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『細雪』解説

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以前谷崎潤一郎の『細雪』の角川文庫が改版されるときに解説を書いたことがある。

安田登一座の『イナンナの冥界下り』の凱風館公演を見て、その時に書いた「存在しないもの」だけが文化的な差異を超えて共有されうるというアイディアを思い出したので再録しておく。

音楽雑誌ではときどき「無人島レコード」というアンケート企画を行う。「無人島に一枚だけレコードを持っていってよいと言われたら何を選ぶか」という究極の選択である(私も一度このアンケートに回答したことがある)。

無人島レコードの条件は「何百回、何千回繰り返し聴いても飽きず、つねに高い水準の悦楽をもたらすこと」である。難しい条件だ。そのときはずいぶん悩んでアンケートに回答したことを覚えている。

しばらくして、アンケート結果が掲載された雑誌が届いたときに、他の回答者はどんな音源を選んだのか気になってぱらぱらと頁をめくった。すると大瀧詠一さん(この人をどういう肩書きで呼んだらいいのか、よくわからない。私にとっては私淑する「師匠」である)が選んだのはレコードではなく『レコード・リサーチ』というカタログであった。それも1962年から66年までの分でいい、と。その理由を大瀧さんはこう述べている。

「その4年間くらいなら、ほぼ完璧だと思うんだよね。全曲思い出せるんだよ。その時期のチャートがあれば、いくらでも再生できるからね。自分で。たぶん、死ぬまで退屈しないと思うんだけどね。次から次へ出てくるヒット・チャートを、アタマの中で鳴らしながら一生暮らす、と。」(『レコード・コレクター増刊 無人島レコード2』、2007年、ミュージックマガジン、2007年、34頁)
虚を衝かれた。そうか。私たちが音楽的快楽を享受するときの資源は、そこにある現実の楽音、物理的な実在としての空気の波動ではなく、「アタマの中」にあるのか。楽音の不在もまた楽音の現前と同じほどリアルに音楽的快楽の資源でありうるのだ。

どうしてこんなことを書き始めたかというと、「無人島に一冊だけ本を持って行ってよいと言われたら、何を携行するか」という究極の問いに、私なら迷わず『細雪』と答えるはずだからである。

ずいぶん以前からそう思っていた。実際に、その「風景」を私はありありと思い描くことができる。熱帯の青空の下、無人島の椰子の木陰の籐の長椅子に私は気だるく身を横たえている。

そして、冷えたピニャコラーダを啜りながら(無人島には冷蔵庫があって、食べ物も酒も潤沢なのである)、『細雪』の気に入った箇所をぱらりとめくって、数行だけ読む。

例えば、幸子が花見の旅程を想像する場面。

で、常例としては、土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭で早めに夜食をしたため、これも毎年缼かしたことのない都踊を見物してから帰りに祇園の夜桜を見、その晩は麩屋町の旅館に泊って、明くる日嵯峨から嵐山へ行き、中の島の掛茶屋あたりで持って来た弁当の折を開き、午後には市中に戻って来て、平安神宮の花を見る。

この数行を読むだけで無人島の私はすでに陶然となっている。ここに出てくるほとんどの固有名詞について私はそれがどんなものか知らない。瓢亭に入ったこともないし、都踊を見たこともないし、麩屋町がどこにあるかも知らない。けれども、私の無知はこの数行がもたらす愉悦を少しも損なうことがない。それはこの記述そのものが幸子が今年の花見はどういう行程にしたものか胸を膨らませて想像している場面を、谷崎潤一郎が小説の一部として書き起こしている場面だからである。

幸子の前にも、作家谷崎の前にも、そして読者である私の前にも、誰の前にも桜はまだない。誰もまだ瓢亭の料理を口にしてはいない。誰もまだ都踊を見ていない。誰もまだ嵯峨にも嵐山にも平安神宮にもいない。幸子も谷崎も私も、全員が、観桜の旅がもたらす快楽から等しく遠ざけられている。

幸子は作品内世界に「あとしばらくすれば満たされるが、今は欠性的なかたちでしか存在しない桜の旅」に欲望を募らせ、作家谷崎は作中人物に作家自身の欲望を語らせることで自分の欲望を亢進させ、それを読む私は幸子と谷崎の自乗された欲望にさらに身を灼かれている。この数行がもたらす悦楽は、幸子の欲望を谷崎が欲望し、それを私が欲望しているという欲望の入れ子構造に由来する。そして、この入れ子構造の一番外側にあり、それゆえ最大の「マトリョーシカ人形」である私において、満たすべき空虚は最大化するのである。

