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無理です山下さん ――『安心』は『伝える』ものか? 小松秀樹

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■山下教授へ高まる「不信感」

長崎大学教授の山下俊一氏は、福島県に招聘され、「火中の栗を拾う覚悟で」放射線健康リスク管理アドバイザーに就任しました。放射線に対する過剰な恐怖がもたらす害を心配したためだろうと思います。放射能トラウマ(リンク)が、子供たちにまで影響を与えているらしいことを考えると、先見の明があったと言わざるをえません。

このためでしょう、山下氏は住民を対象に講演を繰り返しました。しかしネット上には、山下氏の講演での発言として、以下のような文言があげられています。発言の映像もネット上で見ることができます。

「これからは福島。フクシマ、フクシマ、フクシマ。福島は何もしないで有名になった。広島、長崎は敗けた。」
「放射線の影響は、にこにこ笑っている人には来ません。くよくよしている人に来ます。」
「私は安全を皆さんに言っていない。安心を語っている。」
映像を見て、驚きました。ジョークがジョークになっていません。聴衆がいら立っているのが見てとれました。

病院では、医師にひどいことを言われたという投書は、珍しいものではありません。たしかに問題のある医師もいます。また、患者・家族は追い詰められた状況にあるので、人によっては、医師のささいな言葉で傷つきます。通常の対話では問題にならないことで、大騒ぎになることがあります。だからこそ、対話能力が重要になります。

普通の社会人では問題視されないレベルでも、研修医であれば要注意扱いになることもあります。臨床医として経験を重ねるうちに、対話能力は向上します。慎重に言葉を選びながら、相手の反応を確認しつつ対話を進めるようになります。しかし、山下氏の発言は「要注意」どころではないように思います。

こうした発言は、一部の住民に嫌われ、解任の署名運動が起こりました。結果として、山下氏は、住民に安心を与えることには失敗したと思います。

■リスクの相対化

前提としてわたしは、今回の被ばくについて大きな健康被害はないだろうという山下氏の発言は、おそらく正しいと思っています。ただし、実際の被ばくの状況を再現できるような完璧な情報があるわけではないので、注意深い監視が必要です。

現時点の外部被ばくについては、南相馬市立総合病院の玄関先で、空間線量は毎時0.2から0.3マイクロシーベルト程度です。0.4と多めに見積もって、 24時間、365日、屋外で生活したとしても、年間3.5ミリシーベルト。南相馬市立総合病院の及川友好医師や東大医科研の坪倉正治医師たちによるホールボディーカウンターのデータでは、内部被ばくは、チェルノブイリよりはるかに軽度でした。南相馬で4月以後活動している坪倉医師に内部被 ばくは生じておりません。今後、一定以上に汚染された食物を摂取しないという条件が守られれば、たしかに健康被害が生じる可能性は低いだろうと思います。

山下氏は、「ミスター100ミリシーベルト」と呼ばれました。過去に、年間100ミリシーベルトの被ばくで、大きな被害が知られていないこともその通りです。しかし、放射線被ばくに安全域がなく、少しでも被ばくすると、その分、がんが発生するという仮説もあります。これが正しければ、年間、1ミリシーベルトでも100 ミリシーベルトでも、がんの発生は線量に応じて増えるはずです。

ただ、被ばくによるがんの発生の増加があったとしても、100ミリシーベルト程度なら、増加幅に比べて、普通の日本人のがんの発生率が大きすぎるので、統計学的に差を検出するのは難しいと思います。その意味では、山下氏の主張に同意できる点も多々あります。

無論、わたしは100ミリシーベルトまで平気で浴びなさいと主張しているわけではありません。被ばく線量が少なければ少ないほど望ましいのは間違いありません。それでも、たとえば被ばくを恐れてシェルターにこもりっきりになれば、社会とのつき合いがなくなり、経済的に破綻します。社会的孤立や貧困は健康をひどく損ねます。子供の将来にも大きな影響を与えます。健康を損ねて病院に行けば、むしろ医療被ばくを増やします。どこまで犠牲を払って対応するのか、リスクを相対化して考える必要があるのです。

