- 作者: 磯部涼
- 出版社/メーカー: サイゾー
- 発売日: 2017/12/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
ここは、地獄か?工業都市・川崎で中1殺害事件や簡易宿泊所火災、老人ホーム転落死といった凄惨な出来事が続いたのは、偶然ではないーー。
俊英の音楽ライター・磯部涼が、その街のラップからヤクザ、ドラッグ、売春、人種差別までドキュメントし、ニッポンの病巣をえぐる。
ラッパーをはじめ地元のアーティストが多数証言。
「家族で食卓囲んでメシ食ったことなんてない」
ーーT-Pablow「『高校生RAP選手権』がなかったら、今頃は本職になってた」
ーーYZERR「深夜にタバコ屋のシャッターをこじ開けて、レジごと盗んだ」
ーーBAD HOP「南下すればするほど、中学生のポン中とか、いっぱいいる」
ーーA-THUG「競輪場で暴動が起こって、地元の親分が来てやっと収めた」
ーー友川カズキ
僕は東京近郊に住んだことがないので、川崎という街についても「神奈川県第二の都市」で、工場がたくさんある、というくらいのイメージしかありませんでした。
そうそう、藤子・F・不二雄ミュージアムがあるのも、川崎市だった。
この川崎という街で、最近、悲惨な事件が続いているのです。
2015年2月20日に中学校一年生の男子生徒が殺害された事件は記憶に新しいところですが、同じ年の5月に、「ドヤ街」の簡易宿泊所の火災で11人が死亡し、9月には老人ホームで3人の入居者が不審死を遂げていたことも報じられました。
著者は、この簡易宿泊所の火災の半年後に、現地を取材しています。
火災から約半年。現在、<吉田屋>と<よしの>がどうなっているのかを知るために、やはり、インターネットで得た情報を元にグーグルマップが指し示すあたりを歩いてみるが、見つからない。
しかし、引き返すときに気づいた。それは、すっかり消失していたのだ。マンションと駐車場に挟まれた小さな空間が跡地だった。仕方がなく、駐車場のブロック塀に残った黒い焼け跡を眺める。そのとき、背後の公園からひどく酩酊した中学生程度の男子が千鳥足で出てきて、隣にある公団住宅の駐車場に倒れ込んだ。そこではもう二人、同世代の男子が寝転び、焦点の合わない目で宙を見つめ、その周りをいずれかの弟とおぼしき幼い男児がケラケラ笑いながら走り回っている。
壁を隔てた公園では、若い夫婦がジャングルジムで子どもを遊ばせている。老人がストロングゼロを片手に動物の遊具に乗って、ゆらゆらと揺れている。それらを、ほんの10メートルほど先に建つ川崎警察署の巨大な建物が見下ろしている。なんという密度だろう。こんな空間の中では、陰惨な事件があっという間に忘却されてしまうのも仕方がないことなのかもしれない。
本当なのかこれ……もし本当だとしても、川崎のいちばん荒んだところを集めて書いているだけなんじゃない?
雑誌に連載されていたとき、このルポルタージュには、「川崎の悪い面ばかりを強調しすぎだ」という批判が多く寄せられたそうです。
僕自身も、メディアで伝えられる、無法地帯のような「川崎」が、実在するのだろうか?もしそういう面があるのだとしても、「この街の現実は日本の縮図だ!」なんて煽る必要はないのでは……とも思うんですよ。
実際、「修羅の国」なんてネットでは言われている福岡だって、僕自身はそんなに危険な目に遭ったことはないし……と書きかけて、30年前くらいに塾の帰りに地下鉄の駅でいきなり酔っ払ったおっさんに絡まれて、ものすごく怖かったのを思い出しました。
ここで採りあげられている、「音楽の、ラップの力で、底辺から這い上がろうとしている人々」の話を読んでも、「しかし、自分の悪行をラップにしてそれがヒットしても、そのラッパー自身は金銭的に恵まれるかもしれないけれど、この街や若者たちの環境が改善されるとは思えない」のです。
というか、そういう「裏社会」に憧れる人を増やしていくだけなのでは……
それでも、この本で取材を受けている若者たちが置かれてきた環境を考えると、それは「自己責任」だと突き放すのは難しいとも思うのです。
コミュニティ・センター「ふれあい館」の鈴木さんは、こんな話をされています。
「いわゆる”川崎なるもの”は、過去のものになってきている気がします。子どもたちは、先輩のその先輩くらいのやんちゃな話を、まるで、都市伝説みたいに話している。見るからに不良っぽい子も少なくなった」
しかし、相変わらず、”それ”は残ってもいる。
「お母さんが苦労してきて、その子どもも過酷な人生を送っているというケースはやっぱり多いんですね。虐待をされながら育って、妊娠して学校を中退して、離婚して風俗で働いて、また子どもを虐待して、というドツボの連鎖が、僕が見ているだけでも三世代にわたって続く状況。それが、昔だったらみんな同じような環境で育っていたので、ひどい状況を共通体験にすることができた。今は、、”川崎なるもの”に取り残された人たちが、他者の眼差しを気にしながらさらに深く傷ついている」
そういう意味では、LINEの話ではないが、問題の不可視化は進んでいるのだろう。
「最近も、パッと見は普通なんだけど、『何か気になるな』っていう、引っ越してきたばかりの子がいて、家についていったら六畳一間で、家族六人で暮らしていましたね。そういうふうに、地方で仕事を失って川崎に流れ着く日本人も多い。池上町も昔は在日コリアンの集住地域だったわけですけど、今は安い家賃を求めて、ブラジル人やペルー人、そして、日本人の入居者が増えています」