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いま、本当に必要なICTリテラシーとは何か?

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 「ICTを活用したアクティブラーニングでグローバル教育」というのが昨今の教育の流行りである。グローバル教育もアクティブラーニングもICTも大いに結構。しかしそれはいわずもがな子供たちのためになる範囲においてである。では、子供たちのためにならないとはどういうことか。大人へのアピールのためのグローバル教育、アクティブラーニング、ICTである。

 ICTによって子供たちが本来学ぶべきことがより学びやすくなるのならいい。しかし、教育に関しては素人である保護者から「すごい」と思われるために導入するICTでは、目的と手段が入れ替わりやすいから注意が必要だ。見た目に「すごい」ことと本質的に「すごい」ことは大きく違う。

 たとえば中等教育には中等教育の役割がある。それは主だって、人類のこれまでの経験を超高速追体験することである。その中には知識の詰め込みも部分的に必要になる。探究活動にしたって、中等教育のうちにやるべきなのは、決して大学生がやるような「かっこいい」研究ではなく、自らの興味・関心に素直に従って、便利な道具がなかった時代の人類がやっていたのと同様に泥臭く、それを探究することだ。

 結果得られた知見が、実は何百年も前の科学者がすでに発見していたことかもしれない。それでもかまわない。むしろそのことに意味がある。古代の哲学者が論じたことを、自分で再発見することに意味がある。ダーウィンしかり、アリストテレスしかり、過去の偉人が感じたドキドキやワクワクとじれったさを追体験することが、謙虚さを育み、学びの意欲を喚起するからである。その土台なくして人類のフロンティアに立つことはできまい。かつてニュートンは言った。「この発見は私一人でしたことではない。私が巨人の肩に乗っていたから成し遂げたことである」と。巨人とは古代からの人類の叡智のことである。

 人類のフロンティアにおいては便利な道具などあり得ない。人類の地平線に便利なブルドーザーはない。手探りで、シャベルや鍬を使って、慎重に地平線を広げていかなければならない。常に泥臭さとそれに負けない不屈の精神が求められる。そのための足腰をつくるのが中等教育の役割であるはずだ。泥臭い経験をすっ飛ばして便利な道具を使うことに慣れてしまうと、便利な道具でできることしかできなくなってしまう。

 そのことを忘れて、便利な機器を使いこなすこと自体に「かっこよさ」を求めてしまうと、子供たちから本来経験すべき貴重な機会を奪うことになりかねない。「かっこよさ」に惑わされない見識と、それを保護者に説明する力が、現代の教育者には求められている。そういう意味でのICTリテラシーは、塾関係者も高めておかなければならないだろう。

※『塾と教育』4月号に掲載の連載記事を転載しました。

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