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餓死した日本兵の“子”が“父”の戦場を訪ねる マーシャル諸島でいまなお日本語歌が歌い継がれるワケ

第二次世界大戦末期、日本本土から遠く離れたマーシャル諸島は勢力圏だったものの、「絶対国防圏」から外れた。残った日本兵は孤立し、補給が絶たれ、飢餓に苦しんだという。

実は、マーシャル諸島は大戦前から日本と関係が深く、第一次大戦で日本が占領したため、移民も多かった。そのためか、日本語由来の言葉も多く残されており、なかでも、「恋しいわ」という日本語の歌は今でも受け継がれている。

この南方の島を舞台にした映画「タリナイ」が9月29日より、渋谷アップリンクほかで公開される。本作は、第二次大戦の知られざる現実と、マーシャル諸島の美しさと豊かさを映像を通じて知ることができる作品だ。監督は、マーシャルに取り憑かれたのが大川史織氏。今作が初監督作品だという同氏に、作品を通じて伝えたかったことを聞いた。

マーシャル諸島に辿り着いたのは「Google先生」のしわざ

—— この映画「タリナイ」の舞台、マーシャル諸島共和国は、かつて大日本帝国の勢力圏の範囲であり、マーシャル群島と呼ばれたりもしていました。監督はこの島々のどんなところに惹かれたのでしょうか

高校生の頃、「核とどう生きるのか?」ということに関心がありました。核は環境問題や開発ともつながります。06年夏、Googleで「核」「環境問題」「開発」、そして「スタディーツアー」というキーワードを打ち込んで検索しました。すると、「マーシャル諸島スタディツアー」が出てきました。その時は、マーシャルの場所も、日本の委任統治下であった歴史があることも知らないでいました。実際に行けたのが07年。「Google先生」が人生を左右したのです。

その後、大学院に進学し、映像人類学を研究しようかと思っていました。でも、卒業論文でマーシャルをテーマに書きたいと文献調査を始めたら、史料の少なさに愕然としました。戦争が始まる前に移民として南洋群島へ渡った人々の記録や戦時中の史料は驚くほど少なかった。現地で暮らしながら島の人々の話を聞くことが一番だと思い、マーシャル諸島で働くことを考えました。

映画「タリナイ」のポスター ©映画「タリナイ」

2011年3月、卒論を書き上げた後、今度は単身マーシャルを訪れました。その時、現地で知り合った日本人の方を通じて9月から日系企業の経理のポストが空く、という話を聞きました。ちょうど経済の単位を落として9月卒業となっていたのですが、必死で勉強して簿記の資格をとり、その企業で働き始めました。

働くと決めた翌日、東日本大震災がおきました。街を飲み込む津波の映像よりも、福島の原子力発電所の映像ばかりがマーシャルでは流れていました。「こんなときに日本を離れてマーシャルで暮らすのはどうなのか」と迷いもありましたが、こんなときだからこそ、日本を客観的に見ることができると思い、マーシャルへ移住しました。それから首都のマジュロで2014年まで仕事をしながら暮らしました。

マーシャル諸島で餓死した兵士の遺族との出会いが映画化のきっかけに

—— この映画では第二次大戦中、マーシャル諸島で餓死した兵士・佐藤冨五郎さんの日記が紹介されています。そしてその日記を持っていたのが息子、勉さん。彼とはどんな出会いだったのでしょうか?

当時の在マーシャル日本大使館の安細大使から、餓死をした兵士の日記があること、その兵士の遺族が日本にいることを聞いていましたが、その遺族が誰かは知りませんでした。

15年8月、帰国してから働いていた会社で、戦後70年を考えるウェブメディアを作っていました。その中で、マーシャルを取り上げることができたのです。すると、勉さんから問い合わせフォームを経由して、感想が届きました。

そのことを安細大使に伝えたところ「その人が日記を書いた人の遺族だよ」と教えてくれたのです。そのウェブの企画を勉さんが読んだのも、安細大使が勉さんに伝えてくれたからだということは後から知りました。

マーシャルの人たちと交流する勉さん ©映画「タリナイ」

—— この話を映像にした経緯は?

