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- 2018年07月20日 07:33
麻原彰晃は非常に真面目な人間だった〜2度会った田原総一朗が振り返る

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オウムの敵はアメリカだった
オウム真理教の母体はもともとヨガの集団だった。幹部たちはみな、ヨガ道場に入った。ヨガをやっていると、神秘体験がいろいろ起きて、非日常的な意識が湧いてくるということで、宗教団体にしたほうがいいのではないか、となった。麻原はチベット仏教を信奉していて、チベット仏教の最高権威であるダライ・ラマが来日したときに面会したこともあった。ダライ・ラマから「チベット仏教を正統に継いでいる」と言われて、麻原はすっかり自信を持った。
オウムに入った者たちは学歴が高い人間が多い。麻原よりもはるかに学歴が高く、理工系の大学院出身者もかなりいた。彼らは「生きるとは何か」という問いに悩んだあげく、オウムに入信した。
そのころの日本では、京大の浅田彰が「戦わないで逃げろ」ということを言っていた。筑紫哲也の朝日ジャーナルも同様の論調だった。それに対して「やっぱり戦うんだ」という者たちがオウムに集まった。オウムの敵はアメリカだった。アメリカと戦うために、サリンを作るようになった。
オウムでは、死んだときに仏になるために修行をする。ただ、悪い人間については、我々が殺したほうが仏になれる、という考え方が出てきた。いわゆる「ポア」だ。このポアによって、人を殺すことが正当化されるようになった。
そこで、オウムに批判的だった坂本弁護士一家を殺したり、松本サリン事件を起こしたりして、何人も殺害した。ところが、こういう事件がいくつも起きても、警察はオウムに迫り切れなかった。当時の警察は、宗教の問題に触れるのを恐れていた。
1995年、目黒公証役場事務長の男性がオウムによって拉致監禁されて殺されるという事件が起きた。この事件によって、警察の強制捜査が迫りつつあることを感じたオウムは、大きなパニック状態を作れば強制捜査から逃れられると考えた。そんないい加減な理由で地下鉄サリン事件を起こしたのだ。
麻原彰晃に「教祖なんかやめちまえ」

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そこで僕は、麻原に対して「できるなら、ここで空中浮遊をやってみせろ」と言ったが、麻原は「この場ではできない」と答えた。僕が「この場でできないというのは、できないための屁理屈だ。神通力もないということだ」と言うと、道場にいた信者たちが掴みかかろうとした。しかし麻原はそれを制し、グッと堪えて聞いていた。
しばらくやりとりしたあと、僕は麻原にこう言った。
「あなたたちが坂本一家を殺したとは言わないが、もしあなたに神通力があるならば、坂本一家の三人の遺体がどこにあるかわかるはずだ。言ってみろ。言えないってことは神通力がないことだ」
これには、麻原も困惑していた。遺体の場所を言えば、殺したことを認めることになる。答えに窮して、麻原はひたすら困惑していた。そのとき僕は「この男は結構、真面目なのかもしれない」と思った。
その後、僕が司会をしている「朝まで生テレビ」に麻原を呼んだ。オウムと幸福の科学を対決させる企画だった。僕は麻原にいろいろ質問した。「なぜアメリカが敵なのか」「松本サリン事件はオウムがやったという情報があるが、どうなのか」といろいろ突っ込んでいくと、麻原が「もう帰る」と言い出した。
僕は「敵前逃亡するのか。ならば、教祖なんてやめちまえ」と言った。結局、麻原はそのままとどまった。そのとき、西部邁などの文化人が出演していたが、彼らは「もしかしたらオウムは本物かもしれない、だから危ない」と言っていた。そうしたら、地下鉄サリンが起きた。
麻原に2回会って思ったのは、彼は非常に真面目な人間ということだ。真面目すぎるというのは怖い。連合赤軍事件も真面目すぎたから引き起こされたといえる。イスラムの自爆テロも真面目だから起きる。自爆テロをやれば天国にいけると信じている。こういう思考は怖い。
死刑は執行しないほうがいい
今回の死刑執行については、賛否両論があった。「当然だ」という意見と「真相解明がなされなかったのは残念だ」という意見がある。死刑制度に関して言うと、僕は高坂正堯さんと同じ意見で、死刑はあっていいと思うが、執行はしないほうがいいと考えている。冤罪の可能性があるからだ。
最近も、無期懲役で刑務所でなくなった人物が実は冤罪だったのではないかという報道があった。冤罪の可能性を考えると、死刑は執行はしないほうがいいのではないかと思っている。