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「一般意志2.0」を現在にインストールすることは可能か?(最終回) 東浩紀×荻上チキ

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■ナローバンド言説を拡張することはできるのか

荻上 これまでの日本は「政局談義」か、抽象的な思想談義、「べき論」が支配していた。だからシノドスでは、そのあいだを埋める政策論議ができるメディアをつくりたいんですね。一方で東さんは『一般意志2.0』で、そうではないやり方も必要だと指摘している。要は、政治の議論の参加の仕組みそのものを見直すことも必要だろうと。

最近の思想のムーブメントが、社会へのコミットメントをせず、「俺には世界はこう見えている」という見え方のプレゼンテーションに引きこもっている状況もある。要は人生観をダベってるわけです。それを、「動物」を論じる東さんが懐疑を唱えたように、政治論そのものを拡張するような動きは有意義だと思うんですが。

 そう思っていますよ。強くそう思っています。
荻上 だからこそ、哲学やオタク論に関心を持たない、たとえば幾人かの政治家の人たちも「面白い」と、この本を手に取りつつあるのではないでしょうか。

 いやあ、嬉しいけど……(笑)。

荻上 なんでぼくが東さんの著書を持ち上げて、東さんが下げてるのか(笑)。この謎の図式はいったい(笑)。

 いや、やっぱりね、現実的には無理だと思うんですよ。徹底した見えない壁があって、なんていうかな……いまのマスコミとか、メジャーなメディアが必要としている「思想」の言葉というのは、この本にある言葉ではないんですよ。

荻上 欲しがっている言葉は、違うでしょうね。

 そこのところは折り合わないし、だからといってネットの人たちがこれを「バンザーイ!」と言って読むかというと、そういう内容でもないでしょう。ニコ生絶賛とかいう単純な内容じゃないですからね。だから、結局いないんだよね、ということに尽きていて……

荻上 でも東さんは、『思想地図』という場所のつくり手でもあるじゃないですか。語り部であると同時に、ご自身でメディアをつくってもいる。そのメディアを、この本の設計図に沿ってチューンナップして近づけていくという作業を、これからはしていくわけですよね?

 どうでしょう。ぼく自身はだんだんカルト化していくんじゃないの? マイナーな一部読者を引き連れてさ――ってこの本に書いたことと随分違うような気がするんですけど、話しているとどうもそういう結論になる(爆笑)。

荻上 このインタビュー、どうしよう……。

■ビジョンなんて誰も必要としていない?

荻上 ちょっと話を戻します(笑)。『一般意志2.0』での議論が、すぐに具体的な結実性を帯びるとか、実現可能性が芽生える類のものでないことは、多くの人もそう感じているでしょう。

 はい。

荻上 それでも、思想的フレームを長期的に語ること、先にあるメルクマールとして語ることによって、いまある社会問題や、いまのメディアの限界が浮かび上がるという順序で議論することもできるでしょう。しかし、こうした議論の骨法が、言説全体に欠けてしまったのはなぜだと思いますか。

 その理由は、やはりマルクス主義が崩壊したからですよね。

荻上 冷戦体制の崩壊。

 そうですね。マルクス主義はたんなる社会思想以上の体系性をもっていましたからね。いろいろなものをまとめることができた。それが、冷戦体制が崩壊して、マルクス主義が事実上、消滅してしまうと、本当になにもない。残るのは個別案件だけ。その状況で左翼のリベラルが何を言っているかというと、結局「民度を高めましょう」しか言っていないわけですよ。

その前は「革命しよう!」だったんだけど、革命は無理だということになった。資本主義は避けられない。であれば、せめてそのなかで民度を高めて、エコ意識を持って人間らしく生きていきましょう、と。ただそれだけのことを小難しく言うだけの存在に、リベラルはなり果ててしまった。そこには社会改革のビジョンも何もない。彼らが思想書を何のために読んでいるのか、率直に言ってぼくにはわからない。そこから導き出せるのは非常に貧弱な、つまらない自己陶冶の倫理でしかない。「つねに弱者のことを気にかけて生きていきましょう」という程度の話でしかない。そんなの思想書なんて読まなくてもわかる話ですよね。

