誰が読むんだこんな本…。
といいつつ、買って読んで面白がっているのはぼくである。
地方議会で答弁するのは、首長(知事とか市長)だけじゃないの? と思う人もいるかもしれない。「いや市長だけじゃなくて担当の役人が答弁しているのをなんか見たことあるよ」と答えた人は、地方議会を何度か傍聴したり、テレビで関心をもってみている人であろう。「本会議では部長答弁、委員会では課長答弁」と答えたあなたは、ただのマニアである。*1
本書は東京・多摩市で副市長までつとめた著者が、こうした部長・課長クラスはもとより、その答弁準備をする部下たちのために書いた、実にニッチな本である。類書もあるのだが、実名でこの種のノウハウ本を書けるというのは珍しい。
「ご飯論法」が少し話題になったけど、安倍政権の答弁や話法のひどさは別格として、「昔からある役人の答弁術」というレベルの話でいえば、そのレトリックはどうなっているのかを学べる奇書である。
本書の中身を少し紹介してみよう。
答弁には議会ならではの「定型フレーズ」がある。臨機応変に使えるよう身につけておこう。
- 「確認する」……事実を確認する。
- 「調査する」……主に外部の情報を収集し、実態を把握する。
- 「研究する」……実施可能性を勉強する意味で、検討よりも消極的なニュアンス。
- 「検討する」……実施できる可能性はあるが、執行部側としての方針が未定の場合に使う。
- 「前向きに検討する」……実施の可能性が高く、取り組むことが効果的な場合に使う。
- 「対応する」……何かをしなければならないときに使う。
- 「実施する」……執行部側の取組み方針が決まっている場合に使う。
- 「いかがなものか」……同意・賛成できない場合に否定的な意味合いで使う。
(本書p.27)
もちろん、これは著者・田村の経験での使い方であって、全国の地方公務員の間でこれに準拠するなどというマニュアルがあるものではない。自治体によって使い方が多少、あるいはまったくちがうところもある。ただ、ここにニュアンスの差があるのだ。
他にもある。
ぼくがよく傍聴する福岡市議会で見てみよう。
たとえば「今後とも」。
旧民主党系の議員の質問で「市の東と西に農業と身近に森林浴を体験できるような公園整備を検討してはどうか」というのがあった。
これに対する住宅都市局長の答えは、「今後とも、市民に身近な公園整備を進めるとともに、市民やNPOなどと連携し、農業体験や樹林の保全活動など、自然に触れ合える取り組みを進め、生活の質の向上につながる魅力的な公園づくりに取り組んでいく」である。
一瞬聞くと「あっ、『公園整備を進め』たり、『公園づくり』に『取り組んで』くれるのかな?」と思ってしまう。
しかしここで曲者なのは「今後とも」である。
「今後とも」とは、「今すでにやっているし、これからもやっていきます」という意味だ。
つまり「もうお前の言っている趣旨のことはすでにやってるわ。新しくやる気はねえよ。バーカ」という意味でしかない。
こんなもん、知ってどうなるのか、と思うかもしれない。
しかし、ぼくらは何かのきっかけで署名運動をしたりするかもしれない。幼稚園の存続とか、家の前に大型の道路をつくらないでほしいとか。そういうときに、人はにわかに議会に興味をもつ。というか、もたざるを得ない。
そんなとき、相手が言っていることに、だまされないことが大事だし、逆に過剰に失望したりしないことが大事なのだ。
よくあることだが、公園をつくってほしいという署名運動をやっていたとして、相手が議会で「つくります」といわなかったことをもって「もうだめだ」とあっさり失望したりする。そんなことを簡単に言うわけがないのである。
だいたい本書の150ページになんと書いてあるか。
議員の主張がもっともだと思っても、そのまま受け入れてしまうような答弁を管理職がしてはならないことを肝に銘じて欲しい。(p.155、強調は引用者、以下同じ)
おいおい「肝に銘じ」られちゃったよ。
というぐらい、課長クラスではやってはいけないのである。(もちろん、市長(理事者)はやってもいい。)
「前向きに検討します」はよく日常会話では、役人の「逃げの言葉」として皮肉られるんだけども、上記にあるように議会答弁でこのフレーズが出たら、実は相当積極的に考えているシグナルだと思っていい。喜ぶべきことなのだ。
「研究します」「検討します」だって、動きのある答弁なのである。
運動は粘り強くないといけないのだから、ゼロかイチかで一喜一憂するようなことではいけない。そのためにもこのニュアンスの差を知っておくことは悪いことじゃない。
もちろん、さっきも言ったようにこれはマニュアルじゃない。
本当に言い逃れで「検討します」という時もあるだろうし、逆に与党などの顔色をうかがってはいるけども、本当は実施したい気持ちで「検討します」を言う時もあるだろう。そのあたりはまさに「文学」である。