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- 2011年08月09日 01:25
九電やらせメール事件−幹部社員の「残念な行動」−
第三者委員会の調査が本格化し、ますます混迷を極めている九電メール事件でありますが、実は「社内の常識と社外の常識」の違いに気づいていた社員の方がおられたようであります。朝日新聞ニュースによると、知事発言メモを添付して賛成意見依頼メールを送ってしまったことを聞いて、ある幹部の方が「知事発言がメールで広がるのはまずい」ということでメールは削除しておくように、と担当者に指示したことが報じられております(朝日新聞ニュースはこちら)。
6月末の株主総会用の想定問答集のなかに、「やらせメールはありました」と回答する準備を整えていたにもかかわらず、関連質問がなかったことを奇貨として7月2日の鹿児島県議会では「やらせメールはなかった」と発言するなど、いよいよ九電メール事件も「かばう」から「かくす」へと、第二ステージに入ってしまいました。こうなりますと、やらせメールをやってしまったことよりも、やらせメールが問題であることを知っていて隠したことへの批判が集中する、いわゆる「二次不祥事」が報道の関心事となり、事件の鮮度が落ちることなく、マスコミの報道価値が長続きすることになります。
それにしても、社内常識と社外常識のズレに気づく幹部がおられたのですから、なぜメールを送る前に止めることができなかったのか、九電側からすれば非常に残念な行動であります。この幹部の方が、やらせメール依頼文書の発送自体を止めることは困難だったとしても、知事発言メモの添付を止めておけば、(おそらくですが)今回のメール事件は九電自身に責任があり、軽率な行動で申し訳なかった、という、いわば「一次不祥事」で終わっていた事件だったと思います。第三者委員会招へいの原因が「知事発言メモの存在に苦慮していた」(経営トップの発言)ということですから、この佐賀支店長作成のメモが内密のままであったとしたら、ずいぶんと展開が変わっていたのではないかと。しかし、事前にメモの添付を止められなかったために県知事の進退問題だけでなく、県知事をかばう、という裏事情まで推測される事態となり、また組織ぐるみでネット等を通じて賛成意見を依頼することの問題性を知っていてこれを隠そうとしていたこと等が明らかになってしまったわけで、いわば「二次不祥事」が世に明らかにされてしまうことになってしまったようです。
ここまで来ると「やらせメールのどこが悪いのか?反対意見だって組織票でしょう?」とか「保安院や知事からの要請があったからやむをえない行動だったのでは?」といった九電擁護論が奏功しない事態となります。「一次不祥事」ならばあのプリンスホテルVS日教組事件のように断固自社の行動の正当性を主張しつづける、というパターンもあるわけですが、「まずいと思って隠していた」ことがばれてしまう、という「二次不祥事」には自社行動の正当性主張は通用しないのであります。機野さんのコメントにもありましたが、もはやここまで来ると企業の体質であり、何を言っても信用してもらえない風潮が長い間社会に蔓延する可能性が高いと思います。
私は決してコンプライアンス経営に反する行動を推奨するつもりはございませんが、どのような組織にも、この幹部社員の方のように、社内のリスクに「気づく」ような勘の鋭い方がいらっしゃいます(ときどき不運にも、全くいらっしゃらない組織もありますが)。たとえば「やらせメール」事件においても、中部電力では浜岡原発の事務所長の方が「やらせメール依頼」を拒絶した、と報じられております(たとえばこちらの記事など)。このような素質を持った方が管理責任者であれば一線を越えない可能性が高いと思います。毎度同じ例えで恐縮ですが、あの関西テレビのあるある大事典事件のときも、東京支局の某部長さんが「許される誇張表現」と「許されない詐欺的表現」の一線を常に意識して番組制作会社と対峙していたために、当該部長さんの時代には大きな問題に発展しなかった、とのこと。同じようにコンプライアンスの「すれすれ」のところを意識した発言のできる人がいれば、多少の問題は発生しても、二次不祥事に発展することがありませんので、どうにか致命傷にならずに済みます。
コンプライアンス経営とビジネス戦略は、今の時代、表裏一体の関係にあり「こういったリスクがある」と発言するだけでは管理部門の社内での地位は上がりません。リスクを呈示したうえで、そのリスクを「ゼロにはできないけれども、最小限度にするならこうしましょう」とか「そもそもリスクをとってまで遂行しなければならないほどのビジネスチャンスではないので、ここは撤退しましょう」といった意思形成過程にも踏み込む必要があると思います。法令違反ではないが、敢行すれば社会的非難を浴びる「レピュテーションリスク」があるかもしれない、それでもビジネスを進めるか・・・・・・・そういった判断過程に踏み込むためには、どうしても「気づく人間」が必要なわけで、リスクが顕在化した場合にも、どこで会社が踏みとどまることができるのか、大きな影響を及ぼすことになります。
