- 2012年01月26日 07:34
皇位継承問題を考える(7.女系天皇への賛否と国家観)
さて、今回からはまた中立的な立場に戻り、女系天皇への賛成論と反対論の考え方について分析していきます。
なお、賛成・反対にもいろいろ流派がありますが、女系天皇を旧皇族天皇より優先するのを賛成論の代表、その逆を反対論の代表として書き進めていきます。
さて、女系天皇への賛成・反対の理由は、大きく言えば次の2つの論点に関わるものに分けられます。
・「日本にとって天皇とは何か」といった国家観・天皇観に関わるもの
・女系天皇と旧皇族復帰の実務上の課題に関わるもの
今回は前者について。女系天皇への賛成派と反対派は、それぞれどういう国家観・天皇観に立っているかを考えていきます。
国家観、天皇観と言っても難しく考える必要はありません。 悠仁天皇がお子様なく亡くなられたとき、天皇にふさわしいのは眞子さまと一般男性の子供、東久邇宮稔彦王の玄孫のどっちと問われれば、誰もが何かを思うでしょう。
なんとなくその思いに至った感覚こそがその人の国家観・天皇観であって、頭のてっぺんで考えたような小難しい理屈が重要なのではありません。
「天皇は男の方が座りがよくね?」
「40親等離れた人が継ぐ? すげー不自然」
「1500年続く男系の伝統は日本の誇り!」
「ちょwww東久邇って誰www」
「黒田慶樹的な人をやたらテレビで見るのはやだ」
「旧皇族? 戦前かよ」
「結婚した眞子タンには萌えないなぁ。もう皇族として見られないよ」
「男系限定は女性差別よ!」
とか、何でもよいのです。どのような理屈を聞かされようが、そういう反射的に抱いた感覚が変わることは少ないでしょうから、それこそが重要です。
感覚を信じましょう、以上、終わり!……というわけにもいかないので、そういう感覚の裏にはどういう国家観・天皇観が潜んでいるのか、言葉にしていきましょう。
1.戦後の諸改革への評価:「肯定的」or「否定的」
最大の違いはここだと思います。
旧皇族の復帰には、誰もが戦前(戦前というマイナスイメージのある言葉が悪ければ70年前)への回帰的な色彩を感じるでしょう。
そう感じる理由は、1つには、旧皇族の皇籍離脱と戦後の様々な改革が、同時期に同じようにGHQの意向を受けて行われた点で外形的に似ているため。
また、もう1つには、内容的にも、近い親族の女性よりものすごく遠い血縁の男系男子を優先する旧皇族の仕組みが、家父長制的な家制度、男女の権利の格差といった、戦後の改革で放棄された制度のなごりを感じさせるため。
女系天皇への賛成派は、日本国憲法を中心とする戦後の諸改革に肯定的な評価をしている人が多いのでしょう。 そういう人は、外形的にも内容的にも戦後改革の前に戻すようなイメージを帯びる旧皇族の復帰には抵抗感があり、反対する傾向があるのだと思います。
一方、女系天皇への反対派は、戦後の諸改革に内容面で否定的か、あるいは少なくとも「GHQの押し付けで日本人が選んだものではない」と手続的な正統性に疑問を持っている人が多いのでしょう。 そういう人は、旧皇族の復帰にも抵抗感はなく、逆に戦後改革の過ちを正す面があるとして賛成する傾向があるのだと思います。
日本国憲法や旧皇族の皇籍離脱は、GHQの押し付けか、(当初はGHQの意向があったにせよ)もはや日本人の血肉となっているか。
ひとことで言えば、そこに行きつくのでしょうね。
2.天皇とは:「皇族ファミリーの長」or「国家の中心にある位(くらい)」
2000年5月に、当時の森首相が「日本は天皇を中心とする神の国」と言ったという、いわゆる「神の国発言」騒動
というのがありました。
この発言自体は、神道政治連盟の会合で神道関係者を前にしてのものであり、リップサービス好きの森首相のこと、深い意味があって言ったのではないかもしれません。
しかし、この発言は、天皇とは何か、日本とは何かについて興味深い論争を提供していて、とても味わい深いものだと思います。
日本人が「天皇って何ですか」と問われたとき、真っ先にイメージするものは大きく2つの系統に分かれるように思います。
1つは、今上天皇その人の姿であったり、皇太子一家、秋篠宮一家を含めたファミリーの長といったもの。 もう1つは、125代続いてきた伝統であったり、日本という国家の中心、骨格をなす存在といったもの。
当然、どちらか一辺倒というわけではなく、この2つが混ざってイメージされるわけですが、真っ先に前者をイメージする人は、現在の皇族ファミリーの外から旧皇族を連れてきて天皇にするという発想には違和感を抱くでしょう。
一方、真っ先に後者、国家の中心という抽象的な位(くらい)をイメージする人は、その位に就く人は正統性が大事であって、現在の皇族ファミリーの中か外かはそれほど重要ではないと考えるでしょう。
「神の国」発言は、森首相の真意はともかく、その発言を聞いた人に「天皇の本質はファミリーの長か国家の中心にある位か」、ひいては「ファミリー外の旧皇族を位に就ける」ことへの感覚を問うリトマス試験紙となるものと思います。
さて、「日本は天皇を中心とする神の国である」と聞いて、あなたはどういう感想を持ちますか。
3.日本国とは:「国民の総意で運営される国」or「長い歴史と伝統を持つ国」
「天皇は日本国の象徴である」
女系天皇への賛成派であれ反対派であれ、これに異論を唱える人は少ないでしょう。
では、天皇が日本国を象徴するとしたら、その天皇はいったいどういう要素を持っているのがふさわしいのでしょうか。
持っている要素は主に2つ。 1つは、1500年を超える歴史と伝統を持っていることの象徴。 もう1つは、国民の総意に基づき運営される国であることの象徴。
これまた、どちらか一辺倒というわけではなく、2つが混ざってイメージされているのでしょう。 また、女系天皇も必ずしも歴史と伝統に反するとは言えず、旧皇族復帰も必ずしも国民の総意となり得ないとは言えません。
しかし、「1500年を超える歴史と伝統」が男系継承のイメージに近く、「国民の総意」が国民に親しまれている現在の皇族のイメージに近いのは間違いないでしょう。
天皇が象徴する「日本」という国家の本質は、「1500年を超える歴史と伝統」か「国民の総意に基づき運営される国」か。 あなたはどちらだと思いますか。
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ということで、国家観・天皇観という観点から、女系天皇への賛成論と反対論の考え方について分析してみました。
まとめると、賛成派は戦後改革に肯定的で、天皇は皇族ファミリーの長で、日本国の本質は国民の総意で運営される国。
反対派は戦後改革に否定的で、天皇は国家の中心にある位で、日本国の本質は1500年を超える歴史と伝統を持つ国。
上記の文章には「イメージ」という単語が9回登場することでわかるように、国家観・天皇観と女系天皇への賛否は完全に一致するわけではありません。
(戦後改革に否定的だけど女系天皇に賛成という人はけっこういるのかも。逆に、戦後改革に肯定的だけど女系天皇に反対という人はほとんどいない気がする)
しかし、女系天皇への反対派の中心が「戦後レジームからの脱却」を唱えた安倍晋三元首相や、いわゆる「保守系」論客(櫻井よし子、藤岡信勝、八木秀次、藤原正彦など)であることでもわかるように、かなり近い関係にあるのは間違いありません。
女系天皇への賛否に確たる意見を持っていない方への参考になればと思います。
次回は、女系天皇と旧皇族復帰を実際にやろうとしたらどういう難しさがあるのか、実務的な課題について分析していきます。