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世界から取残され迷走する日本企業が今掲げるべき道標とは

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■創業時のソニーこそ今後の日本の道標?

書店でふと、元ソニー社員でGoogleの日本法人の社長も務めた、辻野晃一郎氏の名前を見つけたので、思わず手に取ってみた。なんと、評論家の佐高信氏との対談本である。*1 両者の個別の意見については、他所でもずいぶん読んできたこともあり、それぞれどのようなお話しが出てくるのかある程度想像できるのだが、この異色の組み合わせとなると、どのように議論が展開するのか予想できない。その点に興味を感じて読み始めてみることにした。

辻野氏と言えば、創業時代のソニーの遺伝子を受け継ぎ、それをGoogleという場でも見事に開花して見せた、今や日本では貴重かつ希少な存在となっている、世界に通用するビジネスマンの一人だ。一方、佐高信氏と言えば、歯に衣を着せないバリバリの左派の論客で、言及しただけで、右翼系のアンチ佐高が殺到してきて、炎上してしまいかねない強面の人、というイメージだ。その先入観だけで言えば、この二人を対談させようとしても、すぐに喧嘩別れになってしまうのではと思えてしまう。

ただ、佐高氏には、先日亡くなった、日本を代表する保守論客であった西部邁氏との対談本もあって、*2 それこそ一見水と油の関係に見えるが、本書を読んだ限りでは二人の思想の核はすごく近いところにあるように感じる。日本でも政治的な右派、左派の定義が最近))頓に変質しているが、それを象徴しているとも言える。同様に、ビジネスに関わる価値意識や、分析軸も急激に変化して来ていて、旧来の概念が当てはめにくくなって来ている。そういう意味では、辻野氏との対談も、最早、さほど驚くようなものではないのかもしれない。

実際に読み始めてみると、やはり辻野氏は辻野氏であり、佐高氏は佐高氏だなと思う。旧来の主張とそれほど違いはない。それでいて二人の認識は、少なくとも今回の対談に関しては、ほぼ完全に一致している。そして、私もそのご意見に大筋同意できる。もちろん、具体的な人物評価や、好み等の詳細に関わる部分の中には同意しにくいところもないわけではないが、些末な問題だ。

その二人の共通認識とは、創業時~初期のソニーの思想/価値観こそ、かつて日本の企業社会が持つことができた、そして道を見失った時に繰り返し参照できる、輝かしい歴史であり、すっかり混迷して将来のビジョンを見失ってしまっている昨今の日本企業や経営者、ビジネスマンが今こそ掲げるべき道標であり、希望である、ということだ。

「新しい価値をつくり出すためには、人のやらないことをやる」という思想を徹底したソニーは日本を超えてアップルやグーグルが手本とするほどの世界性があった。アップルの創業者スティーブ・ジョブズがソニーの創業者である盛田昭夫氏を尊敬していたのは周知の事実だ。

■成功から一転凋落する「日本教」型企業

かつては、ソニーは、成功はしているけれども日本企業としては異端、という扱いだったのが、今や数少ない希望になろうとしている。それだけ日本企業の大半は迷走し、煮詰まってしまっているということでもある。そのように言うと、企業の内部留保は過去最高レベルであり、今の日本企業の業績は良いと反論する向きもあろう。

だが、そのうちの誰が、2020年のオリンピックを越えて、日本企業が堂々と世界の競争に伍していけると胸を張れるだろうか。冷静に考えれば、没落の時が迫っていることは誰にもわかるはずなのに、とりあえずオリンピックまではかりそめであれ好景気の賑わいに踊ろうというような、刹那的でよどんだ空気が蔓延している。

佐高氏は、彼が批判の目を向ける、神道系の宗教思想を背景に戦前に設立され、戦後も生き残った企業研修団体である『修養団』*3 によるファナティックで、宗教的な研修(禊研修等)*4 を社員に受けさせることを良しとする企業をカルト日本企業と呼んで批判する。

そして、そのような「日本教」とは一線を画し、個人を大事にして自由闊達な社風を良しとするかつてのソニー(およびホンダ)のような企業を高く評価する。一方、辻野氏は、ソニーに入社する以前の学生時代から、ソニーの思想に心酔し、入社後もそれを信奉し、ソニーの企業規模が大きくなって創業経営者がいなくなっていわゆる「大企業病」に冒されて変質してしまった後も創業理念の復活を願って戦い続けた人だ。