それにしても「第三者委員会」の存在は大きいですね。少なくとも第三者委員会による調査がなければ「一次不祥事」どまりで終わっていたのではないでしょうか。個人的な感想で恐縮ですが、ちょうど1年前、郷原弁護士が東京医科大学の第三者委員会委員長としての契約を中途解消したときの記者会見、あの組織にコンプライアンスの体質を根付かせるための意気込みと(果たせなかった)無念さを、是非今回の九電メール事件でも活かしていただきたい、とひそかに期待をしております。
6月末の株主総会用の想定問答集のなかに、「やらせメールはありました」と回答する準備を整えていたにもかかわらず、関連質問がなかったことを奇貨として7月2日の鹿児島県議会では「やらせメールはなかった」と発言するなど、いよいよ九電メール事件も「かばう」から「かくす」へと、第二ステージに入ってしまいました。こうなりますと、やらせメールをやってしまったことよりも、やらせメールが問題であることを知っていて隠したことへの批判が集中する、いわゆる「二次不祥事」が報道の関心事となり、事件の鮮度が落ちることなく、マスコミの報道価値が長続きすることになります。
それにしても、社内常識と社外常識のズレに気づく幹部がおられたのですから、なぜメールを送る前に止めることができなかったのか、九電側からすれば非常に残念な行動であります。この幹部の方が、やらせメール依頼文書の発送自体を止めることは困難だったとしても、知事発言メモの添付を止めておけば、(おそらくですが)今回のメール事件は九電自身に責任があり、軽率な行動で申し訳なかった、という、いわば「一次不祥事」で終わっていた事件だったと思います。第三者委員会招へいの原因が「知事発言メモの存在に苦慮していた」(経営トップの発言)ということですから、この佐賀支店長作成のメモが内密のままであったとしたら、ずいぶんと展開が変わっていたのではないかと。しかし、事前にメモの添付を止められなかったために県知事の進退問題だけでなく、県知事をかばう、という裏事情まで推測される事態となり、また組織ぐるみでネット等を通じて賛成意見を依頼することの問題性を知っていてこれを隠そうとしていたこと等が明らかになってしまったわけで、いわば「二次不祥事」が世に明らかにされてしまうことになってしまったようです。
ここまで来ると「やらせメールのどこが悪いのか?反対意見だって組織票でしょう?」とか「保安院や知事からの要請があったからやむをえない行動だったのでは?」といった九電擁護論が奏功しない事態となります。「一次不祥事」ならばあのプリンスホテルVS日教組事件のように断固自社の行動の正当性を主張しつづける、というパターンもあるわけですが、「まずいと思って隠していた」ことがばれてしまう、という「二次不祥事」には自社行動の正当性主張は通用しないのであります。機野さんのコメントにもありましたが、もはやここまで来ると企業の体質であり、何を言っても信用してもらえない風潮が長い間社会に蔓延する可能性が高いと思います。
私は決してコンプライアンス経営に反する行動を推奨するつもりはございませんが、どのような組織にも、この幹部社員の方のように、社内のリスクに「気づく」ような勘の鋭い方がいらっしゃいます(ときどき不運にも、全くいらっしゃらない組織もありますが)。たとえば「やらせメール」事件においても、中部電力では浜岡原発の事務所長の方が「やらせメール依頼」を拒絶した、と報じられております(たとえばこちらの記事など)。このような素質を持った方が管理責任者であれば一線を越えない可能性が高いと思います。毎度同じ例えで恐縮ですが、あの関西テレビのあるある大事典事件のときも、東京支局の某部長さんが「許される誇張表現」と「許されない詐欺的表現」の一線を常に意識して番組制作会社と対峙していたために、当該部長さんの時代には大きな問題に発展しなかった、とのこと。同じようにコンプライアンスの「すれすれ」のところを意識した発言のできる人がいれば、多少の問題は発生しても、二次不祥事に発展することがありませんので、どうにか致命傷にならずに済みます。
コンプライアンス経営とビジネス戦略は、今の時代、表裏一体の関係にあり「こういったリスクがある」と発言するだけでは管理部門の社内での地位は上がりません。リスクを呈示したうえで、そのリスクを「ゼロにはできないけれども、最小限度にするならこうしましょう」とか「そもそもリスクをとってまで遂行しなければならないほどのビジネスチャンスではないので、ここは撤退しましょう」といった意思形成過程にも踏み込む必要があると思います。法令違反ではないが、敢行すれば社会的非難を浴びる「レピュテーションリスク」があるかもしれない、それでもビジネスを進めるか・・・・・・・そういった判断過程に踏み込むためには、どうしても「気づく人間」が必要なわけで、リスクが顕在化した場合にも、どこで会社が踏みとどまることができるのか、大きな影響を及ぼすことになります。
それにしても「第三者委員会」の存在は大きいですね。少なくとも第三者委員会による調査がなければ「一次不祥事」どまりで終わっていたのではないでしょうか。個人的な感想で恐縮ですが、ちょうど1年前、郷原弁護士が東京医科大学の第三者委員会委員長としての契約を中途解消したときの記者会見、あの組織にコンプライアンスの体質を根付かせるための意気込みと(果たせなかった)無念さを、是非今回の九電メール事件でも活かしていただきたい、とひそかに期待をしております。



