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震災後の日本社会と若者(3) 小熊英二×古市憲寿

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古市憲寿著『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)刊行記念イベント
  ―― 小熊英二・古市憲寿対談 / 2011年11月18日東京堂書
店(構成 / 宮崎直子・シノドス編集部)

「震災後の日本社会と若者」(1) ⇒ http://synodos.livedoor.biz/archives/1883807.html
「震災後の日本社会と若者」(2) ⇒ http://synodos.livedoor.biz/archives/1884961.html

■3.11で何かが変わったのか

古市 一口に「震災後」といっても、その人の住む場所や置かれたポジションによってまったくリアリティが違うなと思います。東京など中央にいた言論人によく見られた言説ですが、3.11をきっかけに日本は変わって、新しい公共性や希望が生まれるというようなことが震災直後は語られていました。

ところで僕は3.11の少しあとに関西や九州に行っていたんですけれども、そこで見たリアリティはまるで違ったものでした。

別に街中で騒いでいるわけでもないし、みんな普通に会社にも行っている。東北地方で大きい地震があったことに関しては心を痛めているけれども、少なくとも東京ほどの緊張感はなかった。むしろ僕が印象的だったのは、3.11ぐらいでは変わらないような確かな営みとして、日常というものが続いているんだなということです。

小熊 私も3、4月は京都にいましたから同じことは感じていました。今年度から朝日新聞の論壇委員になって、一通りの雑誌が送られてきてそれを読む仕事をしていますが、いわゆる論壇で大騒ぎされているようには変わらないだろうとは思っていました。

論壇で「日本が変わる」といっていた人の大部分は、前からいっていることを繰り返していただけでしたね。これを機に新しい公共性ができるという人は、前からそういっていた人だし、震災復興を自由化で進めようという人は前からTPP賛成といっていた。「日本人はだめになった」といっていた人は相変わらずそういい続けているし、「被災地にボランティアに行け」という人は前から「若者は軍隊に行け」といっていた人です。

震災を機に、その人が従来から思っている「望ましい方向」に変わってくれればいいなと期待表明をしているだけだ、ということがよくわかりました。そもそも社会構造の基盤が変わらないんだから、意識がそう変わるわけがない。社会構造の変化に意識がついていってなかった部分が、これを機会に社会構造に沿ったかたちに変わるということはあるかもしれませんが。

古市 小熊さんは3.11以降、デモでスピーチをされたり、ツイッターで発言をされたりしていますよね。遠くから見ている人間からすると何か変化があったのかなという気がします。アクティブに前に出て、多くの人に向けて言葉を発するということが増えたようにお見受けするのですけど、いかがでしょうか。

小熊 外から見るとそう見えるのかもしれないけれど、震災とは直接関係ないです。2000年代の後半は『1968』を書くのに精一杯で何もできなかったし、書き上げたら意識不明で入院して、その後1年近くは自宅療養で動けなかった。ようやくまともに心身が動くようになってきたのが今年の初めぐらいで、ちょうど震災と重なった。デモに関していえば、私は80年代も、2003年のイラク反戦のデモも行っています。私にとっては珍しいことではないですよ。

■1995年と3.11

古市 阪神大震災とオウム事件が起こった1995年には、日本における重大な転換点だった議論があります。著作などを読むかぎり、小熊さんはそれに対しては否定的ですよね。同じように「2011年」や「3.11」が時代の転換点だったという議論はすでに多くありますし、これからも多く生まれていくと思うのですが、小熊さんはどうお考えですか。

小熊 私は戦後史にかぎっていえば、1955年あたりと1990年あたりが区切りだろうと考えています。高度成長のはじまりとバブルの崩壊の時期なんだから、誰でも納得するでしょう。国際的に見ても、スターリンが死んで朝鮮戦争が終わって、冷戦の安定期、平和共存期に入ったのが1955年くらい。それから冷戦が終わったのが1991年ですから、ちょうどその時期が境目になります。

95年については、その頃から非正規雇用が増え、産業構造の転換で製造業が衰えたりしました。91年ごろから構造転換が、本当に効いてきたんです。それらの変化がいつからはじまったのかと人々が考えたとき、震災やオウムが境目だったと感じる人が多かったんでしょう。

実際に労働現場では、95年くらいから非正規雇用の労働条件や、新卒採用の状況が悪くなったという意見は多い。85年のプラザ合意による円高から日本の工業が国外に移転しはじめ、冷戦が終わったあたりでさらにバブルがはじけて、92年ぐらいが日本の製造業の雇用のピークだった。その頃は、短期的な不況だと思って雇用を持たせていたんだけれども、持たなくなって非正規雇用に切り替えはじめたのが95年ぐらいあたりだったのでしょう。日経連の「新時代の『日本的経営』」もその頃に出ました。就職協定がなくなったのは96年で、それから就職活動がやたらと早まりましたね。

だから95年に社会が激変したというより、社会の変化がその時期に意識されるようになったということです。今回も同じで、この20年間ぐらい大きく変化してきていることが、これを機に意識された。

その一つは原発です。これは60~80年代に建設のピークがあり、補助金漬けで成り立っていた「昭和の重厚長大産業」ですけれども、その問題と実態が改めて明らかになりました。

また、地方の厳しい状況と、東京との格差も浮き彫りになりました。その前から都会のワーキングプアや格差はよく語られていたけれども、地方の実態が突きつけられた。高齢者が多くてシャッター街ばかりで、雇用条件も悪い。2000年代に構造改革で公共事業が切られ、産業も成り立たず、原発を受け入れたところ以外は、かなり苦しくなくなっている。とはいえ原発も地方も、前からあった構造的な問題で、これを機に意識されたというだけです。

ただし、2011年が本当に世界的な転換期だったことになってしまう可能性もある。ヨーロッパとアメリカの経済不安が深刻になり、アラブの春やウォール街占拠もあった。そういうものの一環として、日本では原発事故があった、と位置づけられるようになるかもしれません。

当たってほしくないですが、万が一、来年ぐらいに日本が財政破綻すれば、本当に3.11が境目だったという話になるでしょう。そうなれば将来、2011年の大災厄が起きたあとでも、「不安だけど幸せ」とかいっていたんだなということで、『絶望の国の幸福な若者たち』がタイトルだけ残って「歴史的な本」になるかもしれませんね。

古市 やけに呑気なことをいっていた本があったということですね(笑)。

小熊 そう、まだこういう気分だったんだなと(笑)。

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