両者が、それぞれの立ち位置は違うとはいえ、かつてのソニーの思想、そして、それを体現する会社を創り上げた創業者の盛田昭夫氏おおよび井深大氏を理想の経営者とする点については、一致していることがわかる。

私が佐高氏の評論を初めて読んだのは、まだ自動車会社、それも佐高氏が批判する側の企業(トヨタ自動車)に勤務していた時代だが、その頃は、自動車業界で言えば、ソニーに近い体質を持つホンダも非常に高く評価されていた。

私自身、白状するが、海外企画で商品を担当していた時は特に、斬新な製品を次々と投入するホンダを眩しく仰ぎ見ていたものだ。一方で、ソニーとは正反対と言っていいほど異なる経営思想を持つ、『禊研修を受け入れる会社』である、日立、東芝、松下電器産業(今のパナソニック)、三菱電機等も、総じて業績は良かった。

戦後の高度成長の波に乗り、これからバブルに突入というタイミングくらいまでは、日本企業の多くは世界の勝ち組だった。だから、ソニーやホンダも個性的で面白い経営をしているが、パナソニックやトヨタ、あるいは日立、東芝等の方が日本の経営としては本流であり、その両方が切磋琢磨している日本は強いのだ、というような楽観的な物言いが一般的と言えた。

 後者のタイプの企業の中には、松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助氏や、京セラの稲森和夫氏や、会社を潰してしまったが、ヤオハンで一世を風靡した和田一夫氏のように、はっきりと宗教と経営を統合するような思想を表に出していた経営者もいたし、そこまではっきりと表明はしないものの、同等の思想を受け入れることを是とする会社は実のところ非常に多く、祭壇や神道の社、従業員のための墓を持つ会社も確かに存在した(今でも存在している)。

表立って具体的な宗教色がなくても、公私へだてなく従業員に会社への没我的な貢献を求め、毎晩のように社員が(男性ばかりだが)家族を犠牲にして飲み歩く日本企業は、他国から見れば背後に何等かの宗教的な(でなければホモセクシュアルの)紐帯があるように見えても不思議ではなかった。

当時の日本企業は、日本の社会に残された主要な中間共同体であり、その共同体への所属意識と忠誠心、共同体内での相互扶助精神が製品の品質を異常なまでに高くし、従業員は長時間労働を厭わず(しかも残業代を請求せず)、それが日本企業の強さと直結していた。

そこには、やはり一種の、宗教教団に比肩できるような精神構造があると私自身感じていたものだが、そのような「宗教色」が特に強かった、松下電器産業やトヨタ等が日本の強さの象徴であった時代には、「日本教」の浸透度合いが高い会社ほど強いと述べる識者もいたと記憶する。

ソニーと松下がビデオの企画を争ってソニーが負けた時など、「所詮はソニーなど松下の開発会社のようなもので今は元気が良いが、そのうち飲み込まれてしまうに違いない」というような意見を支持する人も少なくなかった。そして、ホンダとトヨタの関係も似たようなもの、と言われていた。

 だが、その後、電機業界は坂道を転げるように凋落の一途を辿ることになる。松下に合併されたサンヨー、台湾企業傘下となったシャープ、今ではかなり持ち直したとはいえ一時期巨額の赤字を計上したパナソニック、あるいは軒並み業績を落としてしまった日本電気や日立、極めつきは経営者が経団連会長職を得るために業績を偽って巨額の損失を隠し続け、企業破綻寸前に追い込まれてしまった東芝など、かつては自他共に世界一と認められていたはずの栄光は地に落ち、将来の展望も示せなくなってしまっている。昨今では、躍進するアジア企業の後塵を拝しているばかりか、その差はさらに開きつつあるようにさえ見える(その中では、パナソニックだけは例外的に経営改革が進みつつあるようではある)。

かつては、短期的な業績に過度にこだわらず、従業員を組織の単なるパーツではなく、コミュニティの成員(家族)として遇する家父長的な経営者も少なくなかったが、東芝の例に見るように、温和な家父長だったはずが冷酷な独裁者に変貌したり、自らのエゴイスティックな権力欲で、会社に大打撃を与えるような、とんでもない経営者も目立つようになってしまった。

