北海道胆振(いぶり)地方を震源とする地震の発生から、1週間以上が経った。41人が犠牲となり、なおも1390人(14日午後5時現在)が避難生活を余儀なくされている。最大震度7を観測し、厚真町は、土砂崩れで36人が死亡。大きな被害を受け、今も断水が続く。
「町の人たちは今、何を思っているのだろうか、必要なことは」。筆者(元全国紙記者)は、富山県出身ながら昨春から同町職員となり、震災後、避難所運営にあたっている姉にインタビューした。(フリーライター・藤田 愛夏)

3つ上の姉・藤田あさこ(31)は、富山市出身。大学入学と同時に北海道での生活を始め、社会人も含めての約10年間を札幌で過ごした。北海道に愛着を持ち、「先進的な街づくりが面白い」と昨年4月、勤めていた会社を辞めて厚真町職員になった。
妹の私、藤田愛夏(28)は、元全国紙の記者で、2016年の熊本地震や鳥取県中部地震を取材。今回、避難所を支えてきた自治体職員として、そして被災者としての思いを知りたいと、発生1週間を迎えた13日、姉をインタビューした。
――町内では今も913人(同)が避難している。今の避難所の様子は。
私がいるのは、避難者数が最多の総合福祉センター。物資や食料は支援のおかげでまかなわれている。1週間がたち、みんな「大丈夫」とは言っているが、疲れがたまっているとは思う。朝晩は10℃を下回るほど冷え込むようになり、暖房が入るようになった。高齢者が多いので体調が心配。車中泊をしている人もいる。
――どんな声が上がっているのか。
「足が悪くてトイレに行けないから手伝ってほしい」、「アレルギーがあるから食事をどうしよう」など。1週間がたち、避難所の状況も少しずつ改善してきてはいる。
――避難所運営にあたる職員は。
初めは町職員7人ほどいたが、町の業務もこなさねばならず、一部の職員は業務に戻ったり、他の災害対応をしたりしている。今は道内外から派遣された応援職員と一緒に運営している。避難している人たちも、炊き出しの手伝いや高齢者に必要なものを運んだり、自分たちで動いてくれている。
――避難生活のストレスはあるか。
もちろんあるが、小さな町で顔見知り同士だったり、避難生活の中で顔もわかってきていたりで、大きなトラブルは起きていない。もともと穏やかで、外にオープンな人が多い。小さな子どもがいる人は当初より少ないように感じる。町外に避難しているのかもしれない。
――物資や食料に関してはどうか。
量としては足りてはいる。「支援物資を送りたい」という声も寄せられている。すごくありがたい。ただ、避難生活はまだ何カ月も続くかもしれない。受け入れる側もパンク状態になってしまう。だから、発生直後で注目されている今だけではなく、この先も長く支援を続ける、ということを考えてほしい。