一方、タモリは企画がおもしろくない時、それは自分のせいではないので、別におもしろくしようとは思わない。
「企画がダメなら番組はつまらない」
この点に於いて、すぐれた企画を自分に引き寄せて業界を乗り切ってきたのが関口宏である。関口のやった番組は企画がすぐれている物が多い。
「どっちの料理ショー」(読売テレビ)
「知ってるつもり?!」(日本テレビ)
「クイズ100人に聞きました」(TBS)
「関口宏の東京フレンドパーク」(TBS)
「わくわく動物ランド」(TBS)
「サンデー・モーニング」(TBS)
もちろんヒットしなかった番組もこの10倍以上あるわけだが、これだけの数の「企画の良い番組」を引き寄せられたのは関口の才覚である。
【参考】<現在のテレビに与えた功罪>久米宏が語る「ニュースステーション論」
さて、これらの番組の関口の司会ぶりの特徴は「自分の意見は言わない」「仕切るのではなく差配する」「突差に考えた発言ではなく事前に用意しておく」「実際に仲裁に入るかはおくが、『まあまあ』と言える位置に自分を配置する」「トリッキーではなく、愚直である」などが挙げられる。
トリッキーは「ズル賢い、チャラい」であり、その反対の意味が「愚直」(foolishly honest)であることや、関口の司会術の「差配」は、常日頃から面倒を見ることが主であり、そのなかで必要なときに指図することを言い、「采配を振る」自ら先頭に立って指揮することとは、別物だということが分かって戴けると思う。
しかし、考えてみれば昔の司会者は、皆こうだった。昔は皆、関口宏のような司会者ばかりだった。そうは思えないか。
オレがオレが、と前に出るみのもんた型。経験があるばかりに自分の経験からしかモノが見られなくなってしまった一般遊離型。なめらかな進行ばかりがいいと思っている如才なし型などは近年よく目にするパターンだ。
一方、サンデー・モーニングの関口宏はご隠居さんだ。八つあんと熊さんの喧嘩に、寺の和尚さんの意見も聞いて、寺子屋の学者先生の意見も聞いて、80年生きているお種婆の意見も聞いて、さあ、どれがいい、あとは、八つあんと熊さんふたりで考えて決めなさい。隠居は何にも決めていない。
だから、関口宏の司会には安定感がある。
やっぱり、今新しく番組の司会をしてくれる人に「関口さんみたいに、ちゃんと大学出てて、といってもG−MARCH程度でいいんですが、俳優で、昔は売れてて、今は俳優で行くのも将来はあまり明るくないなあ・・・と思っている芸能人はいませんかねえ」を探してしまう。例えば、中井貴一などを浮かべては見るが、残念ながら彼は俳優として今もバリバリ売れてるので違うか。