私がこの読書から快楽を得るのは、谷崎の叙する雅致や美味を自分自身の記憶と同定し、「ああ、『あのこと』か」と納得しているからではない。そもそも私にはそのような記憶はない。だが、私の欲望は、それがどのような景観なのか、どのような味わいなのかを、他者の欲望を経由してしか知ることが出来ないがゆえに亢進するのである。

私の亡母は、昭和十年代に蘆屋川に隣接する灘のブルジョワ家庭で暮らす女学生だった。だから、『細雪』に出てくる阪神間の風物についてはそのほとんどをありありと想起することができると生前に語っていた。

けれども、その知識ゆえに母が、昭和十年代の阪神間についていかなる実体験も持たない私よりも大きな快楽を『細雪』から引き出していたとは思わない。そこに描かれていることについて何の実感の裏づけも持たなくても、「何の実感の裏づけも持っていないこと」を私は埋めることのできぬ欠如として実感することはできるからである。

『細雪』の叙するさまざまな「美しいもの」「愛すべきもの」はどれもがことごとく、指の隙間から絶え間なくこぼれ落ち、一秒ごとに失われてゆく。この作品世界で流れる時間の中で、姉妹たちは遠ざかり続ける「黄金時代」、蒔岡の家が全盛だった自分たちの少女時代を折りにふれて哀惜する退嬰的な回想のうちに物語の冒頭から最後までつねに半身を浸らせている。そして、物語が進むにつれて、すなわち「黄金時代」が遠ざかるにつれて、全員がゆっくり若さを失い、健康を失い、生活の平安を失う。そればかりか、私たち読者はこの物語の時の数年後に大阪や神戸がどのような徹底的な破壊を経験したのかを歴史的事実として知っている。蒔岡家の姉妹も、その家族たちも、昭和二十年の夏までには、『細雪』の物語世界の中でかろうじて所有していたもののほとんどすべてを失ったはずである。

谷崎が『細雪』の稿を起こしたのは昭和17年(1942年)、太平洋戦争勃発の翌年である。翌18年の『中央公論』の新年号に第一回が掲載されたとき、すでに帝国海軍はミッドウェー海戦で艦隊主力と大量の航空機を失い、組織的な反撃が不可能な状態になっていた。もう負けるしかないのだが、どう負けるのか誰もその下絵を描くことができない。そういう先の見えない時代の暗鬱な大気圧の下で、谷崎は自分が愛してきたものはどれももう二度と戻らないと直感して、その「失われてしまった悦楽的経験のリスト」を網羅的に記述するという作業に没頭した。

いかなる政治的主張も含まないこの小説は、それにもかかわらず、陸軍省報道部の忌諱(きい)に触れて発禁処分を受け、私家版の頒布さえ禁じられた。おそらく検閲官は『細雪』の全篇の行間から流れ出る「日本における『よきもの』はことごとく不可逆的な滅びのプロセスのうちにある。

だから私たちの最優先の仕事はそれを哀惜することである」という谷崎の揺るぎない作家的確信に、一種の恐怖を感じたのだろうと思う。この耽美的な書物のうちに黒々とした「日本の未来に対する絶望」を感知した検閲官の「文学的感受性」に対して私は一抹の敬意を示してもよい。

たしかに谷崎の「日本の未来への絶望」はどの頁のどの行間からも滲出してくる。
例えば、上京した幸子が鶴子を大黒屋という大川端の鰻屋に誘う場面。

たしか前には、こんな川附きの座敷はなかったような気イするけど、場所はここに違いないわ』  幸子もそう云って障子の外に眼を遣った。昔父と来た自分には、この河岸通しは片側町になっていたのに、今では川沿いの方にも家が建ち、大黒屋は道路を中に挟んで、向こう側の母屋から、川附きの座敷の方へ料理を運ぶようになっているらしかったが、昔よりも今のこの座敷の眺めの方が、一層大阪の感じに近い。というのは、座敷は川が鍵の手に曲がっている石崖の上に建っていて、その鍵の手の角のところへ、別にまた二筋の川が十の字を描くように集って来ているのが、障子の内にすわっていると、四つ橋辺の牡蠣船から見る景色を思い出させるのである。

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