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「証言は証拠ではない」という戯言

「証言は証拠ではない」という常套句。これは検証するのも馬鹿馬鹿しいものなのですが、こんな戯言をドヤ顔で当ブログに書き込んでくる人がいまだにいるので(コメントは非承認ですが)、一度まとめておこうと思います。

まず、世間一般の常識、社会通念として、「証言は証拠ではない」などというプリンシプルは聞いたことがありません。初耳です。だって、これ、平たく言えば「およそ人の話は一切信用ならん」と言ってるようなものですもの。「証言は証拠ではない」というフレーズを聞くのは、ネトウヨが従軍慰安婦を否定するとき、あるいは日本軍の過去の蛮行を否定するときに限られています。

このフレーズは「その証言を証明する公文書なり物証なりがない限り、その証言は一律に信用できない。嘘同然、取り上げる価値はない」という意味のようです。どうやら彼らの頭の中では「証言は公文書がないかぎり真実ではないという推定が働くから無視して良い」という珍妙なルールができあがっているみたいです。

しかし一般的に現実では「証言」はこんな扱われ方をしていません。

●警察は犯罪や交通事故の目撃「証言」を必死で集めます。 「証言は証拠ではない」のなら、何故警察は必死になって目撃「証言」を集めるのでしょう?さっぱりつじつまが合いません。 警察が一生懸命証言をあつめるのは、それが操作の手がかりとなり、やがてその「証言」が裁判で「証拠」になるからに他なりません。 つまり証言は「証拠」のひとつである、というのが現実なのです。

数ある従軍慰安婦裁判において、被告である国側は「強制連行はなかった、原告のハルモニ達は従軍慰安婦などではなかった、タダの売春婦だった」などと争った事は一度もありません。国は彼女たちの「証言」は真実であると認めざるを得なかったので、事実関係で争うことがなかったのです。 よって裁判所は原告のハルモニ達の証言を事実であると認定しています。

「証言は証拠ではない」ならば、一体これらの現実をどう説明すればよいのでしょう?

だいたい「証拠を示せ、但し証言じゃダメだ」と言うならば、それこそ原告のハルモニ達、水曜集会に参加し続けたハルモニ達が「金目当てのタダの売春婦であった(従軍慰安婦を否定する人々はこういいます)」ことを証明する「証拠」をしめすべきでしょう。そうでなければダブスタです。

村野瀬玲奈さんのエントリーもGJですので是非ご覧ください

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-144.html
(引用開始)
「証言は証拠にならない」と歴史見直し主義者が発言したら、それはひとつの証言です。で、「証言が証拠にならない」というのが本当なら、「証言は証拠にならない」という歴史見直し主義者の証言こそが証拠にならないことになります。爆

つまり、「証言は証拠にならない」というネトウヨコメントは、自分で自分の主張を否定する、「オウンゴール型」に分類されます。(なお、それ以外のオウンゴール型は、長々とコメントを開陳しているうちにだんだんつじつまが合わなくなってきて空中分解する、というスタイルです。)

まあ、こんな簡単な「証言は証拠にならない」という主張はあまりにもお粗末ですが、もう少し考えを続けます。

「証言は証拠になる」わけですが、数ある証言の中で一部に何らかの誤りが含まれていたとします。100の証言のうち、たとえば5つが誤りであったとしましょう。5つが誤りであったからといって残りの95も誤りであるとか、これらの証言が語る事件全体が虚構だとかいうのは誤りです。

証言を一つ一つつき合わせてそれらがなす全体像に矛盾がなければ、それらの証言が語る事件はあった、ということになるわけです。

「証言一般」が証拠になるかならないかという一般論と、特定の証言が証拠として証明力を持っているかどうかという個別論とを都合よく混同するのは歴史修正主義者のいつもの手段。

また、「ある特定の」人の証言に誤りがあるから「すべての」人の証言全体も誤りであるという論理の飛躍も歴史見直し主義者のいつもの手段。

十分に気をつけようと思います
(引用ここまで)

●もし「およそ証言一般は公文書や物的証拠がなければ嘘、取り上げる価値無し」という推定が働くなら、困る事がたくさん出てきますね。 例えば「偉人の伝記」なんかを後世に残すことなど不可能でしょう。 歴史に残るような人物の人となりを示すような「物的証拠」「公文書」などほとんど存在しません。そういうのは人々の「証言」をつなぎ合わせて紡ぐものなのです。でも「証言は証拠でない」と一切取り合う価値がないのならおよそ伝記は書けません。

戦争末期、東京はじめとして各地の都市が空襲に見舞われた時、爆弾の下ではどんな地獄絵図が広がっていたのか、 沖縄のガマでどんな悲惨な集団死が繰り広げられたのか、その後生き残った物はどんな辛酸をなめたのか
それを具体的に後世に残すのは名もなき市井の人々の「証言」です。 こういう証言の具体的な中身を直接証明する「公文書」などあるはずもありません。 ではこれら庶民の戦争被害の証言は全て真実として取り上げるに値しないのか・・・だとしたら戦争資料館が保存する膨大な「証言集」は一文の価値もないことになってしまいます。

