ネット発の話題を取り上げるテレビ番組が増えている。それに応じて「バカ」な問い合わせも増えているようだ。ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は「テレビの制作に携わる人々は忙しすぎて疲弊しているのだろう。だが、それにしても傲慢で失礼な問い合わせが多い」という。中川氏が遭遇した「ウルトラバカ」の問い合わせとは――。
■テレビ関係者の「思い上がり」に対する反感
2018年3月、お笑いコンビ・おぎやはぎの矢作兼が、テレビのロケ中にカメラの前を遠慮なく横切っていくような年配男性について、ラジオ番組で言及したことが話題になった。
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写真=iStock.com/microgen
「老害」「年寄りになるとああいうのが増える」などと指摘した矢作に対し、ネット上では多数の批判が書き込まれた。「邪魔なのはお前らだ」「テレビだからって公道をふさぐ権利はない」といった意見が多かったのだが、それらを書き込んだ人々は、いわゆる「テレビ関係者の思い上がり」を矢作の発言から感じ取ったのだろう。矢作はあわせて「ロケが通行人にとって迷惑になっていることは理解している」と述べていたが、一般人からすれば「こちらがやむを得ず協力しているからこそロケが成立しているのに、なにを偉そうに上からモノを言っているのだ?」と思ったであろうことは想像に難くない。
こうした“思い上がり”はメディア界隈で仕事をしていると、ときどき感じることがある。私の場合、主にネットメディアと紙メディアで仕事をしているわけだが、どうもテレビ業界の人々は、われわれを何段階か低い存在として捉えているように思えるときがあるのだ。
テレビ放送は総務省のお墨付きが必要な免許事業であり、それだけに高い公共性が求められている。さらにネットが普及した現代でも、テレビ局の影響力はいまだに強大である。そういった背景も影響しているのか、テレビ業界人はときおり「貴様ら下級国民どもは、上級国民たるわれわれ――テレビ様に協力する責を負うのだ」といった感覚を抱いているかのごとく、不遜なそぶりをうかがわせることがある。冒頭で紹介した矢作の件もしかりだ。
■ネット記事をもとにした、お手軽な番組づくり
そうした不遜さは、番組制作スタッフからの「問い合わせ」にも現れる。普段、ビジネスを通じてバカに遭遇する確率はせいぜい10%程度なのだが、私の体感値ではテレビ業界人のバカ率は20%を超える。ただ不思議なのだが、これがラジオ業界人となるとバカはほとんど見たことがない。
昨今、テレビの情報番組やバラエティー番組は、ネットを情報源とした話題を頻繁に取り上げる。たとえば昨年10月、私が当サイトで書いた「“小中学校の友人”なんてクソみたいなもの」というコラムも、11月に放送された『林先生が驚く初耳学』(TBS系)で紹介された。
放送日の夕方、たまたまTBSを観ていたところに番組CMが流れたのだが、林修氏が示した「小中学校の友人なんてクソみたいなもの」という言葉に対して、ひな壇の出演者が「えーーーーー!」と声を上げている様子が映されていた。それを観て「なんだよ林先生、オレと同じこと言ってるじゃねぇかよ」と仰天したのだが、実際のオンエアでは、プレジデントオンラインの私のコラムが紹介され、林氏がその内容にとても共感してくれたことが語られた。「同じことを言っている」もなにも、そもそも私の主張に林氏が賛同してくれた結果、番組で取り上げた……という構図だったのだ。
実のところ、私はその番組を観ていなかった。編集部には制作サイドから事前に問い合わせがあったようだが、私にはその旨が伝えられなかったので、自分のコラムが番組内で紹介されることも、それをもとに林氏が考えを語ることも知らなかったのだ。放送直後から私のもとには「中川さんの記事、林先生の番組で紹介されてたよ!」という連絡が続々と入り、テレビの伝播力、影響力の強さを改めて実感した。しかし一方で、「テレビの企画担当者は、今回もまたネットコンテンツから話題を拾って、お手軽にコーナーを一本つくったのだな」と、少しげんなりしたのだった。
■「テレビだから」で、何でも許されるわけがない
話を番組制作スタッフからの「問い合わせ」に戻そう。テレビ業界の下請けブン投げ体質であるとか、子請け・孫請け・ひ孫請け……という業務の流れのなかで、制作費がどんどんピンハネされていく構造などは、私なりに理解しているつもりだ。末端の制作会社ともなれば、その労働環境はまさに「劣悪」のひと言だと聞く。たとえ局の社員だとしても、制作の現場では入社して数年程度の若手なら馬車馬のごとくコキ使われて当然の世界だ。
そんな厳しい番組制作の現場に身を置く彼らに、同情する気持ちもないわけではない。ただ、それを補って余りあるほどのバカなスタッフが、問い合わせの場面で目立つのだ。
テレビの制作スタッフから記事の転用などについて問い合わせがあった際、私が編集に携わるニュースサイトでは、以前であれば「サイトのPRになるなら」と無償で記事の使用を許可していた。だが、あまりにも頻度が高いのと、「ネタをパクられた感」「徒労感」だけが残るため、今では使用料をもらうことになっている。
そうしたやり取りをするなかでわりと頻繁に聞かされるのが、「番組内で実際に使うか使わないか、まだわからないんですけど~」や「テレビなので、直前に企画が差し替えになる場合もあります。ご了承を~」といったセリフである。彼らは悪びれもせず口にすることが多いのだが、なんとゴーマンな言い分であろうか。
こちらは時間と手間をかけて協力しているというのに、彼らの論理からすれば「使われなかったとしても、仕方ないよ。だって、オレらは“テレビ様”だから」ということになるらしい。「テレビとは、そういうもの」と言えば、みんな当然のように納得してくれるとでも思っているのだろうか。
■フェイクニュースを疑ってきたテレビマンの話
そして先日、ウルトラバカが登場した。その番組スタッフからの問い合わせには、私の同僚が対応したのだが、やり取りがとにかくむちゃくちゃなのだ。ある巧妙な詐欺事件に関する記事への問い合わせだった。彼の質問がすごい。
「この内容、事実ですか?」
その記事は、これまでも同様の事件をいろいろと追いかけてきた専門のライターに寄稿してもらったものであり、こちらとしては「事実にもとづいた信憑性の高い内容」と自信をもって掲載している。先方は「念のため確認したい」という程度で他意はないのかもしれないが、それにしても尋ね方というものはあるだろう。いきなり「お前ら、フェイクニュースを載せてないだろうな、アァ?」と聞いてきたようなものなのだから。
同僚は「事実として出しております」と丁寧に答えたが、別に「ハァ? ウソだと思ってるんだったら、テメェがイチから取材すりゃいいだろ、ボケ!」と突き放しても構わないところだ。こんな失礼なことを言われつつも同僚は対応を続けたのだが、ここからバカの迷走がさらに加速していく。
「実は、再現ドラマをつくろうかと思っております。この記事を参考にして、つくらせていただくことは可能でしょうか?」
先述したように、番組でこちらのつくった記事を使う場合には、使用料を請求することになる。合わせて、出典元としてクレジットを出してもらう必要もある。