- 2018年03月05日 14:41
「リベラル」の九条信仰は反知性主義的である
1/2リベラリズム(自由主義)と「リベラル」とは異なる。
日本の特殊な「リベラル」は、憲法九条があるから日本は平和だという。よくよく考えてみると、この意見は極めて特殊な信仰というべき態度であり、理性によって受け入れることの出来ない考え方だ。
「憲法九条が存在するから、日本は平和だ」という命題は、理性によって納得することが出来ない命題だ。要するに「反知性主義的」命題だ。「憲法九条が存在するから、日本は他国に攻め込まない」という命題なら理解できるが、「憲法九条が存在するから、日本は平和だ」という命題は論理的に成り立たない。
仮に、「憲法九条が存在するから、日本は平和だ」という命題が成り立つとすれば、拙著『「リベラル」という病』で紹介したような福島瑞穂氏の論理しかありえない。それは、憲法九条を持っている国を攻撃したら、世界から非難されてしまうので、憲法九条を持つ国を攻撃できる国は存在しないというあまりに非現実的な論理だ。
実際に世界史を繙けば、平和国家が隣国に侵略された事例は数多い。例えば、チベットが挙げられるだろう。仏教国家チベットは、平和を愛好する国家だったといってよいだろう。だが、中国の人民解放軍が侵攻してきた際、国際社会はチベットを救うことが出来なかった。圧倒的な軍事力によって平和国家が併合されてしまったのだ。軍事力によってのみ自国の安全を担保するというのは極端な意見だが、軍事力を一切持たずに自国の安全を担保することは出来ない。
日本の平和と安全を守ってきたのは自衛隊、そして日米同盟が存在していたからだ。この現実を見つめようとしない「リベラル」に日本の政治を任せることは出来ないのだ。