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井上さんの嘘① 笑顔の会釈

私は地下鉄サリン事件で不起訴になり、VX事件でも不起訴になった。

そして三度目に逮捕された都庁爆弾事件で起訴された。

「菊地さんとは毎回、話をしていました」

一審の証人尋問で、井上さんはそう語った。

私が中川さんに呼ばれて八王子のマンションに訪れる度に、私に話しかける時間を意図的に作っていたというのだ。

作り話だ。

私に爆薬を見せたという話に真実味を持たせるためなのだろう。

食品用のタッパーに入った白い粉(爆薬)を私に見せて(それが爆薬だという説明はせずに)「準備は進んでいるよ」と言ったところ、私が「頑張ります」と答えたという話だ。

私と井上さんとは同じ部署になった事がなくもともと接点がなかった。マンションで顔を合わせてもほんの少し言葉を交わす事があった程度で、毎回話をするなどという交流はなかった。

一日がかりの証人尋問は、途中で何回か休憩が入る。

まず最初に証人が退廷する。

席を立った井上さんが、満面の笑顔でこちらに向かって会釈をした。

誰に向かって会釈をしたのか一瞬わからず周りを見てしまった。

私の周りには弁護人の先生方と引率の拘置所の職員しかいない。

会釈の相手は私としか考えられなかった。

しかし、それまで私は彼の方からこのように笑顔で挨拶をされたことなどないのだ。

毎回話をするような人間関係だったという証言に真実味を持たせるための「演技」なのだということはすぐにわかった。

が、それにどう対応したらいいのかわからずオロオロしてしまったと思う。

次の休憩時間からは、隣に座っていたS先生が私に話しかけてくれた。

「話をしていれば井上さんも会釈してこないでしょ」

私が困っていたのに気づいて助け船を出してくれたのだ。

(私)「びっくりしました」

(S先生)「私もびっくりしたわよ」

もし会釈を返していたら、井上さんの証言に真実味を与える行動を私自らしてしまうことになっていたかもしれない。

かといって、毎回会釈されているのにそれを無視し続けていたら、それはそれで裁判員の方々から悪い印象を持たれただろう。

もしそれらを全部計算しての事だったら彼は本当に頭がいい。

そして、普通だったら、不利な証言をしている相手に向かって満面の笑みで会釈などできないだろう。

ましてその証言のほとんどが作り話なのである。

気まずくなるのが普通だ。

なぜ彼にそれができるのかといったら、その笑顔の会釈が「演技」だからに他ならない。

彼は「役者」だ。

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