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政治学講義⑩:(2)政治の成功と失敗④結果責任

 政治は結果責任である。戦争という国民に多くの犠牲を強いる結末に導く指導者と、平和と繁栄をもたらすリーダーとを比べれば、後者のほうが政治家としては成功である。

 前者がいかに人格高潔の士であっても、そのことはマイナスの結果を修復してくれるものではない。また、後者が道徳的に疑問符のつくような人間であっても、それが輝かしい成果を台無しにすることはない。

 それでは、どうすればプラスの結果を上げることができるのであろうか。まずは目標を立てる。その際に正確な現状分析と、将来への先見性が必要である。その上で、あらゆる政治の技術を駆使して、その目標への到達を目指す。

 その技術のことを政治力と言ってもよい。ある法案が国会で通ったときなど、「それは○○先生の政治力のおかげだ」などと言われることがある。

 国会における「国対政治」の場は、その技術を発揮するためにある。あえて下品な表現を使えば、古今東西、「カネ、酒、オンナ」が道具として活用される。私も国会議員のとき、野党の議員と何度も「国対メシ」を食べたものである。

 良い目的のためなら、どのような手段を使ってもよいのかという疑問が常に呈される。しかし、政治の世界では「手が汚れる」ことを避けることはできず、「マキャベリスト」という非難を甘受せざるをえないのである。

 マックス・ヴェーバーは言う。「世界がデーモンによって支配されていること、そして、政治に関係する人間、つまり、手段としての権力や暴力性に関係を持つ人間は悪魔と契約を結ぶものであること、そして、善からは善だけが生じ、悪からは悪だけが生じる、というのは彼の行為にとって真実ではなく、往々、その逆が真実であること、これを古代のキリスト教徒たちは非常によく知っておりました。これを知らない人間は、実は、政治的には子供なのであります」(『職業としての政治』1919年6月、ミュンヘン大学における講演)。

 まさに、政治の世界は道徳や信仰の世界とは違うのである。政治は「責任倫理」が、宗教や道徳は「心情倫理」が支配する。「キリストは正しきを行い、その結果を神に委ねたもう」という宗教家と対極にあるのが政治家であり、「自分の行為の責任を負う」という原則に従って行動するのである。

 政治の世界では、目的と手段の緊張関係が生まれるのは当然である。それは、政治にとって決定的な手段が暴力性、つまり強制力だからである。この観点からも、「平和の支配」としての政治の意味が大きくなる。

 マキャベリは言う。「君主が信義を守り、誠実に奸策を用いずに生きることがいかに称賛すべきことであるかは誰もが知っている。にもかかわらず毎日の経験からすれば、信義など無視し、奸策でもって人々の頭脳を騙している君主のほうが、大事業をなしてきている。しかも最終的には彼らのほうが誠実である君主を圧倒してきているのである」(『君主論』1532年)。

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