しかも、もっと残念なことは、ソニーも創業者が存命のころのソニーではなく、自動車業界で言えば、ホンダもかつてのホンダではない。皆が仰ぎ見ることのできる理想の企業は、もはや伝説の中にしか存在しないとも言える。

■「日本教」では乗り切れない

もっとも「日本教」のなにが悪いのか、その良い部分を正当に評価せよと迫る人たちも多いことは私も知っている。ただ、宗教と組織、あるいは国家が一体化すると、状況が良い場合は宗教の良い面が出て更に状況を好転させる原因になることも期待できるが、状況が悪くなると(不況、収益悪化等)、成員に滅私奉公を強要して、暴走してしまうことも少なくないことは歴史が証明している。

昭和初期のテロ(5.15事件、血盟団事件、2.26事件等)など宗教がテロを抑制するのではなくむしろ奨励していた典型的な例だし、大東亜共栄圏や八紘一宇というようなイデオロギーも、その理想とは裏腹に、帝国主義的な強国の論理に堕してしまったのも、曲解された宗教的信念が背後にあったことは疑いえない。

宗教の良さや宗教一般を否定するつもりはまったくないが、企業のような組織や、国家と結びついた場合に、シャーマニズム的な熱狂が引き出されて手に負えなくなってしまう事例は枚挙に遑がない。このあたりをあまり断定的に述べると炎上ネタになりかねないし、私自身がまだこの問題の本質を語るほどの資格も力量もないことは正直に認めるが、少なくとも非常に慎重に対処すべき何事かがあることは確かだろう。

そのような視点で、昨今の企業を見ていると、「日本教」の負の部分が露呈しているケースが多くなってきているように思えてならない。その典型例が昨今非常に騒がしく問題になる、過労死やパワハラだろう。

上司や先輩等の直接の虐めだけではなく、村社会の掟に従わないものは、成員の全員が徹底的に虐めて村八分にするようなことは、昔から多かったが、昨今では、一層陰湿になっていて、虐めの対象にならないように空気を読んで息を詰めないとやっていけない企業も増えている。

一方で昨今の「働き方改革」など、昭和の時代に「日本教」精神を「禊研修」等で叩き込まれた今の企業の上層部には、本音のところまったく受け入れられないはずだ。それは彼らの表情を見ていれば一目瞭然だろう。このままでは、解決は程遠いと言わざるをえない。

日本の企業のシステムは、製造業で、低コストかつ高品質を実現する点では比類ない強さを発揮した。だが、日本の賃金が高くなり、品質の点でもアジア企業が追いついてきて窮地に立たされるようになることは、実はずっと前からわかっていたことだ。

だから、既存の「モノ」を低価格高品質で提供するような、かつての松下が標榜したやり方は早晩行き詰まるから、これからは人真似をせずにオリジナリティで勝負するソニーのようにならないとだめだ、という物言いも耳にタコができるくらい聞かされたものだ。

だが、結局日本企業の大勢は変われないままで来てしまった。企業における昭和的な価値観も亡霊のように生き残り、昨今では「日本教」的な手法を払拭するのではなく、むしろそこから離れたことが日本を悪くしたのだから、もう一度古き良き日本(日本教、あるいはその色の強い日本的経営)に回帰すべき、という声さえ大きくなってきている。

しかしながら、時代はさらに先に進もうとしている。インターネット普及で外部調達のコストが下がり、ユーザーが直接参画するようなモデルが優位性を発揮している現代では、企業や企業グループの結束の強さを強みとしてきた日本企業が、外部経済の恩恵を受けることができず、かつての強みが弱みへと暗転してしまっている。

Googleやアップル、アマゾンのようなIT系企業のモデルが製造業を含むあらゆるビジネスを破壊し、変革の渦に巻き込んでいるのはご存知のとおりだが、今の方向をさらに助長して押し上げることに寄与すると考えられる、人工知能やブロックチェーンといった技術が日進月歩で進歩している。

このような変化の激しい経営環境には、日本の従来の企業より、中国企業の方がうまく適応して、世界経済の最前線に躍り出てきている。昭和マインドや日本教では、周回遅れどころか、2周も3週も遅れてしまってる現状を挽回出来るようには思えない

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