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ショーン・ホワイト インタビュー:再び栄冠に輝いたスノーボードの申し子

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| 平昌冬季五輪の男子ハーフパイプで金メダルに輝き、アメリカ国旗を手にしたショーン・ホワイト 2018年2月14日 韓国フェニックス・スノー・パークにて (Photo by Tim Clayton/Corbis via Getty Images) |

3度にわたってオリンピック金メダリストとなったショーン・ホワイトが語る、顔の怪我を乗り越えて挑戦した平昌オリンピック、そして音楽とエクストリームスポーツの祭典Air + Styleについて。

韓国から戻った時、ショーン・ホワイトの首には平昌オリンピックで手にした金メダルがかけられていた。快挙を成し遂げたその数週間後、彼は自身が主催する音楽とエクストリームスポーツの祭典、Air + Styleの会場を駆け回っていた。ロサンゼルスのダウンタウンにあるエクスポジション・パークに到着するやいなや、列をなしたゴルフカートのひとつに乗せられた筆者の前方には、スノーボード界のスーパースターの姿があった。

バックステージの通路を猛スピードで駆け抜けるカートが向かったメインステージでは、エレクトロ・ロック・デュオのファントグラムが出演を控えていた。シンガーのサラ・バーテルのボーイフレンドとして、ホワイトはそのショーを見逃すわけにはいかなかったのだ。バンドをステージに招き入れた後、ホワイトは筆者とともに観客でごった返すミキシングボード付近に陣取りった。視界とサウンドともに申し分ない環境で、スノーボード界の生ける伝説は、お気に入りのアーティストによる官能的とも言えるパフォーマンスを堪能した。

フェニックス、グッチ・メイン、ゼッドという豪華ヘッドライナーを擁するこのフェスティバルの魅力は音楽だけではない。Air + Styleに集まったオーディエンスは、プロのスケーターとスノーボーダーたちによる、世界最高峰のトリックの数々を楽しむこともできる。「ここの競技用コースは、世界中に散らばる俺のお気に入りのDIYスケートパートがモデルになってるんだ」Blood Wizzardの専属プロスケーターであるクリス・グレッグソンはそう話す。「マジで最高のイベントになるよ」急な勾配のコンクリート製クォーターパイプで繰り広げられる、キックフリップ・リップスライドという高難易度のトリックを競うコンテストで、グレッグソンは3位入賞を果たした。

スノーボード界のキングとして彼の名前が世界中に知れ渡っていくと同時に、音楽とエクストリームスポーツを融合させたAir + Styleは規模を拡大し続け、今やロサンゼルス、北京、シドニー、オーストラリアの4都市で開催される国際的イベントとなった。毎年ロサンゼルスのダウンタウンにスノーボード会場を設置するという難題について、ホワイトはこう話す。

「スノーボードに紐付いた文化を広めていきたいんだ」すでに揺るぎない名声を手にしながら、音楽フェスティバルの主催に挑戦する理由について、彼はこう話している。「仲間たちとコーチェラで最高の時間を過ごしてた時に、ふと思ったんだ。俺もこれをやってみたい、ってね。自己中心的な動機だってことは否定しないよ、自分が好きな音楽を思いきり楽しみたいってだけだからさ」

ニューヨーク北部出身のファントグラムのジョシュ・カーターは、ビデオをはじめとするスケートカルチャーを通じて様々な音楽に出会ったと話す。「ダイナソーJr、ピクシーズ、あとウータン・クランなんかも、全部スケートを通じて知ったんだ」カーターはこう続ける。「Air + Styleにはそういうバイブがある。独特のリズム感がね」

ファントグラムのパフォーマンス後、ホワイトはバックステージで筆者の取材に応じてくれた。オリンピック直前に経験した62針を縫う顔の大怪我、過去のローリングストーン誌の表紙写真にまつわるエピソード、そして2020年の東京オリンピックにスケートボードの選手として出場する可能性ついて、スノーボード界のゴールデンボーイが語ってくれた。

ーあなたは平昌オリンピックで、人生で3個目となる金メダルを獲得しました。1440(フォーティーン・フォーティ)を連続で成功させた、あのドラマチックな最終滑走について話してください。

