ことの発端は、昨年2月に野党がPKOに派遣された自衛隊の日報を開示するよう要求したことです。
これに対する防衛省の回答は、「ない」でした。
本当にないのか、普通なら日報は作成されているはずなのに「ない」は誰が聞いても異様な回答でした。
自衛隊がPKOで派遣されていたが、そこで戦闘に巻き込まれていたのかどうか、日々どのような活動を行っているのかは、国会によるコントロールという観点からは非常に重要なことです。国会の責務でもあります。
しかし、安倍政権与党の自民党は絶対にこのような追求はしませんし、その意味は「確認」すらもしません。政権と完全に一体となって国会議員としての責任を果たそうとしません。自ら与党として自衛隊を海外に派兵したのですから、本来であれば、それが法を遵守しているのかどうか確認すべき責任は同じく与党にもあるはずなのに、送り出してお仕舞いなのが与党自民党なのです。
さて、当時の防衛省の責任者である稲田朋美氏は、本当にないのかと聞いたそうです。
「イラク日報 再探索の指示不明確 稲田氏も口頭で」(毎日新聞2018年4月7日)結局、稲田氏も本当に日報が出てきてしまっては困るからこそ、とりあえず確認したという意味合いで、聞いてみたということです。
「昨年2月22日に当時の稲田朋美防衛相から日報の再探索指示を受けた統合幕僚監部の担当者が、関係部署に明確に伝えず、伝達先も三つの部署に限られていた。同省が7日公開した担当者のメールから判明した。稲田氏の「指示」も口頭で「本当にないのか」と尋ねただけのあいまいな内容だった。」
もともと稲田氏は、防衛省の人たちからは、「防衛」には素人ということで最初から軽んじられていた人だったのですが、それでも責任者であることに代わりはないわけで、その稲田氏が防衛省に乗り込んで「本当にないのか!」と恫喝していれば、もっと違った結論にはなっていたことでしょう。
「ない」わけがなかったのですから。
もともと防衛相になってはしゃいでいた人ですから!
[ブログで画像を見る]この自衛隊の日報隠しについては、文民統制(シビリアン・コントロール)の問題として憂慮する声も聞かれるところですが、そういう次元の問題ではなく、安倍政権の姿勢の問題です。
仮に稲田氏が防衛相として無能であったとしても(という評価は定着していますが)、あるべき文書が「ない」というのですから、それはおかしい、安倍首相自らが防衛省に乗り込んでいくべきだったわけです。安倍晋三内閣総理大臣こそが自衛隊の最高責任者ではないですか。
こうしたことからすれば日報が今日に至るまで出てこなかったのは、防衛省、自衛隊の暴走ではありません。あくまで政権の意向そのもので、日報隠匿は、政権と防衛省、自衛隊の二人三脚だったわけです。
森友学園、加計学園疑惑と全く同じ次元の問題なのです。
防衛省、自衛隊の責任だったなんていうことで、お得意のしっぽ切りをするようなことをさせてはなりません。
安倍政権の責任なのです。
そうこうしているうちに重大な疑惑が出てきています。
「自衛官が被弾、燃やされた日報―元自衛官が証言、隠蔽されたゴラン高原PKOの実態」(志葉玲)本来、日報に記載しなければならないことが記載されていないというのです。
「ゴラン高原派遣部隊の日報に、当初、『隊員が被弾』と書かれていたのですが、上官により、『隊員が被弾』の部分を除いた書き直しが命じられました。当初の日報は焼却され、文字通り無かったものとされたのです」
これが事実であれば重大なことです。この中で記載された事項は軍事機密でも何でもありません。公にされなければならない情報です。
それが改ざんされている、最初から報告書に記載しないという重大な疑惑が出てきたのです。
当然、国会はその真偽を確認しなければなりません。その責任があります。
これは日報隠しと次元の異なる疑惑です。
政権関与がないというのあれば、自衛隊の暴走です。
もともと、自衛隊は米軍に従属する立場にあり、日本政府よりも米軍を優先しています。
その意味では文科省の森友、加計学園とは次元の異なる背景事情があります。
安倍内閣は、制服組を背広組と対等にしてしまうという「改革」までやってのけました。
「安倍自民党政権 自衛隊の制服組を「昇格」させる シビリアンコントロールが踏みにじられる」
ただでさえ、米軍優先体質がある自衛隊の制服組の地位を引き上げたのです。
こうした自衛隊の暴走を安倍政権が本腰を入れて調査するとは思えず、安倍政権には、最初から自衛隊をコントロールする気はありません。
本当に報告書を意図的に作成しているとすれば、もはや自衛隊の海外派兵の根幹を揺るがすことになります。自衛隊海外派兵を積極的に推し進めたい安倍政権がこうした自衛隊の疑惑を解明しうるはずもありませんし、それは自民党そのものに言えることです。
こうした「自衛隊」が憲法に書き込まれてもいいのですか。そこが9条改憲では厳しく問われています。