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年金が先進国並みに頼れる制度となった1973年以後、社会保障の歩みは、この年に設定した給付をスリム化する歴史でもありました - 「賢人論。」第70回中村秀一氏(前編)

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中村秀一氏は、「福祉元年」と言われた1973年に厚生省(現・厚生労働省)に入省。1990年に老人福祉課長、2002年から老健局長を務めるなど、老人福祉や高齢者介護を担当し、2010年からは内閣官房社会保障改革担当室長に就任。以後、菅内閣、野田内閣、第二次安倍内閣のそれぞれで「社会保障と税の一体改革」の事務局長を務めた。現在、国際医療福祉大学大学院教授として教鞭をとる傍ら、医療介護福祉政策研究フォーラムの理事長として、社会保障制度の策定に関わる人たちをバックアップする社会保障のキーパーソンに、日本の変遷について忌憚なく語っていただいた。

取材・文/ボブ内藤 撮影/公家勇人

認知症介護の問題を描いた『恍惚の人』が売れた1973年は、日本の福祉元年となった

みんなの介護 東京大学法学部を卒業して国家公務員になるというのは、典型的なコースだと思いますが、どうして旧・厚生省を選んだのですか?

中村 私の実家は長野県にあるんですが、先祖を遡れば松代藩の御典医をしていたという家で、この家に生まれた男子は代々、医師として勤めていました。父はその6代目で、長男の私は子どもの頃から「お前も医者になるんだぞ」と言われて育ちました。花火で遊ぼうとすると、「指を怪我したらどうするんだ」と叱られるような次第で、かえって反発したんですね。大学での進路は文系に進み、医師になったのは弟のほうでした。

とはいえ、医療そのものについては強い関心を持っていましたから、厚生省に入省するというのは私にとって自然な選択でした。

みんなの介護 当時の日本は、どんな状況だったのでしょう?

中村 私が入省した1973年は、その前年に認知症の老人の介護問題を描いた小説『恍惚の人』がベストセラーになり、老人福祉の立ち遅れが指摘されました。それと同時に、「福祉元年」とも言われた年です。日本の社会保障においても画期的なことが起こった年でもありました。

まず、1月には老人福祉法の改正によって、老人医療費の無料化制度がスタートしました。 9月には厚生年金法等の改正法が公布され、厚生年金の水準は現役労働者の標準報酬の60%を確保する「5万円年金」が実現しました。年金の給付水準を物価と賃金の変化に対応させる、物価スライド制と賃金スライド制が導入されたのもこのときです。

また、10月には健保法の改正が行われ、家族給付率が5割から7割に引き上げられるとともに、高額療養費制度が創設されています。

みんなの介護 日本の社会保障が1973年を境にいろいろ動き出した感がありますね。

中村 ええ、そうですね。ただ、国民の人口が1億人を超えたのは1967年のことで、当時は65歳以上の高齢者が占める割合(高齢化率)も7%に過ぎませんでした。高齢化率が27.3%の現在から見れば、日本はかなり若い国だったのです。

ですから「福祉元年」とはいっても、福祉の分野はまだまだマイナーな分野で、予算をとるのに大変な苦労を強いられるのが日常でした。ちなみに1973年、年金は先進国並みに頼れる制度となりましたが、その後の社会保障の歩みは、この年に設定した給付をスリム化する歴史でもありました。

その典型が、老人医療費の無料化です。この政策によって破綻に瀕した国保財政を救うため、10年後の老人保健法の制定によって無料化は廃止され、2002年10月の健保法の改正によって1割定率負担になって現在に至っています。

国民皆保険制度が成立して10年ちょっとの頃、「国鉄」「米」「健康保険」が大赤字の3Kと呼ばれていましたね

みんなの介護 そもそも日本の社会保障は、何を目標にして進んできたのでしょうか?

中村 ひとことで言えば、「先進国並みの福祉国家の樹立」ということになるのでしょうが、実は「福祉国家」という考えは、人類の歴史の中でもそう古いものではありません。

そもそもの起源は第ニ次世界大戦が始まる直前の1941年、アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトとイギリス首相のウィンストン・チャーチルがカナダ沖の海上で交わした大西洋憲章に遡ります。当時、アメリカはまだ参戦していませんでしたが、連合国側の戦後構想の一つとして「福祉国家」を定義したのです。ナチス・ドイツをはじめとする枢軸国を「戦争国家(Warfare State)」と捉えたとき、その対義的な位置づけとして「福祉国家(Welfare State)」という考えが生まれました。

そして、その構想は早くも戦時中のイギリスで提出された経済学者のウィリアム・ベバリッジの報告書によって方向づけられました。ベバリッジは、「ゆりかごから墓場まで」という言葉で表現したように、健康保険、失業保険、年金など、あらゆる国民がその対象になるような統一制度の整備を示したのです。

みんなの介護 日本は枢軸国側にいたため、連合国よりも「福祉国家」の樹立が遅れたわけですね?

中村 その通りです。戦後の復興で必要であり、日本が社会保障の骨格である国民皆保険・皆年金を達成したのは1961年ですから、10年から20年くらいの遅れをとっていたわけです。

今では日本の社会保障、特に国民皆保険制度は世界的にも評価されていますが、私が厚生省に入省した頃、すなわちこの制度が成立して10年ちょっとの頃は、深刻な財政赤字に陥っていました。「国鉄」「米」「健康保険」の3つの頭文字をとって「大赤字の3K」という言葉があったほどです。

みんなの介護 財政的に問題があった日本の社会保障が、国際的にみても遜色のないものとなったのはいつ頃ですか?

中村 60年代から70年代にかけての高度経済成長期、特に1973年に給付の改善が図られ、80年代頃にはようやく安定してきたと言えるのではないでしょうか。

ちなみに、先進35ヵ国が加盟するOECD(経済協力開発機構)が2016年に公表したデータによると、日本の国内総生産(GDP)に占める保健医療支出の割合が2014年度で11%を超え、アメリカとスイスに次ぐ世界第3位になっています。

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