「小学校の制服にアルマーニという非常識 東京都中央区立泰明小学校、和田利次校長の暴走 止めない政権」私にとって「アルマーニ」というのは興味もなければ名前も聞いたことがなかったかもしれない、その程度です。ニュースで高級ブランドなどと報じられているので、そうなのね、という程度です。アルマーニがいかに高級だろうと、所詮は単なるブランドにすぎません。そのようなものを高級だとあやかって、制服導入を賛美したり擁護する論調は頂けません。
泰明小学校が伝統ある小学校などというのもどうかと思います。近衛文麿が卒業したから何だというのでしょう。過去の貴族が卒業生であろうと大した話ではありません。権威に弱すぎです。
この弁護士ドットコムに掲載された視点は、なるほどと思いました。
「公立小に最大8万円のアルマーニ制服、憲法「義務教育無償」の観点からどう考える?」この憲法の義務教育の無償化という視点は大事な点です。生活保護世帯は、就学援助にこの制服代が対象となるとも思えませんが、制服を着ている子、着れない子、あからさまな格差の象徴です。
この泰明小学校の和田利次校長が「服育」なる造語で詭弁を弄している姿が、あまりに滑稽で、これが教育者なのかということにげんなりさせられます。
高級ブランドを身にまとわせることが教育ですか。どんな教育なのか、着れない子に対して優越感にでも浸る教育のようですね。
その昔、給食が始まる前、弁当のおかずの違いで子どもたちが肩身の狭い思いをさせらえたという話を思い出します。祖母は、明治生まれでしたが、子どもたちの弁当の話をしていました。~ちゃんのところはおかずの入った弁当だったけれど、~ちゃんのところはご飯に塩を振りかけただけだった、とか。
小学校のときの校長からも同様のお話がありました。卵焼きの入っている子は、自慢げに堂々と食べ、おかずのない子は新聞で隠しながら食べていたとか。同じ子どもでありながら満足なお弁当も食べられなかった子たちの気持ちを思うと、こうした差別など許されないと思うわけです。
「『母』(三浦綾子著)」アルマーニの制服に対して、下品とか批判するのは貧乏人の発想だ、みたいないなコメント(意見)には、悲しくなります。あまりに差別感が満載ですし、こうした中で教育される子たちというのはあまりに不幸です。
中学、高校の制服もいずれは廃れていくでしょう。この制服の趣旨は、このアルマーニとは全く違います。正直、私は中学、高校時代の制服は嫌いではありませんでした。着る服を考えなくて済むからです。親からこれを着ろと言われることもありません。
その意味では思考停止なのですが、服に興味がなければ肯定的な評価になりますが、ただそれでも値段にもよります。それが「高級ブランド」ということになると値段にも問題があるし、私自身はそういった制服であれば嫌悪感しかありませんから、それ自体には反発したでしょう。高級ブランドで他と差をつける、この発想は教育の中では最低の発想です。
和田利次氏は批判されて当然であり、和田利次氏自身は選定過程に問題があったなどと言い訳に終始していますが、問題があったことは明らかなのに、擁護する声が少なくないのには驚いています。