荻上 うん、だからぼくは読まなくなったのかもしれない。

 ぼくも読まなくなった。だからこそ、こういう状況下でビジョンや夢を出していくことはとても重要だと思っています。だからこそこの本も書いた。しかし同時にわかっているのは、「ビジョンなんて誰も必要としていないんだろう?」ということですよね。

荻上 なるほど。

 それがなんだかグズグズとした序文にも表われているわけで、嫌らしい言い方をすれば、ぼくはこの本はいまの日本には贅沢品だと思っているんですよ。こんな贅沢品は誰も必要としていない。でもまあ、ぼくがやりたいので(笑)。

荻上 やった。

 うん。

荻上 えーと、一応これはプロモーションも兼ねたインタビューのつもりなのですが、どんどん思っていたのと違う方向に。

 いいんじゃない? プロモーションなんて(爆笑)。

荻上 なんてこった。

■「つっこみ力」に支配された言説空間

 でもね、たとえば10月にある建築関連のシンポジウムに出たんですね。それは3.11以降の社会とか、東北復興などをテーマにしていたんです。

まあそのシンポジウム自体はおもしろかったんだけど、ひとつ気にかかったのがこういうことで。ぼくはその場で、「日本はかつて、国土計画などの大きなビジョンを持って高度成長を果たした。だからいまの日本にも大きなビジョンを語る場が必要だ」と話したんですね。そうしたら、すぐに出てくる反応が「ビジョンを語ること自体が危険ではないか」というもの。これはもう条件反射的に出てくる。それは一緒に登壇していたある年配の方からの意見だったんだけど、質疑応答でも「ビジョンは一人ひとりが持っている。だからビジョンとは複数のものであり、一つのビジョンを提示するというのは……」という質問がすぐに出てきた。

なんかね、もういいよ、という気持ちになるんですよね。大事なのはビジョンの中身について語ることなのに、これじゃいつまでもそこまでいかない。「ビジョンをつくることは本当に倫理的なのでしょうか?」で、ぐるぐるぐるぐる回転している。これじゃあ、この国は麻痺しつづけると思いますよ。だって「こういう国にしたい」というところまでいかないんだもん。「こういう国がいいのではないかと議論する、そのことの是非についてまず議論しましょう」となる。

荻上 うーん、そうなのでしょうか。ぼくも色々な分野の専門家の方と話す機会はあるのですが、それぞれの専門家は「個別領域のハッカー」であるともいえる。特定の領域に長けた技術者ですね。しかしその設計にこだわるがゆえに、暴走の危険性について配慮できなくなるタイミングは必ず出てきてしまうこともある。

そうしたときに役に立つのが、たんなる教養などではなく「これをやったらアウトだろう」という倫理観で、それを構築する思想の言葉もあるわけです。「これをやったら誰かが傷つくかもしれない」と思うことができれば、「こういうふうに設計すれば効率的なんだけど、傷つく人がいるかもしれない。だからやめよう」という判断ができる。そのような線引きがないと、活動家はひたすら文句を言い、それに対して「専門知識のないバカが騒いでいる」と投げ返して、不毛な溝が深まるという帰結になると思うんですよね。

そういう意味では「イズム」によらないビジョンや、「これはアウトだろう」「こっちのほうが豊かだろう」といった共通の社会認識を構築するための「場」がないと、小さなイズムの濫立、つっこみあいのループに陥ってしまう。「どうせあいつらには通じないけど、こっちはこっちで頑張ろう」というスタンスに落ち着いてしまい、それはそれでリアル・ポリティクスであると言えるかもしれないけれど、隣の人と具体的な話をしようとする人の態度ではないな、と思いますよね。