勉さんが問い合わせフォームから送ってくださったメッセージには、「死ぬまでにもう一度マーシャルへ行きたい。よく知っているのなら、ぜひ一緒に行って欲しい」と書いてありました。一通のメールに込められた勉さんの切実さが伝わってきました。しかし、当時、私は会社員。いつか長期休暇を取って行きたいと思い、「何かできることがあれば」とお返事しました。

一方で、冨五郎さんが餓死したウォッチェ島については、ライターの森山史子さんのほうが詳しく、写真もたくさん撮っていました。勉さんに森山さんを紹介して以降、二人は交流を深め、半年以上連絡を取り合っていたのです。

16年4月、その2人がウォッチェに行くことになりました。私も行きたいと思いました。お父さまの日記のことも聞きたい。今こそ、タイミングだと思いました。単に同行するのではなく、映画にできるかもしれない。勉さんには「勉さんが主人公というわけではないが、マーシャルに関する映画を作りたい。日記についても聞かせて欲しい。マーシャルの人の話も聞きたい。映像をとってもいいですか?」と電話で聞きました。断られる可能性のほうが高いと思っていましたが、勉さんは二つ返事で「いいよ」と言ってくれました。

なぜ、日本語で恋の歌を歌っているのか、背景を知りたい

—— 作中に戦争遺跡(戦跡)が出てきます。住んでいたときも意識していました?

私が住んでいた首都マジュロには戦跡はあまり多くありませんでした。長期の休みで離島を訪れると、島の人々にとって戦跡が生活の一部であることがわかりました。戦争がはじまる前に日本人とマーシャル人が一緒に働きながら暮らしていた時代や、戦時中を知る人からも話を聞きました。

戦跡は子どもたちの遊び場でもある ©映画「タリナイ」

初めてマーシャルを訪れたときに南洋庁の支庁があったジャルート環礁に行けました。綺麗な海を眺めながら、朽ちた戦跡が視界に映り込むときの複雑な感情をどのように言葉で伝えられるだろうかと悩みました。

また、映画の冒頭でマーシャル人の女性が歌っている「恋しいわ」の歌を聞きました。なぜ、日本語で恋の歌を歌っているのか、背景を知りたいと思いました。その後3年間暮らしながら、歌の歴史をひも解くと、第二次大戦前に移民としてマーシャルへやってきたある日本人の男性がいたことを知りました。しかし、戦争が始まると、その男性は日本へ帰ってしまい、その後二度と二人は会えなかった。その想いを歌にして、今でも歌い継がれているというのは、目には見えないけれども、ある種の”戦跡”だと思いました。

戦争はまだ終わってないんだなと思いました。なぜ戦後60年以上経ってもこんなにこのままに残っているんだろうという単純な疑問も湧きました。戦争によって日常の暮らしが奪われ、戦争前と同じように暮らすこともできなくなってしまった島民は、もっと怒っていいんじゃないかとも思いました。

—— 第二次世界大戦中、マーシャル諸島で日本が関与していたことを語りつぐこともテーマの一つだと思いますが、マーシャル諸島の紹介という要素も強いかな、と思いました。

「恋しいわ」を歌うマーシャルの女性たち ©映画「タリナイ」

そうですね。戦争の歴史を語り継ぐことはもちろんですが、マーシャル諸島の「今」を知ってもらいたいと思いました。今、日本にいるとマーシャルはとても遠く感じます。マーシャル諸島と聞いて抱くぼんやりとしたイメージに、この作品が少しでも具体的な存在として近くに感じるきっかけになったらうれしいです。

製作・配給:春眠舎
宣伝:アーヤ藍
映画『タリナイ』公式サイト https://www.tarinae.com
関連書籍大川史織編「マーシャル、父の戦場ある日本兵の日記をめぐる歴史実践」(みずき書林)

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