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震災は「過去」のものだが、その影響は「現在進行形」―震災遺児、孤児の気持ちは今?

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東日本大震災により、多くの子どもたちが親を失った。厚生労働省によると、震災で両親ともになくした18歳未満の子ども「震災孤児」は244人、両親のどちらかを亡くした子ども「震災遺児」は1538人だった。

一方、「あしなが育英会」が当面の生活費を支援した震災孤児・遺児(18歳以上を含む)は2083人。このうち、その後に就職や結婚した人を除外し、今でも手紙を出すなどして交流をしているのは約1600人いる。当時、母親のお腹にいた子どもは20人弱。この世代が今年4月、小学校1年生になる。

震災孤児の多くは親族里親、つまり、祖父母ら直系の親族に子どもの養育が委託されている。ただ、親族の元での生活が合わない場合は、通常の里親制度を利用するか、児童養護施設で生活する。震災から7年経つと、震災遺児の親が再婚するなど、家族関係に変化も起きている。

仙台市、石巻市、陸前高田市で震災遺児や孤児の交流の場「レインボーハウス」を建設し、支援活動をしている「あしなが育英会東北事務所」の西田正弘事務所長に話を聞いた。

親の再婚や新たなきょうだいをどう受け入れるか

ーー東日本大震災で遺児や孤児になった子どもたちを取材したことがあります。厚生労働省は震災から二週間後に「震災により親を亡くした子どもへの対応について(※PDF)」という通知を出しています。ところで、関わっている子どもたちの中で、どんな子どもたちが多いのでしょうか。心的外傷後ストレス障害(PTSD)など精神的な影響について、西田さんはどのように見ていますか?

震災遺児・孤児の現状について話す西田さん

西田:東日本大震災の震災孤児・遺児の数は、阪神淡路大震災による震災孤児(68人)と震災遺児(505人)の3倍です。「レインボーハウス」に来ているのは、父親を亡くした子どもが5割、母親を亡くした子どもが4割、両方を亡くした子どもが1割ほどです。

宮城県では仙台市と石巻市、岩手県では陸前高田市。その3カ所に、あしなが育英会が運営する震災遺児・孤児の交流施設「レインボーハウス」があります。子どもたちの精神的なバランスは揺らいでいます。たとえば、母親をなくすと、女の子が生き方のモデルがない状態になってしまいます。父子家庭だと、女性特有の成長の変化をなかなかキャッチできないし、相談できないと言われています。

また、母親が亡くなると、実父が新しい母親と再婚することがあります。そのとき、子どもは亡くなった母親に対してどう思うのでしょうか。新しい母親との関係をうまく作っていけるのかも課題です。特に女の子で、中高生の場合、亡くなった母親や再婚について、父親がどう語り、子どもたちがどう受け止めているかで変わってきます。

同様に父親が亡くなったケースでは、新しい父親ができる場合もあります。遺されたのが男の子の場合、新しい親との関係を親子としてみるのか、新しい夫婦を男女関係としてみるのか、このあたりが難しいですね。

「レインボーハウス」には新しいお母さんが迎えにくる場合があります。こうした家族の場合、亡くなったお母さんに対する子どもの気持ちを吐き出す場を大事にしていると思います。新しいお母さんができると、子どもは「あの人」と呼んだりします。それが、うまく関係を作れてない場合なのか、それともほかの子どもたちに気をつかっているのかは確認できていません。しかし、亡くなった親への喪の作業と、新しい親との関係性を作っていく作業をしています。

「日常」に戻ったからこそ起きる問題も

ーー震災から7年経てば、遺された親が再婚して、家族が変化することもあり得ますね。

西田:再婚した後に、母親と新しい父親との間に弟や妹ができましたという家族がありました。姉として弟や妹を面倒を見ることになりますが、母親は新しい子どもたちに時間が取られることで、姉へのケアが行き届きません。今後、思春期になったときに、その子の自尊感情がどうなっていくのか心配です。不安の感情が高まるかもしれません。

家族が変化するのは仕方がありません。ただ、家族の中で、子どもたちにとっての居場所を築けるのか、安心感を持てるかは課題となります。周囲からは「新しいお父さんができてよかったね」「お母さんができてよかったね」と言われることになりますが、子どもたちには様々な課題が生じます。どんな風に折り合いをつけていけるのでしょうか。

再婚することは親にはよいことですが、親たちが子どもの繊細な気持ちを理解できるのか。子どもに対して「いろんな気持ちがあっていい」と認めることがキーポイントになる気がします。また、家族が変化していくときに、通っている学校の先生もどんな配慮ができるのか。注意・関心を持つことが大切になります。

ーー遺された側の親としても困難さがあると思われますが....

西田:東日本大震災の発生日は3月11日ですが、(震災関連死を含めると)亡くなった日が違う場合があります。また、いまだに発見されずに行方不明の場合もあります。探してきて、何日目かに捜索を諦めたという場合もあります。大人たちは、生活のために諦めなければならないときがあります。亡くなった場合はお墓を作らなければならないし、遺産相続の手続きもあったります。そういうものに忙殺されてきました。

そうした状態から今は落ち着いてきています。なかには、義理の両親との関係を続けるのかどうかを考える時期に来ているご家庭もあります。そこで、たとえば、もう関わらないということを選んだとします。親族の縁を切る「姻族関係終了届」を出すことを考えている人もいます。しかし、義理の親からすれば、孫なので応援したい。また、老後の面倒を見てくれるかどうかで取り合いになる場合もあります。シビアな現実が突きつけられて、親からはすれば煩わしいことがあります。

多くの人が亡くなった陸前高田市。市役所にも避難しようと集まっていた(12年4月撮影)

ーー日常に戻っているからこそ、難しい問題もありそうです。

西田:「レインボーハウス」に来ている人たちはまだはけ口がありますが、震災後7年、親たちはずっとエネルギーを使って子育てをしてきました。そのため、疲労感がたまったり、ガス欠になっている人も多いのです。

例えば、親が行方不明の家族がいます。子どもは気持ちの踏ん切りをつけたいと思っているのですが、親の方が「うちのかあちゃんはまだなんだよね」と言っています。ただ、同じように思わないといけないということもありません。ずれたとしても、いいとか悪いとかではないので、僕らは受け止め、支えます。無理にズレを強調はしません。

東日本大震災では多くの人が突然亡くなってしまいました。遺族側に「ちゃんとお別れしてない」という意識があるケースも多い。心残りだし、「あのとき、こうしていれば」と考えたりもするでしょう。もちろん、親やきょうだいという関係性や、亡くなった人への愛情の度合いによってもかなり違いますよね。

遺体安置所となった利府町の「グランディ21」。家族を探す子どもたちの姿もあった(11年4月撮影)

亡くなることのストーリーは人によって違いますが、震災の場合は、突然です。例えば、地震が起きてから津波が来るまでの間に連絡を取り合っていた夫婦がいます。津波で夫が亡くなったのですが、妻はそのとき、「逃げて」と言えませんでした。その間のコミュニケーションを振り返って、いまだに自分を責めています。地震と津波の間。あの時間の関わりが影響しているのでしょうね。そして「夫が亡くなったのは私のせいだ」と思っています。阪神大震災のときでも、5年、10年経ったとき、「私のせいだと思っていた」という人が出て来ました。ただ、それを言うだけの体力がつかないと、なかなか言えません。

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