 そうなんですよね。なんというか……ここ10年くらいでみんな「つっこみ力」ばかりが上がっちゃったんですよね。学者も、マルクス主義消滅後のリベラルは、みな「つっこみ知識人」と化したわけですよ。ネットはその作法を体現してしまっている「リベラルな空間」であるともいえて、つっこみ力だけが上がっている。

荻上 そうですね。でもそこで、つっこみに耐えられる知識や言説をつくることが、ひとつの課題としてはもちろん出てくるし、そうじゃない人は拗ねて撤退することになるでしょうけど。

 でも「つっこみに耐えられるもの」というのは、結局は歴史が決めるもののはずでしょう。同時代でいかに「検証」に耐えたからといって、それが将来に影響力を及ぼすかどうかは全然別問題ですよね。

荻上 別ですね。

 とくに「思想」などと呼ばれているものは、同時代に「それが正しい」と論証できるようなものではなかったりするから、「つっこみ」はあまり役に立たないと思うんですよ。

たとえば日本のTPP参加の是非といった論点でも、最終的には思想的な判断が必要だとぼくは思うのね。日本という国がこれからどの方向に向かうのかという意思にもとづいた判断、それでしかないと思う。参加の損得に関してはさまざまな指標のとり方があるし、未来の予測は結局はできないなかで、国の将来について決断するわけじゃないですか。

あまりいい喩えではないけど、たとえばここに二人の異性がいるとして、この人と結婚すればこういう人生になる、こっちの人とはこういう人生になるだろう、で、どっちが好き? というのが決断なんですよね。それは本人の選択でしかない。つまりその選択をさせるものが思想なんですよね。そして結果は歴史が決める。どっちを選んだとしてもつっこむポイントは無限にあるに決まっているんです。国レベルであってもそうなんですよ。

ところがいまの日本の場合、「自分たちが何を望んでいるのか」という議論をまったくしないまま、損得の議論を非常に細かく積み上げている状態で、これでは国全体が麻痺するでしょう。

荻上 2000年代のつっこみ力増大に関しては少し違う見方もしていて、つまり「欲望」を隠しているんですよね。たとえば代表的なヘイトスピーチである「嫌韓」言説は、色々な理由をとってつけているわけですよ。でもどう見ても、もう最初に「攻撃したい!」という欲望がガッチリと固定されて、その欲望を正当化できそうなエビデンスや言い回しを後づけしているわけでしょう。その際、つっこみ力は、欲望を覆い隠すための装置として機能している。

東 その通りです。それは非常に重要ですよ。結局、ぼくが言っているのは「人間は欲望を直視しなければいけない」という話です。

たとえば『一般意志2.0』は嫌韓問題とも関係している。「差別意識をなくそう」とか「韓国と仲良くしよう」とか言っても、そもそも嫌韓の連中には無理だと思うんだよ。彼らは韓国が嫌いなんだから。それは彼らの欲望だから動かせない。

■見たくないものを見る経験

 それでね、ふだんはお互いに楽しく暮らしていたとして、ふとしたときに気づくとするじゃないですか。「あれ、こいつもしかしてネトウヨ?」みたいな。そのときにどうするか。絶交するのか? いや、そんなことは無理ですよね。そのときまで一緒に仕事をしていたんだし、友情だってある。そこでマジギレして、いきなり相手を説得にかかるのは本当に社会的なのか。それは本当に「他者を受け入れる」ことなのか。人はときに、自分と意見の違う人間を、たとえそれがどれほど自分にとって許し難いものだったとしても、そのまま放置して受け入れなければいけないことがある。これは、放射能問題とかでも同じですけどね。

でも、リベラルなインテリの持つ「議論のできる人間リスト」には、無限の他者とか言いながら「××については意見が一致する人のみを他者と見なす」という付帯条項があってさ、その付帯条項がずらずらつづいているじゃないですか。いまの例だったら、韓国へのヘイトスピーチなど許し難いわけで、そんな人間を放置することそのものがリベラルへの裏切りとなる。

