「いま介護や保育を充実させることの方がずっと大事なのに、憲法9条とか戦争とかそんな話をしている場合じゃないでしょ」とか、「憲法9条が変わっても私は関係ないです」と言う人もたまにいます。しかし、そう言う人にも関係があるのです。私たちがまともな育児支援やまともな介護支援、貧困対策、そして非正規労働者が4割近くまで増えてしまっている状況で、まともな生活を保障する国の義務ということを守るならば、軍事費にお金を使っちゃいけないんだという憲法9条のキャップを守らなければできないのです。そのことを関係ないと思っている人たちにも私たちはもっとわかってもらわなければいけません。
いまのようなモリカケ問題を起こす政府において、憲法9条の歯止めをはずしたら、また7割、8割が軍事費に使われる時代が来ないとも限らないということをもう一度思い出す必要があると思います。
「平和ボケ」と揶揄する言葉があります。私たちはそこそこのお金を民生に使うんだと規定した憲法に守られていて、もうその有難味がわからなくなっています。よくこうした憲法集会などに高齢者の人ばかりが来ていると言われますがそれは当たり前です。高齢者は単に戦争がダメだということだけではなくて、戦争が行われたいた時代、戦争が行われる社会では社会保障はほとんどかえりみられなかったし、女性は社会保障がない分を必死になって家族につくせと言われていたわけです。そのことを高齢者は体感しているのです。だから憲法9条というと言葉にしないけれど無意識のうちに自分たちが体験した暮らし、かつての困った状態、怖い状態が連想されていくわけですね。だからこうした憲法集会に高齢者は来るのです。
若い人はそれに関心がないではありません。戦争についてのそうした実相が断ち切られてしまっていて、戦争する国になったら奨学金やいろいろなものが全部ダメになる社会になってしまうということが若者に理解されていないだけなのです。だから、私たちはそういう論理構成を持って、そういう言葉も獲得して、じつは戦争しない国というのは、奨学金もきちんとある、学費も安い、まともに教育が受けられる、若者の貧困がない、こういうことのために税金を使える国になるということなんだ。女性について言えば、子育て支援にきちんとお金が回ってくる、いまみたいに待機児童ばかりで大変な社会じゃないことができる国になる。そういうふうに発言していく必要があるということをみなさんとぜひ共有できればと思います。
こういうことがこれまできちんと共有されて来なかったと思います。私たちは2つの岐路に立っています。国威発揚で誰か一部の人がいい気分になるための国に転換させるのか? それとも原則として国民のためにお金を使うきちんとした社会状況を守るのか? その岐路に立っているわけです。
ですから今のまま憲法9条を守り切ることができれば、私たちはこれまで憲法9条の枠をはずそうとする人たちにじわじわと掘り崩されてきたいろいろな私たちの権利を、もう一回確認し取り戻すことができるのではないでしょうか?
もっと実態にあった改憲をしたいという人がいますが、いまそんなことを言っている場合ではありません。いまの争点は、国威発揚のための改憲で国民が貧困に陥り格差が広がるか? それとも国民の生活を守る道か? それがいまの改憲の争点だということをもう一度ここでみなさんと共有したいと思います。頑張りましょう。
記事
- 2018年05月03日 20:58
敗戦直前の日本は国の財政の85%を軍事費に投入=憲法9条改悪は私たちの暮らしを掘り崩すということ
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