それに、「証言は証拠ではない」というなら、ネトウヨにとっても困ったことが出てきます。例えばネトウヨが南京大虐殺のカウンター(?)として好んで出してくる「通洲事件」、 この事件で日本人の婦女子が凄惨な殺され方をしたのを明らかにしたのは事件の目撃者による「証言」でした。 通州事件を起こした日本の傀儡冀東政府の保安隊に「女子供の腹をかち割れ」という命令を記した「公文書」があったわけではありません。 これはどう説明すればよいのでしょう?困りましたね(苦笑)

●もちろん証言をそのまま鵜呑みせず諸般の事情と総合的に照らし合わせることは必要です。その結果、信用性が薄いとされた証言は裁判でも提出されないか、提出されても採用されません。 朝日新聞に掲載された所謂「吉田証言」だって今では歴史的資料としての価値は薄い、とされています。 信用性が低い証言はこうして淘汰されていくのです。 しかし証言の信用性を判断するとき「公文書」がないことをもって直ちに信用性がないとして一律に証言を却下することなど普通はしません。その判断の仕方は非常識と言わざるを得ないものです。

●どうやら「証言は証拠ではない」と言いたがる人々は「オーラルヒストリー」というものを知らないようです。 「オーラル・ヒストリー」は既に我が国でも市民権を得ています。 ウィキペディアから引用しましょう。

http://goo.gl/8HOzz
(引用開始)
オーラル・ヒストリー(oral history)とは、歴史研究のために関係者から直接話を聞き取り、記録としてまとめること。

歴史学では主として文献から歴史を調べてゆくが、文献資料から知られる内容には限りがある。例えば、政策決定の過程を検討しようとしても、文献としては公表された結果のみで、どのようにそうした決定が行われたのかは、文書が残っていないことが多い。また、記録に残ることの多くは特異な事件などであり、一般人の日常生活などは文献にはほとんど残らない。その当時は常識であったことも、年月を過ぎると全くわからなくなるということはよくあることである。

当時の関係者にインタビューを行うことで、文献からはわからないことが様々に知られるようになる。以前から「聞き書き」という手法はあったが、特に近現代史の研究者の間で1990年代以降、オーラル・ヒストリーが注目されるようになり、組織的な取り組みが行われている(例えば国鉄民営化、日米半導体摩擦などをテーマに関係者のインタビューが行われている)。
(引用ここまで)

そもそも社会的弱者の歴史は公文書には残りにくいです。そういう分野は当事者が記憶や経験を語ることでしか把握できません。 「オーラル・ヒストリーは当事者や関係者の記憶と経験が中心となるもので、公式文書や歴史記録を相互補完的に補うものである。オーラル・ヒストリー研究により、歴史を重層的、多角的に把握する事が可能になる。」(http://goo.gl/ND9QNより) オーラルヒストリーは歴史学、民俗学、文化人類学などでは欠かせないものなのです。

●通州事件で保安隊が虐殺を指示した「公文書」など作成しなかったのと同じように、日本軍が「○○村で娘を拉致して慰安所に監禁しろ」なんて言う公文書など作るわけがありません。そんなことは現場で臨機応変に実行に移せばよいだけなのですから、何が悲しくてわざわざ自分たちの悪行を証拠に残すような「公文書」を作成する必要があるでしょうか。 こんなことは子供でもわかります。

●もともと「証言は証拠ではない」などという聞いたこともないような法則は、おそらく刑事裁判で「自白(証言)だけでは、それを有罪の証拠にすることができない」という自白法則をヒントにしたのではないかと推測されます。 しかしこの自白法則が刑訴法が設けられたのは、「自白は証拠の王」として扱われがちで、自白を得るために人権侵害した違法な取り調べが行われかねないから、それを防止することを目的としているのです(他にも理由はあるけど省略) 従って事件を体験した当事者の証言はこういうケースにに当てはまらない以上、自白法則のような「証言は証拠にならない」法則など当てはまるはずもないのです。

●従軍慰安婦から目を背けたい国でさえ、さすがに「証言は証拠ではない」などという非常識で恥ずかしい戯言は公式に表明していません。 これはいわばネトウヨの「脳内ルール」だといえましょう。

よって、当ブログでは「証言は証拠ではない」という噴飯物のコメントをお相手することはございませんので、コメントしてくださる場合は十分ご注意くださるようあらかじめ申し上げておきます。

そうそう「証言は証拠ではない、証拠を出せ」という人に限って、「証拠」も「証言」すらもないのに、単なる「自分の憶測」だけで私を在日だとか断定してくるという矛盾を平気でやらかすのも、非常に興味深いところですね。そういう方がつい先日もいらっしゃいました(笑)

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