荻上 どんどんブラックリストが増えていきますね。

 そうやって小さなユートピアをつくっているんです。ぼくは、日本の「良心的」知識人たちは、大学の外に出て、自分たちを取り巻く大衆の醜い欲望をもっとはっきりと直視すべきだと思う。

それこそ、南京大虐殺とかアジアに関するアカデミックなシンポジウムなんて数えられないくらい開かれているんだろうけど、そういうのをすべてニコ生とかで中継して、ネトウヨ板やVIP板に貼られて、どんどんコメント受け付けたらいいと思うんですよ。そうすれば、自分たちがどういう国で、どういう環境で喋っているのかがわかる。そのうえで「共存」とか「リベラル」とか言ってほしい。『一般意志2.0』はそういうことを提案した本でもあります。

荻上 「思想をインストールすることで人間性と向き合うべし」というのが思想側からの回答だったのだけれど、現実的にそれは困難だ、と。それよりも社会の底にある「澱」のようなものをかき混ぜていく装置を用意すべきで、メディアとしては、言説そのものの入れ替え性を高める装置として、ニコ生やツイッターのようなものを参考に、アーキテクチャの見直しを提案する。そのような分析を、後世に向けて投げられたのがこの本だということですよね。

 そうですね。でも基本的には、大衆は愚かで醜い存在であり、われわれはそれを徹底的に可視化すべきだ、というのがメッセージですかね。それに耐える、それと対決することこそ、これからのインテリの役割になるのでしょう。大衆を見ないで理想だけ語っても意味ないですよ。

■差別と背中合わせの多様性

 それは言い換えれば、互いの弱さを認め合う、ということでもあるんですけどね。人間はそれぞれ弱点を抱えているので、その弱点に関しては適当に許しあう。これは『一般意志2.0』の話というより、いまの日本社会についての分析ですが、社会全体として多様性の感覚がなくなったのがよくないと思う。しかもここで「多様性」とか言うとまたきれい事に聞こえるんだけど、その裏面も含めてね。多様性を許すことと差別はじつはすごく近いんですよ。ここは大事だと思うわけ。

荻上 たとえばキャラ付けも差別につながるんだけど、個人が他者を把握するために、認知の複雑性を縮減するためにやっている面もある。キャラにもレパートリが蓄積されて、パーソナリティーが広がっていったりする面もあり、二面性がありますよね。

 たとえば、初対面の日本人と韓国人が竹島問題でやりあったりしてはいけないわけです。そこは互いに「あいつ日本人だから」「あいつ韓国人だから」と差別一歩手前の感情でスルーして、違う話をするべきなのよ。そういうタイプの技術がネット上からなくなってきているような気がする。

荻上 とくにいまのネット掲示板、スレッド型でもツリー型でもそうですけど、「承前」という感じでその前の議論を追っていないと参加してはいけないようなメカニズムになっていますよね。そうしたアーキテクチャの問題だと?

 ぼくが言いたいのは、キャラ付けは大事だということなんですね。「この人は××地方出身で、××大学を出て、家族構成は××だからこういう人だろう」というパターンはやはり重要で、そういうパターン認識をまったく前提とせずにいちいち相手の言動を真に受けていると衝突が起こりやすい。究極的には「お前なんでそこに住んでいるの?」ということから、擦り合わせする必要が出てくるでしょう。

人間をパターンで捉えるのはまずい、一人ひとりの単独性を見なければならないという倫理は、哲学のなかではとても重要なものとしてありますね。しかし、現実問題、ある程度まではそれを許容しないと、100%まっさらな人間同士がお互いの趣味から政治信条の違いについてまで一から議論しようぜ、となると、有意義なコミュニケーションはまったく起こらずただトラブルが起きるだけなんですよ。ネットはお互いのプロフィールが見えないから、そういうことがとくに起こりがちですよね。

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■ネットは永遠に「バカのもの」なのか?

