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「裁判員100日」のカラクリ

1月10日からさいたま地裁ではじまる木嶋佳苗さんに対する殺人事件の公判審理について、裁判員の在任期間――裁判員選任から判決言渡しまで――が100 日もあることが話題になっている。マスコミは「裁判員100日の重圧」などと言って、裁判員の負担の重さを強調したり(日本経済新聞2012年1月6日朝刊、38頁)、選ばれなかった候補者にわざわざインタビューして「選ばれなくて良かった」というコメントを載せたりしている(毎日新聞同日朝刊、23 頁)。しかし、この事件の公判審理の予定を見てみると、この「100日」というのはかなり水増しされた数字であることがわかる。

公判の開始(1月10日)から判決言渡し(4月13日)まで3ヶ月以上の期間があるのは確かである。しかし、裁判員が公判審理に参加するのは34日間に過ぎない。公判審理は毎日行われるのではなく、週に4日(月、火、水、金)であり、午前10時にはじまり午後5時までには終わる。午後3時前に終了する日もある。開廷日には1時間半の昼食休憩のほかに、随所に15分程度の休憩が入る。確かに証人の数は63人と多いが、1日に聴く証人の数は2、3人である。

戦前の陪審裁判では、公判は週6日連日ぶっ通しで行われた。開廷はだいたい午前9時であり、閉廷は早くて午後5時、午後8時を過ぎても尋問が行われることは珍しくなかった。1日に10人以上の証人を尋問することもあった。昭和3年に行われた東京地裁最初の陪審裁判(放火事件)では3日間の公判で28人の証人を尋問した(塚崎直義「寒子放火事件の陪審裁判」改造昭和4年2月号49頁;熊谷弘「新聞報道を通じてみた東京最初の陪審裁判」判例タイムズ229号 50頁(1969))。4日目には被告人の予審調書が朗読され、同日の午後から検察官の論告と弁護人の弁論が行われた。その日の閉廷は午後9時30分だった(塚崎・前掲、52頁)。そして5日目、裁判長の説示と問書の朗読の後、直ちに陪審は評議に入り、同日午後4時30分に陪審は評議を終えて「然らず」の答申を提出した。続けて裁判長が「被告を無罪とす」と宣言した(同前)。昭和4年長崎地裁で行われた被告人8名被害者5名の殺人教唆、強盗殺人事件の陪審裁判でも、4日間で8人の被告人と21人の証人の尋問が行われた。5日目に双方の弁論と裁判長の説示が行われ、直ちに陪審は評議に入った。答申が出たのは、翌日の午前2時(!)であった(三浦順太郎『陪審裁判:松島五人斬事件之弁論』(藤木博英社1931)、33-34頁)。

こうした文字通りの「集中審理」に当時の陪審員(引き続き2年以上直接国税3円以上納め読み書きができる30歳以上の帝国臣民たる男子――陪審法12条)はどのように取り組んだのだろうか。次から次に登場する多数の証人への問いと答えをただ呆然と聞き流し、相矛盾し錯綜する証拠と争点の渦に飲み込まれ混沌の淵へと埋没していったのだろうか。断じてそんなことはない。当時の新聞報道などによれば、こうした過酷とも言える審理日程にもかかわらず、陪審員は熱心にそして積極的に審理に参加し、評議を行なっている。東京地裁第1号事件では、被告人の自白の任意性が問題になり、自白をとった駐在所の巡査が証人に呼ばれた。陪審員はこの巡査にこう質問した――「簡単に誘導尋問はしないとか、被告の云うところと違うと片付けてしまうけれども、被告の陳述の秩序立っているのに反し、それでは余りに物足らない。もっと吾々が成る程とうなづけるようには答弁できぬものか」(熊谷・前掲、54頁)。午後9時半まで続いた最終弁論のとき「陪審員は夕食を延期し空腹をこらへながらもノートを取る。其熱心さには満廷一人として感激せぬものはなかった」(塚崎・前掲、52頁)。さらに、裁判長の問書のなかに一部矛盾があるとして弁護人が訂正を求めたのに対して、裁判長が口頭で説明を加えただけで済まそうとすると、陪審員の一人(前出の陪審員とは別)は「説明付の問書では困る」としてあくまで訂正することを要求した(同前、55頁)。

