- 2018年03月29日 11:23
「プライバシー」が過去の遺物になった時代のこれから
Facebookの個人情報漏洩事件が、深刻な状況に陥っています。シンガポールでも先週、国会の委員会でFacebookのアジア太平洋地域の副社長が追求され規約違反を認めました。
本日はイギリス議会委員会にマーク・ザッカーバーグCEOが出席しない旨を表明しましたが、Brexitの投票の際にもFacebookの個人データが悪用された疑いや、データ流出先の英ケンブリッジ・アナリティカ社の従業員の不審死情報まで飛び交う始末。米連邦取引委員会(FTC)関係者によると、同社に最高2兆ドル(210兆円)という天文学的な数字の罰金が科される恐れもあるそうです。
これだけ問題になり、騒がれる「個人情報」ですが、いったい私たちどこまで「個人情報」=プライバシーを守ることができるのでしょうか?
1980年代後半、在日韓国朝鮮人の方々だけが指紋押捺を強制される制度が問題となり、私の友人たちがよく反対デモに参加していました。私も「指紋を強制されるなんて」と当時は憤っていましたが、1990年代になって香港に住むようになったら、外国人である自分自身だけでなく香港人も全員指紋押捺が義務であることがわかりました(シンガポールも同様)。
さらに2000年代になって入出国を自動ゲートでするようになってから日本でも指紋を登録して使用していますし、現在通っているシンガポールの専門学校では、校舎に出入りするたび指紋で時間管理をされています。
マイナンバーも同じ。日本ではまだマイナンバーに抵抗がある方が多いようですが、制度導入からすでに30年近くたっている香港やシンガポールでは何をするにもすべてマイナンバー(シンガポールでは「IC」と呼ばれています)が必要で、納税や銀行口座はもちろん映画のチケット1枚買うにもこの番号をリクエストされるので、極端に言えばマイナンバーなしでは普通の日常生活が送れません。
さすがに公園でレンタサイクルを借りる際、ICカードを預けなければいけないと言われたときには驚きましたが、一事が万事この調子。万が一この番号を盗まれてそこに紐づけられた情報を入手されたらどうなるかと考えるとそら恐ろしくなります。
SNSで公開している情報はある意味自分から公にしているわけで、個人的にはある程度までなら他人にその情報がわたっても仕方がない側面はあるかもしれないと思っています。
しかし例えば、位置情報や顔認識システムでいつどこに誰と行ったのかの情報、Eコマースサイトではアマゾンやチケットサイトでいつ何をどれだけ買ったかという情報、金融関係では納税や銀行口座や投資口座の情報などが誰かに悪用されたとしたら、最悪の場合、個人の人生が破滅する可能性も無きにしも非ずという危惧をもちます。
悪いことを考えてお金もうけをしようとする人はいつの世にもいます。コンピュータ・ウィルスと同じく、個人情報=プライバシーはもう守ることはできない、という前提にたった上で、今後、どのようにそれを悪用されずに守っていくかを考え、国際的なシステムや法律を整備していく必要があるのではないでしょうか。