 だから「実名」についても、ぼくは名前が実名であるかどうかには関心はないんですけど、やっぱりある程度のプロフィールがわかって、顔写真があるというのは、相手の発言を理解する上で非常に大きなバックボーンを提供してくれるのでいいだろうとは思う。それがないところでやっている日本のネットは、単純にコミュニケーションの効率が悪いと思いますよ。

日本のネットについて思うのは、利用者は広がったのかもしれないけど、発言者がすごく偏ってしまっている。たとえば人気画像の上位が猫ばっかりだったりするのを差し引かなきゃいけないというような話と同じで、日本だとアニメオタクとかがすごく多いじゃない? でもそれって世界全体で大きなボリュームなのか、日本全体でもそれほど大きいのか、ということですよね。

ネットだとネトウヨがいろいろやっているんだけど、日本全体で見れば小さなボリュームに過ぎないので、そこをまともなバランスで認識できないと日本のネットはなかなか使えないな、と思います。

でもこれはネットだけの問題ではないですよね。たとえば艾未未(アイ・ウェイウェイ)を支援するためにヌード画像を投稿する、あれはネットの祭りと同じだといえば同じなわけです。しかし、日本では祭りの方向性が微妙に違うわけですよ。日本で祭りが起こるといったら、高校生が飲酒運転しているからプロフ晒して退学させようぜ、とかそんなのばっかりですよ。でも中国では艾未未を擁護するために祭りが起きている。全然目的が違うわけだ(笑)。

荻上 政治監視よりは私刑、になってしまっていますね。ウィキリークス的な権力抑止論があんまり日本のネットで盛り上がらない一方で、「ガキどもの巣窟であるアメーバピグを哂おうぜ!」とか、そういう祭りの方が盛り上がりますね。

 しかもそれは何の権力とも結びついてない。このあたりについては、濱野智史くんと先日話したときにも言ったけど、たしかに日本のネットの匿名性は非常に面白いものを持っているし、形式的にウィキリークスやアノニマスと似ているとも言えるんだろうけど、実質が決定的に違う。ここはやっぱり見逃してはいけないと思うんだよね。

荻上 もちろん、海外のネットでも、大文字の正義とはまったく違う、個人の女子高生を叩くといった私刑も日常茶飯事でありますよね。だけどウィキリークスやアノニマス「も」ある、というのは重要かなと思いますが。

東 それが決定的な違いだよね。そうじゃないものが「ない」というのが問題なんだよね。

荻上 そうしたもの「も」つくろうよ、というのが『一般意志2.0』の話でもあったわけですよね。シノドスではいつもガバナンスの話を展開しがちですが、ガバメントのかたちそのものを、人間観の見直しから設計し直すというアイデアとは、相互に呼応させながら吟味していくべきものだと思いました。議論のプラットフォームをどうつくるのか、これまでのプラットフォームのどこに病巣があったのかを分析する。同時に、どういったガバナンスで、どういった目的でプラットフォームをつくっていくのか。そのふたつの方向でのテコ入れが必要だというのが現在の状況だと思うんですよね。

 いつの間にかうまいことまとめられてしまった……(笑)。

荻上 というわけで、両輪を豊かにしていくためにも、また議論させてください。

 こちらこそ。また話しましょう。

(了)

構成:柳瀬徹(シノドス編集部)
(2011年11月22日 五反田 コンテクチュアズ オフィスにて収録)

東浩紀(あずま・ひろき)
1971 年東京生まれ。哲学者・作家。現代思想、表象文化論、情報社会論など幅広いジャンルでの思索を続け、近年は小説も執筆。東京工業大学世界文化センター特任教授。早稲田大学文化構想学部教授。合同会社コンテクチュアズ代表、同社発行『思想地図β』編集長。『存在論的、郵便的』『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)、『郵便的不安たち』(朝日新聞社)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)など著書多数。

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