戦前の徹底した集中審理と比較して、現代の裁判員裁判の公判審理は明らかに間延びしている。その審理日程はむやみに水増しされている。法律は「できるかぎり、連日開廷し、継続して審理を行わなければならない」と定めている(刑事訴訟法281条の6第1項)。それにもかかわらず、週5日連日開廷されることはまずない。木嶋事件では週4日開廷されるが、週3日しか開廷しない例すらある。そして、証人尋問が終わっても直ちに最終弁論が行われないし、最終弁論から判決までの期間――つまり評議の時間と判決書作成の時間――があらかじめ定められている。木嶋事件では、証人尋問から最終弁論まで10日間の空白があるし、最終弁論から判決まで1ヶ月(!)も間が開いている。証人尋問が終わったら直ちに最終弁論を行い、最終弁論が終わったら直ちに評議を行い、評議が整ったら直ちに答申そして判決宣告を行った戦前の陪審裁判とは、ここが最も違うところである。

なぜ、最終弁論の前に10日も時間をとり、判決の前に1ヶ月も空白を設ける必要があるのだろうか?これは「裁判員の負担の軽減」という理屈では説明がつかない。この冗長な幕間は決して裁判員のためにあるのではない。こんなに長い間何もしないで待たされているというのは、社会人にとってひどく迷惑な話だ。戦前の市民は被告人8人・被害者5人の殺人教唆及び強盗殺人事件の評決を17時間の評議で達成した(三浦・前掲、34頁)。どうして現代の市民が3人の被害者の殺人事件の評議を1ヶ月もかけてやる必要があろうか。この長大なる時間は決して裁判員のためにあるのではない。この長々しい空白は法律家と裁判官のためにあるのである。かれらの無能に市民が付き合わされているのである。

陪審法が停止され、戦争が終わり、新しい刑事訴訟法による刑事裁判がはじまって、時が経つにつれて、日本の公判審理はどんどん間延びしていった。証人尋問の期日の間隔が1日空き、5日空き、ついには1ヶ月以上も間が空くようになった。そして、審理が終結するまで何年もかかるようになった。そうすると、法律家はだれがどのような証言をしたのか記憶がなくなり、証言録を読んで文章を書かなければ最終弁論をすることすらできなくなってしまった。裁判官も、長い審理の間に、当然記憶がなくなるし、ときには転勤によって裁判官が交代することも珍しくなくなった。そうすると、裁判官は訴訟記録を読んで判決文を書く以外に判決言渡をすることができなくなった。法律の上では判決は口頭で言い渡せば良いことになっている(刑事訴訟法342条)。しかし、現代の裁判官は口頭だけで判決の理由を説明する能力がない。例外なく、宣告前に判決文を作成してそれを朗読する。戦後の司法研修所の教育は、事件記録を読んで最終弁論を書いたり判決文を書いたりする訓練ばかりするようになった。こうして、日本の法律家や裁判官は、生の証言を聞いて直ちにその場で弁論をする能力や、その弁論を聞いて評議をして口頭で判決を言い渡すという能力を失ってしまったのである。こうこうして、まるでガラパゴス諸島の動物が独自の進化を遂げたように、日本の法曹は書類を読んで書類を作成し書類を読み上げるという書類に特化した独自の進化を遂げたのである。それと引き換えに、光のない深海や洞窟の奥に生きる動物が視力を失ったように、彼らは、生の証言を聞いて口頭で弁論をし、口頭弁論を聞いてすぐに評議して口頭で判決宣告するという能力――口頭弁論能力あるいは法廷技術――を退化させてしまったのである。

木嶋事件の裁判員が100日間も裁判員をやらなければならないのは、要するに、現代の法律家と裁判官の都合によるのである。法律家と裁判官が80年前と同程度の能力をもっていたならば、裁判員たちは――戦前の陪審員たちと同じように――集中的に熱心にそして積極的に公判審理に取り組み、この事件を遅くとも数週間以内に判決に導くことができたであろう。現代の裁判員が戦前の陪審員と比較して、その能力や熱意において劣っているという証拠はどこにもないからである。戦前よりも劣っているのは市民ではなく、法曹の方なのである。しかも、卑劣なことに、彼らは「裁判員の負担の軽減」と言って自分たちの無能ぶりをごまかそうとしているのである。

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