■安心を伝えるのが善か

3月12日、原子力保安院の記者会見が、かえって国民の疑心暗鬼を煽るものだと思ったので、知人の与党幹部と経産省の幹部に以下のようなメールを送りました。

「原子力保安院の記者会見は危機管理になっていません。半径20キロ以内を避難させる理由が説明されていません。官僚が重要なことを隠しているというメッセージになっています。」
「最悪の事態を覚悟していること、日本に降りかかった難局に責任者としてあらゆる対応をとる覚悟であること、日本人の難局に当たっての能力を信頼していること、協力をお願いすることなどを、菅総理自ら率直に国民に語るべきだと思います。」

経産省の幹部からは以下のような返事がきました。官邸にもわたしと同じ考えがあったことをうかがわせます。

「夜以降の発表は、総理、官房長官、経産大臣が、納得がいくまで、話を聞いて、彼らが発表することにしました。」

「最悪の事態を覚悟して」というところには、異論があろうかと思います。わたしは、当時、再臨界になるのではないかと心配していました。もし、東京の住民が先を争って避難する事態になれば、大量の餓死者がでると推測していました。だからこそ、事態が悪化した場合の対応を考えると、その前から「最悪の事態を覚悟して」という文言を流しておくことは悪いことではないと思っていました。

わたしは、医師としての長い生活で、絶望的な状況にある人たちと対話を繰り返してきました。たいていの日本人は危機的状況に冷静に対応できると思っています。一方、下手に安心を与えようとすると、嘘や隠蔽が避けられません。かえって、不信の原因になり、以後の対応がとりにくくなります。

■山下俊一氏の勘違い

山下俊一氏の最大の問題というか、勘違いは、安心を与えようとしたことです。これは、大それた行動で、宗教的と言ってよいかもしれません。自分では、科学者としての発言だとしていますが、「安心」を口にする仕方は科学的ではありませんでした。

中西準子氏は、中央公論2005年3月号の「『安心・安全』の氾濫が作り出す不安」で以下のように、安心を与えることの問題を指摘しています。

安心という心の状態は、システムで得られるものではないし、また、通常は、生きている間にはなかなか得られない。もし、得られるとすれば、個人が自己との闘いの末、ある種の欲求を捨てることと引き換えに得られるもののような気がする。その安心を与えるのは国や企業であるとなれば、だれもが自己との闘いをやめてしまい、結果として不安が大きくなる。私は、当初、安心というのは飾り言葉のように捉えていて、それを本気で受け取る人がいるとは思っていなかった。ところが、企業の経営者が年頭挨拶で「これからは、企業は安心を与えることを目標に」と述べるのを耳にし、テレビのキャスターが、「安全と言えるかもしれないが、国民は安心感をもっていない、そこが問題だ」というような発言をし、「老後は不安ですか?」というアンケートをとって、六割もの人が不安と答えた、国の政策はどうなっているのかと怒るレポーターを見ていると、不安との闘いという個人の心の課題が、いつの間にか国や企業の責任に代わりつつあることを実感するのである。これではかえって不安、不安という人が増える。

山下氏は、安心を説きました。わたしが言うのだから信じなさい、ということでしょう。でも、現代の日本で、安心しなさいと言って安心を与えるのは無理です。できるのは、科学的データを体系的に提示し、リスクを相対化して分かりやすく比較検討することだけです。あとは、個人の心の問題です。(初出MRIC、シノドス再編)

小松秀樹(こまつ・ひでき)
医療法人鉄蕉会亀田総合病院副院長。1974年東京大学医学部医学科卒業。都立駒込病院など7病院を経て1983年山梨医科大学泌尿器科助教授。1999年より虎の門病院泌尿器科部長。2010年4月より亀田総合病院。著書「慈恵医大青戸病院事件 医療の構造と実践的倫理」(日本経済評論社)、「医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か」(朝日新聞社)、「医療の限界」(新潮社)他。

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