な主義主張を繰り広げるのは中高年が中心。道徳教育が必要なのは子どもたちよりも大人ではないか」と指摘する――。

※本稿は、寺脇研『危ない「道徳教科書」』(宝島社)の一部を再構成したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/aluxum)

■勉強ができても自己肯定感はナシ

読書や映画に耽溺して劣等生になった中学高校時代とは違い、私は小学校のとき、勉強がよくできたほうだったと思う。テストがあれば満点を取るのもしばしばで、図工、音楽、体育、家庭を除いた教科ではクラスのなかでいつも1番の成績をおさめていた。

しかし、そんな自分に対しどれだけ自己肯定感があったかというと、実はほとんどないに等しかった。年の近い私の従兄弟は、心根が優しいと評判で、祖父母にいつも「お前は心がいいから」と褒められていた。それを脇で聞くたびに、少年だった私は「お前は勉強はできるけれども心はよくないね」と言われているような気がして、落ち込んだものである。実際、私は嘘をついたりズルい行いをする子どもだったし、それを自覚もしていた。

つまり、勉強ができても肝心なのは心だから、それが良くなければたとえどんなにテストの点が良くても、心が美しい子どもより劣っている――当時の私は密かにそう感じていたのである。

■社会や家庭で培われた規範意識

それは決して「勉強ができる」のを無条件に称揚する装置である学校で教えられたものではなく、社会や家庭のなかで培われたひとつの規範意識だった。昭和30年代半ばまでは、4年制大学への進学率はまだ10%にも満たない時代で、「勉強ができる人間がすごい」という尺度がまかり通るのはせいぜい、まだ少数派だったサラリーマン世帯と学校の同級生の間くらいだった。

その後、高度経済成長とともに受験戦争が本格化し、進学率も急上昇して高学歴であることの価値は飛躍的に高まっていくが、人格形成期に「勉強ができる」ということを過大評価されてこなかった世代である私は、子どもの頃、いつも心のどこかに「たとえ勉強ができたとしても」という気持ちを持っていたように思う。このことは、現在の私の道徳に対する考え方に少なからぬ影響をもっているかもしれない。

■「心のノート」で考えた「押し付けではない道徳」

道徳とは何か――そのことについて文科省時代、深く考えさせられたのは2002年に文科省が配布した「心のノート」の作成に関与したときだった。

「心のノート」は、90年代後半に起きた、いくつかの少年犯罪をきっかけに作られている。私は、これが果たして少年犯罪の抑止につながるだろうかと懐疑的だったが、後に文化庁長官になり、私がその下で働かせてもらうことになる心理学者の河合隼雄先生が作成の中心になるというので関心を持った。河合先生には、「ゆとり教育」と蔑称される羽目になった2002年以降実施の指導要領のもととなる中教審答申(河合先生が中心となって起草された)が1996年に出された頃に知遇を得て、議論の場や酒席もご一緒させていただく関係だった。

学校教育を所管する初等中等教育局を中心に「心のノート」の作成が始まったとき、生涯学習政策局担当の大臣官房審議官だった私は、生涯学習や社会教育の立場から、「道徳」とはそもそも何だろうということについて河合先生にお伺いした。

「子どもたちに何かを押し付けるようなものであってはならないと思います。しかし、押し付けではない道徳とはいったい何でしょう」

私がそう質問したとき、河合先生は次のようなことを言った。

「押し付けがいけないことはその通り。だが、社会にはごくわずかではあるが、どのような場合にでも人間の共通理解となり得る汎用的ルールというものがあるかもしれない。そのことを念頭において『心のノート』を作ってみよう」

■「人間の共通理解となり得るもの」とは

このとき、河合先生は具体的に何がその「共通理解」に該当するものなのか、結論を出したわけではない。ただ私はその後、このとき河合先生が言った「人間の共通理解となり得るもの」について考え続けてきた。

命を大切にする、弱いものに対しては自分のできる範囲で助けていくといった考えは、思想信条の壁を越えて、ほぼ、人間の守るべき規範として共通理解を得られるかもしれない。だが、「親を大切にする」とか「国や郷土を愛する」「集団のなかで決まりを守って生活する」といった規範については、すべての人に理解を得られるとは限るまい。子どもが素直に親を大切にできる家庭は幸せだが、世の中にはそういった関係が築けない家庭も現実的にはたくさんある。国や集団に対する考え方も同じだ。何が全員の共通理解となるか、それを国民全体で議論してみる価値はある。

そうやって確定したすべての人に共通理解を得られる汎用的ルールさえ、学校に限らずどこかで子どもたちに学び取ってもらえれば、その他のさまざまな項目を学校で教科書を使って教え込む必要はない。

河合先生は、「人間の共通理解となり得る汎用的ルール」があったとしても、本来それは国が押し付けるのでなく、たとえば日本PTA全国協議会のような民間の社会教育団体が提唱するのがいい、とおっしゃっていた。私が道徳教育の必要性は認めながらも、学校での教科化には反対する土台はそうした考えにある。

■「ネット右翼」の平均年齢は40代前半

小学校の道徳教科書には、時代を反映してSNSを題材とした教材が盛り込まれている。学校図書(5年生)の教科書には「自分や相手の顔が見えないやりとり」として、次のような設問が立てられている。

『危ない「道徳教科書」』(宝島社刊)

<いつでもどこでも友達と交流できるSNSは、とても便利ですが、思わぬごかいやトラブルにつながることがあります。自分の都合だけでなく、受け取る相手の立場に立って、楽しく正しく利用しましょう。文字だけのやりとりだからこそ、どんなことに気を付けたらよいか、考えてみましょう。>

ネット上における誹謗中傷や悪意のもとに行われる情報発信は、しばしば社会的な問題にもなっている。「近頃の若いやつは……」と眉をひそめる向きもあろうが、実はこうした問題の当事者となっているのは、子どもたちではなく、40代以上の中高年に多いことが分かっている。

若手評論家、作家の古谷経衡は著書『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)のなかで、いわゆる「ネット右翼」と呼ばれる人々の平均年齢を「38.15歳」と推測している。これは2013年の大規模調査による数字で、状況が大きく変わっていなければ、5年後の現在は40代前半が平均値ということになる。

また、2014年10月に『毎日新聞』が公表した読書世論調査では、16歳以上の男女3600人に聞いたところ、「嫌韓・嫌中」本やマスコミ、ネットなどで関連記事を読んだ層(全体の10%)のうち、45%が60代以上で10代後半は3%、20代は8%にすぎなかった。

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