あの1440/フォーティーン・フォーティ(またはフォー・レボリューションズ)に挑戦することは少ないんだ。素晴らしいハーフパイプ、適度なアドレナリンとプレッシャー、そういう理想的な条件が揃った時にしかできないからね。もしあれが他の大会で、天候と視界が良好じゃなかったら、あのトリックはやらなかったと思う。でもオリンピックという特別な場では、やっぱり挑戦しないわけにはいかなかった。失敗するかもしれないという不安はなかったよ。自分の実力を発揮すれば必ず成功する、そう信じてたからね。

僕はスロープを見下ろし、ウインドマーカーが完全に静止しているのを確認した。観客が静まり返る中、会場のスピーカーからはポスト・マローンの『ロックスター』が流れてた。すべてが自分に味方してくれているように感じて、僕はこれから見せる滑りをはっきりと思い描くことができた。最初のトリックをしっかり決めれば、次のトリックも絶対に成功させられるはずだった。フォーティーン・フォーティを2回決めたあのランは、僕にとっても初めての経験だったんだ。各トリックを成功させたことはあったけど、両方を1回のランに組み込んだのはあれが初めてだった。最高の気分だったよ。

ー2014年のソチオリンピックは残念な結果に終わりましたが、平昌で再び栄冠に輝いた今、当時のことをどう振り返りますか?

避けて通れない道だったんだと思う。あの試合で勝って、オリンピック3大会連続金メダルっていう快挙を成し遂げたかったっていう思いはあるけどね。あの大会の後、僕はスポーツに興味をなくしてしまって、正直引退も考えた。でも大きな失望を乗り越えて、僕はスノーボードに対する情熱を再び取り戻すことができた。2大会連続で勝利していただけに、あの大会での敗北のショックは大きかったけど、その経験が今回の金メダルをより重みのあるものにしてくれているんだ。僕を支えてくれていたのは、母国でテレビの前で応援してくれている家族や友人たちだった。会場にいながら、僕は彼らをそばに感じていたんだ。ドラマチックな物語の裏には、いつだって大切な人々の存在があるんだよ。


ーソチから平昌までの4年間で、何があなたを変えたのでしょう?

2大会連続で優勝した人間が3度目のオリンピックで挫折、そのショックの大きさは想像がつくだろう?僕は優勝できるだけのトリックを持ち合わせていながら、それを成功させるだけのモチベーションを備えていなかった。勝利を重ねるにつれてモチベーションは薄れていくけど、それでも勝ち続けるには、どんな時でも自分を奮い立たせないといけない。でもあの頃の僕は、3度目のオリンピックで勝利するために必要な覚悟を持ち合わせていなかった。当時は自分のバンドでレコーディングしたりツアーに出たりしながら、スロープスタイルとハーフパイプの両方に挑戦しようとしてた。いろんなことに手を出して、自分のすべきことにフォーカスできていなかったんだ。

モチベーションの足りない人間が勝てるはずはなかった。あのオリンピックの後は辛かったよ。問題は体力の限界でも、トレーニング不足でもなかった。僕に必要だったのは、もう一度スノーボードへの情熱を取り戻すことだったんだ。僕は少しの間、競技から離れることにした。その間は音楽をやったり、マリブの自宅で仲間たちと集まってバーベキューしたりしてた。毎日好きなことをして、すごく楽しかったよ。でもそんな日々を過ごすうちに、またスノーボードがしたいと思うようになった。新しいスタートを切るために、僕は自分を取り巻く環境を大きく変えることにした。マネージャー、トレーナー、フィジカル・セラピストを一新して、僕はようやくプロのアスリートとしての覚悟を取り戻したんだ。

ー平昌オリンピックに至るまでのシーズンは波乱万丈でした。中でもニュージーランドでのトレーニング中に重傷を負ったことは記憶に新しいですが、当時のことについて話していただけますか?

