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- 2012年01月26日 10:12
金正男氏独白「北朝鮮でも韓流ブーム」
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東京新聞 五味洋治記者 (撮影 田野幸伸) 写真一覧
昨年死去した北朝鮮の金正日総書記の長男、金正男氏に、7年間をかけて150通のメールのやりとりと合計7時間のインタビューに成功した日本人記者がいる。そのやり取りを1冊にまとめ「父・金正日と私 金正男独占告白」(文芸春秋刊)を発表した、東京新聞の五味洋治記者が外国特派員協会で会見を開いた。(構成・撮影 田野幸伸)
五味記者との電子メールのやりとりの中で金正男氏は、社会主義と権力の世襲の矛盾を認識しており、正恩氏が後継者を世襲することに異議を唱えている。また、異母兄弟である正恩氏には一度も会ったことが無いとした。
金正男氏は日本に何度も入国しており、
「日本には5回行ったと思います。新橋第一ホテルによく宿泊し、夜おでんを食べに行きました」 「熱海の温泉に行きましたよ。「石亭」という名前でしたね。お風呂がすばらしく、忘れられません」(P125.126より)さらに、新宿や赤坂で焼肉を食べたり、高級クラブに行っていたというから驚きだ。
正男氏は2001年、「ディズニーランドに行きたかった」と、ドミニカ共和国の偽造旅券で来日した際に入国管理局に拘束され、強制退去処分となったことが有名で、「放蕩息子」のイメージが強いが、五味記者は忠臣蔵の大石内蔵助と同じで、バカのフリをした切れ者と指摘している。海外留学で資本主義の考え方を身につけ、英語・ロシア語・フランス語に通じ、片言の日本語も話せるそうだ。独裁政権の金正日に対し、唯一経済の改革・開放を進言した人物と評価している。(そのせいで「危険分子」として中央から遠ざけられたともある)
五味記者スピーチ
五味:私と金正男氏の出会いは2004年にさかのぼります。たまたま取材に訪れていた北京の国際空港で、彼らしき人物を見かけ「金正男さんではないですか?」と声をかけたら「そうです」と返って来た。そこで彼を追いかけ、歩きながらインタビューを試みた。そこには4~5人の記者がいました。ですが、はぐらかされて質問には答えてもらえませんでした。そこで私たちは名刺を渡して、また会いたいと言って別れました。
それから2ヶ月ほど経って彼と思われる人物から、我々に電子メールが届きました。「良いお年を」という内容でしたが、私たちは驚いて、それを記事にしたりしました。ですが、その時のやり取りは7通のメールで終わってしまいました。
その後北京や東京で、彼の手がかりを探し続けていました。しかし、彼にはたどり着けませんでした。
2010年10月、彼のほうから突然メールが来ました。そのメールには、彼の写真が何枚か添付されていました。彼は、私が金正男氏に興味を持ち、取材し続けていることを知り、あなたの質問にはメールで答えましょうと言ってきました。
でも私はメールだけでなく、会って話しましょうと何度も何度も送り、2011年1月、マカオで会うことができました。その時のインタビューは東京新聞に載せました。ポイントは3点。1、世襲反対 2、経済の改革 3、住民の生活を豊かにする事に重点をおいてほしい。この3つでした。
インタビューの後もメールのやり取りを続け、5月には北京で再会、今年の1月3日までメールを交換し続けていました。
今回本を出すことについては、「まだ早すぎる」と彼は反対していましたが、北朝鮮が新しい体制になって、注目が集まっている今、彼の言葉を広く伝えたいと思い、出すことにしました。この本の影響で彼に危険が及ぶとは考えていません。注目されることで、手を出しづらくなると思います。
この本を読んだ方からは、冷たい閉鎖国家だと思っていた北朝鮮にも、我々と似た感覚を持った人がいて、実名で問題点を批判している。北朝鮮を身近に感じたという感想をもらっています。私はそれで本を出した意義はあったと確信しています。



