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元NHKアナが早期退職して医療・福祉の現場に飛び込んだ理由

【諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師】

 仕事に何を求めるかは人それぞれだ。お金か、やりがいが、夢か。2016年3月にNHKを早期退職し、国立成育医療研究センターが運営する医療型短期滞在施設「もみじの家」のハウスマネージャーに就任した、元アナウンサーの内多勝康さんの決断について、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師がお届けする。

 * * *
 人生には、いくつもの岐路がある。50歳前後は、なかでも大きな岐路に直面しやすい時期ではないだろうか。

 生活習慣病などいろいろなデータをみても、50歳前後から体調の変化が顕在化しはじめる。子育ても一段落し、夫婦の在り方も変わってくる。仕事の立ち位置も変わってくるのもこのころだ。そんなとき、自分は本当のところ、何をしたいと思っていたのか、と自問しはじめる。

 元NHKアナウンサーの内多勝康さんも、50代で人生の路線を大きく変更した一人。『生活ほっとモーニング』『クローズアップ現代』などの人気番組の担当アナウンサーだった彼は、2年前の53歳のとき、NHKを早期退職。国立成育医療研究センターの医療型短期入所施設「もみじの家」の初代ハウスマネージャーへと転身した。

 ちょっと聞き慣れない施設かもしれないが、ここは人工呼吸器や経管栄養など医療的ケアが必要な子どもと家族のための施設。イギリスの子どもホスピスをモデルにして作られた。

 それにしても、アナウンサーがなぜ、医療・福祉の現場に飛び込むことになったのだろうか。

「私は安定志向の人間でしたから、早期退職なんて考えてもいなかった。転職の決心をさせてくれた方々に本当に感謝しています」

 内多さんの言葉は実に自然体だ。転職は一大決心には違いないだろうが、流れに身を任せた結果だったようだ。単刀直入に聞いた。

──収入はどうですか。

「うーん、やはり減りました」

──では、満足度はどうですか。

「それは高くなりました。53歳での転職ですが、退職までの7年間、一つのことに集中できる。それも自分が経験したかった福祉の仕事で子どもたちにもかかわれて、とても満足しています」

 お金か、夢か、という選択肢がある。すぐさまお金を選択する人もいるだろうが、路頭に迷わない程度の収入があれば、夢を選択する人はけっこう多い。それだけ夢は、くせものなのだ。

 少年のころ彼は、仮面ライダーに「異常なほど」あこがれていた。当時の写真を見ると、どれも仮面ライダーの変身ポーズで決めている。悪のショッカーを倒す仮面ライダーは、幼い彼にとってわかりやすい「正義」だった。

 その後、成長とともに「正義」へのあこがれは薄れ、目標もなく、授業をさぼって遊ぶ大学時代を過ごした。そのとき、惰性で生きる大人たちをあざ笑うような尾崎豊の歌声を聞き、「正義」の感覚を呼び覚まされたという。

 NHKに入局してからは、放送で社会をよくしたい、番組で人を幸せにしたいと思った。初任地、香川県で福祉タクシーが廃止になるというニュースを取り上げた。その福祉タクシーを利用している車いす生活の男性を取材し、男性が地域で孤立せずに暮らしていくには、福祉タクシーが大切な存在になっていることをリポートした。

 放送後しばらくして、福祉タクシーは存続することになった。こうした出来事が、手ごたえとなって、自信へとつながっていく。

◆人生は選択の連続だ

 だが、大きな組織のなかでキャリアを積む一方、壁を感じることも増えていった。きれいごとが簡単には通用しないことが徐々にわかってくる。自分がやりたい、やるべきだと思ったことも、なかなか許可されない。そんなもどかしい時間を過ごし、「かつては明確だった正義の輪郭がぼやけていった」と言う。

 それでも、関心を持ち続けることは力になる。「夢」の灯が消えそうになっても、新たに薪を投じてくれる人が現れるのだ。

 ある番組で、自閉症のTさんを紹介した。Tさんは、小さなときから「水」へのこだわりが強かった。こだわりは自閉症によくみられる行動の一つで、水に興味をもつ人もいれば、光をずっと見ている人など、いろいろな人がいる。

 Tさんの母親のすごいところは、「こだわりは人一倍興味が強い証拠。それを生きる力にすればよい」と考えたことだ。水を存分に使える風呂やトイレの掃除を教えたら、だれよりもピカピカにするようになった。大人になったTさんは、公務員試験にパスし、川崎の老人ホームで清掃の仕事を続けている。

 自閉症のこだわりは、「生きにくくするもので、やめるべきもの」と思われていたのに、「個性」だと考えたら、生きていくための武器になったのだ。

 このときの出会いで、内多さんは、正義の感覚が一皮むけたという。悪の敵から「守ってやる正義」から、「育てていく正義」へ。その人の幸せというのは、他人がひとりよがりに想像するものではなく、「当事者の声に耳を傾け、寄り添わないかぎり決してわからないもの」だと自覚した。

 仕事に対するこだわりも、溶解しだした。もっと多様な価値観を求めてもいいと思えるようになり、当事者とより積極的にかかわっていくことになる。

 50歳のときに、彼は社会福祉士の国家資格を取った。ソーシャルワーカーといわれるもので、合格率の非常に低い難しい資格だ。決定打となったのは、『クローズアップ現代』。医療的ケアが必要な子どもたちの退院後の暮らしを追う内容だった。このとき与えられた宿題が、彼のなかにずっとのしかかっていた。

 やがて、「もみじの家」がオープンし、ハウスマネージャーを募集していることを知る。ずっと解決できなかった宿題に取り組めると感じた彼は、転職を決断したのだ。

 いま、医療的ケアが必要なまま在宅で暮らしている20歳未満の子どもたちは全国に1万7000人いる。子どもの在宅ケアが充実していないために、病院でケアを受けている子どもは、さらに1万人いるといわれている。

 この現状をなんとか変えたいと、内多さんは思っている。そのためには、まず「もみじの家」の経営を軌道に乗せて成功例をつくり、大阪や福岡、札幌など各地に広げていきたいと夢が広がる。

 人生は選択の連続だ。どちらの選択が正しいかなんて、だれにもわからない。けれど、自分のなかに変わらぬ「芯」があるからこそ、迷いながらも、変わっていけるように思う。

 イギリスの歴史家カーライルは、死の床で「うん、うん、これが死なんだ、やれやれ……」と言ったという。なんとも肩の力が抜けていていい。そんな境地に達することができるのは、人生を悔いなく生きた者の特権だ。

 まだまだいくつも直面する人生の選択肢に、誠実に、真剣に、勇気をもって対峙したい。

●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『人間の値打ち』『忖度バカ』。

※週刊ポスト2018年7月6日号

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