よく晴れた日で、調子もすごく良かった。ハーフパイプの会場では爆音でクラシックなロックが流れてて、僕はイカしたトリックをいくつも決めてた。そこで僕はあのフォーティーン・フォーティーの2連発に挑戦することにしたんだ。単発のやつはよく決まってたから、2ついけるんじゃないかと思ったんだ。それで臨んだ最初のランで、僕はデッキをぶつけてしまい、真っ逆さまに落ちていって顔を強打した。辺りは血だらけで、気づけばヘリに乗せられて病院に運ばれてた。打撲による出血で肺が満たされてる状態で、飛行機に乗るのは無理だと判断されたんだ。顔は何十針も縫わないといけなかった。

ー入院と手術を経て、気持ちに大きな変化はありましたか?オリンピックの場で高難易度の技に挑むことはできないのではないか、そういう不安に駆られませんでしたか?

そんなことはなかったね。でも一時的に、恐怖心に駆られるようになっていたことは事実だよ。すごくいい気分で滑ってて、技もバッチリ決まったてたのに、気づけば病院にいたんだからさ。いろんな感情が交錯して、ベッドの上でこんな風に自問を繰り返してた。「こんな思いまでして続けるべきなのか?同じことがまた起きたとしたら?」自分の身に起きたことを、なかなか実感できずにいたんだ。過去にも落下したことは何度もあったけど、幸いにも大事に至ったことはなかった。

ヘルメットは常に被るようにしているし、自分の技術には自信を持ってた。それでも、試合でもう一度あのトリックに挑戦するかどうかはすごく悩んだ。成功させる自信はある、でも同じ目に遭うかもしれないっていう不安が、常に頭をもたげるようになった。電話をくれた家族や友達は、みんな口を揃えてこう言ってた。「どうしてそこまでこだわるんだ?お前は既にメダルを手にしてるし、富も名声も得た。優雅な隠遁生活を送ることだってできるのに、どうしてまだ競技を続けるんだ?」

僕のコーチとトレーニングチームは、競技に復帰しようとする僕の背中を後押ししてくれた。彼らがいなければ、今の僕はないだろうね。オリンピックの場において、通常なら僕は向かう所敵なしの存在で、実力を発揮すれば簡単に勝てるはずだった。最初のランで優勝を決めて、2つめはヴィクトリーラップっていうのがいつものパターンだった。でも今回のオリンピックは違った。怪我のせいで万全の状態になかった僕と、ある選手のレベルは拮抗していた。それでも、僕は自分の滑りを見せることができれば、必ず優勝できると確信してた。

ーオリンピックの出場権をかけたSnowmassでのランはドラマチックでした。高得点を出す必要があったあの大会で、あなたは最後の滑走で満点の100点を叩き出しました。オリンピック出場権を得る最後のチャンスだったあの舞台で、あなたはどういう気持ちで最終滑走に臨んだのでしょう?

Snowmassでは、ジャッジが僕に期待しない技をしょっぱなから見せつけるつもりだった。練習でしっかりと自信をつけた僕は、あの場でキャブ・ダブル・コーク・フォーティーン・フォーティを成功させた。僕が大怪我を負ったあのトリックさ。事故以来一度も挑戦してなかったけど、恐怖心とプレッシャーをはねのけるためにも、絶対に成功させないといけなかった。

必ず成功すると自分に言い聞かせて、僕はスタートを切った。ファーストヒットもセカンドヒットも申し分なかった。サードヒットの540を残して、僕は自分がとてもいい状態にあるのを感じてた。直前の2つのトリックは完璧だったし、息も乱れてなかった。満点を狙ってたわけじゃなく、ただ勝ちたかった。それでも100点というスコアを目にして、オリンピックの出場権を勝ち取ったことを知った瞬間は感動したよ。NBCでオリンピックの特番を組んでもらっておきながら、その時点で僕は出場権さえ得られてなかったからね。あの瞬間、肩の荷が降りた気がしたし、オリンピックでも必ず勝利できると確信したんだ。最高の気分だったよ。

恐怖を克服したあの大会での勝利からは、他にも得たものがあった。僕はあの日、他のライダーたちのトリックがどう評価されるのかずっと気にしてた。ジャッジによる採点で競う競技だから、試合の結果は彼らの価値観次第とも言えるからね。スコッティ・ジェームスは素晴らしいランを見せたけど、僕はそれを上回ってみせた。わずかなミスも許されない緊迫した状況下でね。

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